312-020_八保神社

比定社:八保神社

式内社コード:312-020
神名帳社名 :八保神社、ヤホノ
社    格:小
所 在 地 :678-1256 兵庫県赤穂市上郡町八保乙809
Plus Code  :V8C4+J9 上郡町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「やほじんじゃ」と読む、地名の上郡町八保乙は「かみごおりちょうやほおつ」と読む。
八保集落の西の端の山裾に鎮座。
岡山県道・兵庫県道385号高田上郡線より八保集落に入り最も西奥の山裾にある。
周辺に駐車は可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古代山陽道との位置関係。
すぐ西の備前国との関係。

写真

八保神社を望む。
八保神社を望む。
右側(東)を望む。周囲はのどかな風景の田畑が広がる。
右側(東)を望む。周囲はのどかな風景の田畑が広がる。
正面(南)を望む。
正面(南)を望む。
左側(西)を望む。西隣の備前国との国境は直線で3.5kmほどの位置。
左側(西)を望む。西隣の備前国との国境は直線で3.5kmほどの位置。
縣社 八保神社とある社標。このあたりは岡村という地名だったことの名残がある。
縣社 八保神社とある社標。このあたりは岡村という地名だったことの名残がある。
神社謹製の説明書き。『創立年代不詳、仁明天皇承和七年(八四〇)六月延喜式小社に列せられ、国内鎮守大小明神記には「八穂明神」と記される。』とあるが、延喜式は延長5年(927年)なので少々年代が合わない。
神社謹製の説明書き。『創立年代不詳、仁明天皇承和七年(八四〇)六月延喜式小社に列せられ、国内
鎮守大小明神記には「八穂明神」と記される。』とあるが、延喜式は延長5年(927年)なので少々年代が合わない。
神社を囲む垣はブロック積み、鳥居が2つ。鳥居の扁額には八保神社とある。
神社を囲む垣はブロック積み、鳥居が2つ。鳥居の扁額には八保神社とある。
一の鳥居と二の鳥居の間には、式内八保神社の社標。
一の鳥居と二の鳥居の間には、式内八保神社の社標。
鳥居をくぐると広場、広場の向こうに割拝殿。
鳥居をくぐると広場、広場の向こうに割拝殿。
広場の右側には摂社末社。
広場の右側には摂社末社。
広場の左側には集会所のような建物と手水舎。
広場の左側には集会所のような建物と手水舎。
手水舎。
手水舎。
割拝殿を正面より望む。
割拝殿を正面より望む。
割拝殿を左より望む。
割拝殿を左より望む。
割拝殿と幣殿の間には通路があって繋がってない。
割拝殿と幣殿の間には通路があって繋がってない。
幣殿の内部。キレイに保たれている。
幣殿の内部。キレイに保たれている。
左から割拝殿、幣殿、本殿と続いている。
左から割拝殿、幣殿、本殿と続いている。
幣殿と本殿は一応繋がっていはいるが下を人が通れるようになっていて実質行き来はできないだろう。拝殿・幣殿・本殿ともに比較的新しく状態も良い。
幣殿と本殿は一応繋がっていはいるが下を人が通れるようになっていて実質行き来はできないだろう。拝殿・幣殿・本殿ともに比較的新しく状態も良い。
割拝殿の左側より本殿を望む。
割拝殿の左側より本殿を望む。
本殿を左側より望む。
本殿を左側より望む。
本殿左側より幣殿・割拝殿を望む。
本殿左側より幣殿・割拝殿を望む。
拝殿左手にある神饌所のような建物。石柱に備前三國村とあるので国境を越えて氏子がいたのだろう。
拝殿左手にある神饌所のような建物。石柱に備前三國村とあるので国境を越えて氏子がいたのだろう。
割拝殿より鳥居を望む。
割拝殿より鳥居を望む。

感想


神社謹製の説明書きによると

延喜式内 八保神社(やほじんじゃ)

鎮座地 兵庫県赤穂郭上那町八保乙八〇九番地
御祭神 豊受姫命(とようけひめのみこと)
    素戔鳴命(すさのおのみこと)
    誉田別命(ほんだわけのみこと)
由緒
 創立年代不詳、仁明天皇承和七年(八四〇)六月延喜式小社に列せられ、国内
鎮守大小明神記には「八穂明神」と記される。
 降つて、寛永より慶応年間(江戸時代)には領主赤穂城主森氏より毎年八月十五
日の祭典に、領内豊穣祈念のため家臣を遣わし、幣帛料を奉納された。
 元禄年間(一六八八~一七〇三)には社を現在の地に遷す、此の時龍門寺首座
僧により略縁起が奉納されたと伝う、旧地は現在田地になっていると伝う。
 嘉永年間(一八四八~五三)祠官宅土蔵火災により資料等消失のためこれ以上の
詳細は不明。
 明治七年(一八七四)郷社に列し、明治四二年(一九〇九)には須賀神社・八幡
神社などを合祀し、大正十二年(一九二三)には県社に昇格した。
 『八保神社』の名称については、神社の境内に垣を立てて稲を懸け豊穣を祈念し
たことから『八穂の社』と言われ(赤松正村が戦勝祈願のため八穂社稻懸け神事を
定めたとも伝わる)、また『梵天宮』とも言われた(梵天とは密教十二神の守護神の
一つで仏教の守護神)
 境内神社
  四柱神杜
  天之相魂神杜
   平成二十七年十一月吉日設置

とある


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、豊受姫命・(合祀)素盞嗚命・誉田別命。

承和7年(840年)6月官社。
元禄13年(1700年)今の山上に移。
文政元年(1818年)12月本殿再建。
嘉永年間(1848~1854年)の火災によって、古記録などが焼失した。
明治7年(1874年)2月郷社。
明治45年(1912年)3月30日神饌幣帛料供進神社指定。
大正12年(1923年)3月県社。

江戸時代までは「焚天宮」と呼ばれていた。

祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになったという。
元来社殿は稻作の行なわれていた平地の田圃の中であったのを、現在の山裾に奉遷したものであろう。
本来の祭神は豊受姫命のみであつた。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:豊受姫神(トヨウケヒメノカミ)
配祀神:素盞嗚命(スサノオノミコト)・誉田別命(ホンダワケノミコト)

祭記事:
お米の神様であることから、夏と秋には特別なお供えを作る。
ごはんを円筒形に型抜き(これを「おもそう」という)し、茄子の賽の目切りと洗ったばかりのお米(これを「水こめ」といいお盆にお墓にも供える)を小さな三方に桧の葉の上にお箸と共にお供えする(秋には稲穂も一本)、夏には30、秋には100作る。

由 緒:
創祀年代不詳。
嘉永年間(1848年~1854)の火災によって、古記録などは焼失。
鎮座地は岡村と呼ばれていたため、通称は岡の宮。八穂社とも赤穂八穂社とも記述される。『赤穂郡誌』によると、祭事に際し、八束の稲穂を供する故に八穂神社と称するようになった。
また、梵天が播磨に天降ったという本地垂迹説があり、梵天宮とも呼ばれていた。
主祭神は、豊受姫命で稲作の神。社地に関して、元禄年間(1688年~1703)に山上に移し、昔の社地は田地としたという記録がある。
合祀の神々は明治になって合祀された。

とある。


八保神社のある当地は千種川の西岸、支流の安室川の北岸、上郡の市街地からは西へ4kmほどの場所になる。
式内社としては播磨国の最も西にある神社、すぐ西側は備前国となる。
南に3kmほどの上郡町落地(おろち)に旧山陽道の野磨(やま)駅があったことが発掘調査で判明している。
早くより開かれた地域のようで周囲には名村1号墳・名村2号墳・八保遺跡・陰ノ平遺跡(兵庫県考古博物館資料による)がある。

八保神社のご祭神は、豊受姫命、合祀として素盞嗚命・誉田別命。
この地域の式内社で豊受姫命を祀るのは非常に珍しい(個人的見解です)。
素盞嗚命・誉田別命の2柱については明治になってからの合祀とあるが経緯はよく分からない。
また元禄13年(1700年)に現在地に遷座しているが、その経緯もよく分からない。

八保神社へのアプローチは、比較的分かりやすい。
岡山県道・兵庫県道385号高田上郡線より八保集落に入り最も西奥の山裾に南を向いて鎮座している。
周辺に邪魔にならないように駐車は可能。

八保神社周囲は田畑と住宅でのどかな風景が広がる。
正面には2本の鳥居があり、周囲はブロック塀で囲ってある。
鳥居をくぐり石段を登ると拝殿前の広場となる。
広場右手には何もない、左手には集会所のような建物と手水舎。
拝殿は割拝殿となっており休憩所のようなほのぼのとした雰囲気を出している。
割拝殿の後方には幣殿のような建物があり、幣殿とその後方に本殿は繋がっている。
幣殿と本殿は繋がってはいるのだが、石垣部分で空中回廊のような感じで天地が低くて本殿側へは実質行けないのかもしれない。
幣殿・本殿ともに新しいようで状態は良い(嘉永年間(1848~1854年)に火災の記録が残るのでその後の建築か)。
幣殿の左側に神饌所のような建物がありその前にある石碑には備前三國村とあるのでこの地が国境であることが分かる。
全体的に渋い作りだが非常にきれいに保たれており地域に大事にされている様子が分かる。

播磨国と備前国との国境に鎮座する食の神を祀る神社。

注意点

駐車場は無いので周辺に邪魔にならないように駐車。

訪問ノート

訪問日 :2021/11/26
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM