308-100_(論)岩屋神社

比定社:(論)岩屋神社

式内社コード:308-100
神名帳社名 :伊和都比売神社 イワツヒメノ
社    格:小
所 在 地 :673-0893 兵庫県明石市材木町8-10
Plus Code  :JXVQ+G7 明石市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いわやじんじゃ」と読む、地名の明石市材木町は「あかししざいもくちょう」と読む。
国道2号線の大明石町2丁目交差点を南下して500メートルほどで突き当りになる東側にある。
(論)岩屋神社は南面しており、ありがたいことに道路反対側の倉庫前に駐車場がある(表示が小さいので少々分かりにくい)。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通1】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

地域に愛されていることがよく分かること。

写真

(論)岩屋神社を正面から望む。鳥居は無く注連柱、右手の白い建物が社務所。撮影時刻は午前中の10時だがすでに大人も子供も多くの人が訪れていたのが印象的。
(論)岩屋神社を正面から望む。鳥居は無く注連柱、右手の白い建物が社務所。撮影時刻は午前中の10時だがすでに大人も子供も多くの人が訪れていたのが印象的。
右側(東)を望む。周囲は住宅街となっている。
右側(東)を望む。周囲は住宅街となっている。
正面(南)を望む。200メートルほど先に海が見えている。その向こうは淡路島となっていて強く関係性を感じさせる立地。
正面(南)を望む。200メートルほど先に海が見えている。その向こうは淡路島となっていて強く関係性を感じさせる立地。
左側(西)を望む。垣の角にある神社の看板を右へ行くと500メートルほどで国道2号線になる。
左側(西)を望む。垣の角にある神社の看板を右へ行くと500メートルほどで国道2号線になる。
注連柱を過ぎると正面に拝殿。
注連柱を過ぎると正面に拝殿。
注連柱を過ぎると右手に社務所。コンクリート作りの非常に立派な建物となっている。
注連柱を過ぎると右手に社務所。コンクリート作りの非常に立派な建物となっている。
注連柱を過ぎると左手は広場となっている。
注連柱を過ぎると左手は広場となっている。
光源氏月見の松がある。名前の通り光源氏が月見をしたと伝えられている。
光源氏月見の松がある。名前の通り光源氏が月見をしたと伝えられている。
神社謹製の由緒書き。『成務天皇十三年六月十五日天皇の勅命により淡路島岩屋より御遷りに』なったとある。
神社謹製の由緒書き。『成務天皇十三年六月十五日天皇の勅命により淡路島岩屋より御遷りに』なったとある。
拝殿を正面より望む。拝殿自体は大きく立派で新しいと思われる、拝殿各部やご神灯には橘の神紋。
拝殿を正面より望む。拝殿自体は大きく立派で新しいと思われる、拝殿各部やご神灯には橘の神紋。
拝殿を右手より望む。
拝殿を右手より望む。
拝殿を左側より望む。奥に見える社務所の建物は左へ続いており非常に大きな建物。
拝殿を左側より望む。奥に見える社務所の建物は左へ続いており非常に大きな建物。
拝殿の右側より奥の本殿を望む。本殿は塀の中にあって見ることが出来ないのが残念。
拝殿の右側より奥の本殿を望む。本殿は塀の中にあって見ることが出来ないのが残念。
本殿裏手には小鳥居と戎さんのイラスト。地域に愛されている感が溢れている。
本殿裏手には小鳥居と戎さんのイラスト。地域に愛されている感が溢れている。
社域の一番奥に鎮座する大国社。
社域の一番奥に鎮座する大国社。
社域には石灯籠が多数ある、この石灯籠には文化六年(1809年)とある。
社域には石灯籠が多数ある、この石灯籠には文化六年(1809年)とある。
こちらの石灯籠には安政三年(1857年)とある。丁内安全とあるので町自体が力を持っていたと思われる。
こちらの石灯籠には安政三年(1857年)とある。丁内安全とあるので町自体が力を持っていたと思われる。
一周回って拝殿を左側より望む。ひっきりなしに地元の方が参拝されているのが印象的だった。
一周回って拝殿を左側より望む。ひっきりなしに地元の方が参拝されているのが印象的だった。
拝殿前より注連柱を望む。古代山陽道や西国街道が近くを通り明石の交通の要衝にあったと推測される。
拝殿前より注連柱を望む。古代山陽道や西国街道が近くを通り明石の交通の要衝にあったと推測される。

感想


神社謹製の由緒書きによると

御祭神
 伊弉諾命、伊弉冊命、大日霎命(天照皇大神)、蛭子尊(ゑびすさん)、素盞鳴命(ぎおんさん)、月読命
御由緒
 成務天皇十三年六月十五日天皇の勅命
 により淡路島岩屋より御遷りにまりし
 東播の古大社として古くより崇敬篤く
 明石城主の産土神として尊ばれ社領
 十二石五斗を賜われる亦当社は式内社
 伊和都比賣神社に比定される
御神徳
 家内安全、商売繁盛招福の神災厄消除
 縁むすびの神として御神徳広く崇敬される
オシャタカ舟神事(明石市指定無形文化財)
 淡路岩屋より御遷なりし当時を偲ぶためそれ以後
 連綿として行われている神事で夏大祭に行なわ
 れている、成務天皇の勅命により当浜の名主(六人
 衆という)が新船を造り一族郎党を引連れ淡路に
 渡り御皇神を船に遷し賜り帰路に着いた所途中
 八百潮早く波風高く船を当浜に着ける事が出来ず
 西の方林崎前の赤石(明石の起源)の所で一夜の泊り
 をなし、その時神前に御供へしたのが現在も特殊神
 饌として伝わっている(現在も宵宮の朝松江海岸に
 て行われている)朝旦に至って波風もおさまり今
 の地に鎮座されたのである行事の内容は明石浦の
 漁業青年達が一艘の船に五名約三十名が選出され
 神船に神々を奉鎮し立泳しつつ頭上高く持ち上げ
 「オシャタカー」(よくおいで下さいました)と唱へつつ前方に押
 し進め渡御式を行う往時は岩山で行われしが
 近年は松江海岸(赤石)まで行われる、旧暦六月十五日
 に行われていたが近年は七月第三日曜日に行われる
祭禮日
 一月元日二日三日  初詣
 一月九日十日十一日 初えびす
 二月三日      節分祭
 二月十七日     祈年祭
 七月第三日曜日   オシャタカ舟神事 夏大祭
 十月第二日曜日   例祭(秋大祭)
 十一月二十五日   新嘗祭
 十一月中      七五三まいり

とある。


岩屋神社Webサイトによると

ご由緒
 岩屋神社は、令和5年に御鎮座1880年を迎えました
 別称    岩屋エビス (西摂大観) 六所大明神(古称)
       伊和都比売神社(神名帳考證)
 社格    式内社 旧懸社
 現地名   兵庫県明石市材木町8ー10
 旧地名   東戎町
      〔播磨鑑〕大明石中ノ庄
      〔特選神名牒〕当津庄中庄村
 旧境内地面積  旧坪数1084坪
御祭神(六座)
 伊弉諾命 いざなぎのみこと
 伊弉冊命 いざなみのみこと
 大日霎命 おおひるめのみこと(天照大神)
 月読命  つくよみのみこと  
 素盞鳴命 すさのをのみこと
 蛭子命  ひるこのみこと(恵比須神)
御由緒
 成務天皇13年(143年)6月15日勅命により、淡路島
 岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、
 江戸時代に入ると明石城主の産土神として尊ばれ、例年藩主
 自らが参拝。社領12石5斗を賜わる。
 元文2年(1737年)には藩主松平直常の世継、松平直純が11歳
 になり「鎧始めの儀」の際に当社に参拝。以後、世継の鎧始め
 の儀の際には当社への参拝が慣例となる。
 明治7年2月郷社に列し、同12年7月に県社に昇格。
 亦当社は式内伊和都比賣神社に比定される。
 (『神名帳私考』『神名帳考證』
  『神社覈録』『金波斜陽』による)
 社殿は、明石海峡をへて淡路島に對し、社の東の明石港には
 淡路との連絡船が発着する。
 当社の北方約300メートルを西国街道が東西に通ずる。
 当社付近は古くから大明石村と称し、(慶長播磨國繪圖)
 市名の起源となった。
御神徳
 家内安全・商売繁盛・開運招福・災厄消除・縁結びの神として、
 御神徳広く崇敬される。
営造物
 本殿  銅板葺流れ造り
 弊殿  銅板葺切妻造り
 拝殿  銅板葺入母屋造り
 社務所 結婚式場 鉄筋コンクリート造り 現在の社殿は、
     昭和29年(1954年)に再建されたもの。
境内社
 猿田彦神社(猿田彦命)
 随神社(豊磐間戸命・櫛磐間戸命)
 弓洲恵神社(武甕槌命)
 粟島神社(少彦名命)
 住吉神社(少童海神)
 八幡神社(誉田別尊)
 水分神社(水分神・瀬織津彦神・瀬織津姫神・水速女神・
      彦龍神・比賣龍神・豊玉比賣神・玉依比賣神・
      底筒男之命・中筒男之命・上筒男之命)
 稲荷神社(稲倉魂神)
 蛭子社(蛭子命)

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、伊弉諾尊・伊弉册尊・大日靈尊・月読尊・蛭子尊・素盞嗚尊。

成務天皇13年(143年、諸説あり)6月15日淡路島岩屋より勧請。
天正3年(1575年)6月炎天のため雨乞。
明治7年(1874年)2月郷社。
明治12年(1879年)7月県社。
昭和20年(1945年)7月6日焼夷弾空襲で全焼。

江戸時代までは『岩屋恵比寿』と呼ばれていた。
成務天皇13年6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。亦当社は式内社伊和都比賣神社に比定される。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:伊弉諾尊(イザナギノミコト)
配祀神:伊弉冊尊(イザナミノミコト)・大日●尊(●は靈の巫→女)(オオヒルメノミコト)・月読尊(ツキヨミノミコト)・蛭子尊(ヒルコノミコト)・素盞嗚尊(スサノオノミコト)

祭記事
1月 1日 歳旦祭
1月10日 ゑびす祭
2月 3日 節分祭
2月17日 祈年祭
7月第3日曜日 夏大祭(オシャタカ舟神事)
10月第2日曜日 例祭(秋大祭)
11月25日 新嘗祭

オシャタカ舟神事
 明石浦の漁業青年たちが一隻の舟に5名、約30名が選出され神船に神々を奉鎮し立ち泳ぎしつつ頭上高く持ち上げ「オシャタカ!」(よくおいでくださいました)と唱えつつ前方に押し進め渡御祭を行う。

由緒:
 成務天皇13年6月15日勅命により、淡路島岩屋より御遷になり、東播の古大社として古くより崇敬篤く、明石城主の産土神として尊ばれ社領十二石五斗を賜わる。
 当社は式内社伊和都比売神社に比定される。
 元県社。

とある。


播磨国、明石郡、伊和都比売神社の論社のひとつ。
(論)岩屋神社のある当地は、古代山陽道が近くを通っており近隣に明石駅家があったと思われる(まだ解明されていない)。
また西国街道は当社の300メートルほど北を東西に通っており陸路の交通の要衝であったことが分かる。
かつて当社の南はすぐに砂浜となっていたと思われる。

(論)岩屋神社のご祭神は、伊弉諾尊、配祀神として伊弉册尊・大日靈尊・月読尊・蛭子尊・素盞嗚尊。
成務天皇13年(143年)に淡路島岩屋より勧請と伝わっている。
淡路島岩屋に鎮座する「360-030_石屋神社」のことだろうか(個人的見解です)。
他の論社と同様に伊和都比売神社との関係が全く分からない。

(論)岩屋神社へのアプローチは分かりやすい。
国道2号線の大明石町2丁目交差点を南下して500メートルほどで突き当りになる東側にある。
(論)岩屋神社は南面しており、ありがたいことに道路反対側の倉庫前に駐車場がある(表示が小さいので少々分かりにくい)。

(論)岩屋神社には鳥居は無く入口には立派な注連柱が建っている。
周囲は民家が多く、かつては神社前が砂浜だったようだ。
注連柱を通って社域に入ると右手にはコンクリート作りの立派な社務所が建っている。
祭礼の練習日だったのだろうか、人々がひっきりなしに訪れていて地域と近しい関係なのが印象的だった。
立派な社務所前を右手に見ながら進むと拝殿に到着する、拝殿は立派な作りで大きい。
拝殿奥には塀に囲まれた本殿が鎮座するが見ることができないのが残念。
本殿後方には小鳥居があって戎さんのイラストが描かれている。
現在の社域は広くはないがきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。
文化安政期の年が入った石灯籠があって江戸時代にも人々がここに集まっていたのだろうと想像すると楽しい。

地域との密接な関係を強く感じる神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2024/9/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7S3 + FE 20-70mm F4 G