比定社:夜比良神社
式内社コード:311-090
神名帳社名 :夜比良神社、ヤヒラノ
社 格:小
所 在 地 :679-4156 兵庫県たつの市揖保町揖保上391
Plus Code :RGQP+4R たつの市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「やひらじんじゃ」と読む、地名の揖保町揖保上は「いぼちょういぼかみ」と読む。
JR山陽本線の竜野駅の北1.9kmほどの揖保川東岸の平地に鎮座。
国道2号線から揖保川大橋東詰より堤防上を北上する。
神社入り口に大きな看板が出ている、南側鳥居よりクルマで入り社域に駐車可能。
北東500メートルほどに311-060_中臣印達神社がある。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
地理的に近い311-060_中臣印達神社との関係。
写真
感想
神社謹製の説明書きには
延喜式内 夜比良神社御由緒
御鎮座地 兵庫県たつの市揖保町揖保上三九一
御 祭 神 大己貴命(大国主命)(おおなむちのみこと、おおくにぬしのみこと)
御 神 徳 縁結び・病気平癒・農業・福の神
御 神 紋 子持ち亀甲に米
御由緒
夜比良神社の創建は、千二百年以上以前と伝えられています。
御祭神の大己貴命は他に大国主命・大汝命(おおなもちのみこと)など、
多くの別名で呼ばれ、出雲大社の御祭神と同神です。
はじめ出雲の国を開拓、平定され、因幡国(いなばのくに)を経て、
播磨国に入り、揖保川に沿って南下され、粒丘に足を
留められました。そして、この地域を開き、人々をいつくしみ、
災禍を祓い除かれました。これにより揖保川流域の北を
御護りする播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」と
呼ぶのに対し、夜比良神社を「南方殿」と言います。
また、中世には、下揖保荘の総鎮守として、播磨国の
豪族赤松氏の尊崇をあつめ、「神式は赤松政村これを定む」
と今に伝えられています。
やひら手を とりにし神も あらましを
きねか 鼓の 音は絶せぬ
赤松広秀
(鶏籠山上にあった古龍野城の城主)
明治維新以前は、揖保川町域を含む、十六か村が氏子域
でしたが、現在は、五か村(揖保上・揖保中・今市・正條・
新在家)となっています。
記録の上では、八枚(八尋)社刀踊り等の故事が
あったと言われていますが、今では途絶えてしまいました。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、国作大己貴命。
創立年月は不詳
明治7年(1872年)2月郷社。
大正2年(1913年)2月県社。
大正2年(1913年)7月神饌幣帛料供進神社指定。
江戸時代までは「八牧明神」と呼ばれていた。
播磨国宍粟郡の式内社一の宮伊和神社を北宝殿と云うのに対し、本社を南宝殿と云う。その訳は両社共に祭神が同じで、伊和神社が北向きに建つていて主として国内の北部を経営されたのに対し、本社は南向きで、国内の南方を開拓されたからと云う。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:国作大己貴命(クニツクリオオナムチノミコト)
祭記事:
◆獅子舞奉納(新在家地区)
戦後(約50年間)途絶えていた獅子舞が、平成8年から青年団を中心に復活の兆しが見え、近年では自治会・子供会の協力もあり、年2回(正月・秋季例祭)舞われるようになった。
◆太鼓奉納(今市地区)
今市地区の住人で結成している今市郷土芸能保存会による太鼓奉納。
◆氏子総踊り(伊勢音頭・播州音頭)
この他、秋季例祭には、年番(当番)自治会による催し事が奉納される。
由 緒:
旧社格 県社 延喜式揖保郡七坐の内
御神紋 子持ち亀甲に米
御由緒
夜比良神社の創建は、1200年以前といわれています。
御祭神の大己貴命(オオナムチノミコト)は、「播磨国風土記」にみられる葦原醜男命(あしはらしこおのみこと)で、他に大国主命(おおくにぬしのみこと)、大汝命(おおなむちのみこと)など、多くの名前で呼ばれ、出雲大社の御祭神と同神です。
はじめ出雲国を開拓された大神は、因幡国を経て播磨国に入られ、伊和神社(現宍粟市一宮町)に鎮座されました。
また揖保川に沿って南下され、粒丘に足を留められ、人々をいつくしみ、この地方を開かれ災禍を祓い除かれました。
この故事により、播磨国の一の宮である伊和神社を「北方殿」
と呼ぶのに対し、揖保川流域の南をお護りする夜比良神社を「南方殿」と呼びます。
また、中世には、下揖保荘の総鎮守として、播磨国の豪族赤松氏そ尊崇をあつめ、「神式は赤松政村これを定む」と今に伝えられています。
古来、農業の神、病気平癒の神、健康の神、福の神、縁結びの神、学問の神として信仰されています。
とある。
夜比良神社のある当地は、揖保川東岸の堤防のすぐ脇となる。
北東500メートルほどに311-060_中臣印達神社があり非常に近い。
この500メートルという距離は独立した式内社としては非常に近いのではないだろうか。
周囲には揖保上遺跡(兵庫県考古博物館資料による)がある。
夜比良神社のご祭神は、大己貴命。
このご祭神は播磨国一宮である伊和神社と同じで、社伝によると伊和神社は「北方殿」、夜比良神社を「南方殿」と呼ぶとある。
ただ記録がほとんど残ってないので謎が深い神社であることは間違いない。
夜比良神社へのアプローチは難しくない。
国道2号線から揖保川大橋東詰より堤防上を北上する。
神社入り口に大きな看板が出ている、周囲は田畑と商業施設や工場となっている。
南側鳥居よりクルマで入り、ありがたいことに社域に駐車可能。
鳥居をくぐると舗装された参道が200メートルほど続いている。
参道を進むと左手に舞台の建物があり拝殿前の広場に到着する。
広場の右手には手水舎、左手にはいくつかの建物がある。
拝殿前には立砂があり社域は非常にきれいに保たれている。
拝殿後方の本殿は拝殿とは繋がっておらず、さらに鳥居・垣・門が設置されている(残念ながら近づけない)。
拝殿・本殿ともに比較的新しいように思われ状態も非常に良い。
訪問した当日は補修作業がなされていた。
地域の尊崇は厚いが記録がほとんど残ってない神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2019/3/2
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。