比定社:(論)惣社
式内社コード:308-030
神名帳社名 :物部神社、モノノヘノ
社 格:小
所 在 地 :651-2111 兵庫県神戸市西区伊川谷町上脇1005
Plus Code :M2GC+X4 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「そうしゃ」と読む、地名の伊川谷町上脇は「いかわだにちょうかみわき」と読む。
伊川の川筋が作る伊川谷の西岸の丘陵地に鎮座。
位置的には伊川谷ジャンクションの東700メートルほどの場所になる。
兵庫県道16号明石神戸宝塚線の新末田橋の交差点を北へ入り突き当りの北別府2の交差点を東へ80メートルほどで北へ入ると惣社の前。
ここから270メートルほどで到着する。
ありがたいことに左手に駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
伊川や古代山陽道との位置関係。
写真
感想
神社謹製の惣社復興事業記念碑によると
惣社は、大己貴尊、素盞嗚尊、経津主尊、武甕槌
尊を祭り、物部神社とも称され、延久三年(一〇七
一)の再建と伝えられている。延喜式の制に於いて
は小社に列し、伊川谷の総氏神として崇められ、明
治七年(一八七四)には郷社に列せられた崇敬篤き
神社である。
旧社殿は宝暦十一年(一七六一)に造営されたも
のであり、社殿の老朽化に加えその後平成七年(一
九九五)阪神淡路大地震に遭遇し、甚大な被害を受
けたが、逸速く氏子崇敬者より多大な浄財を得て平
成七年(一九九五)建設委員会を立ち上げ第一期工
事として「拝殿の再建」を行ない、次いで復興委員会
を組織し第二期工事として「本殿解体修復」「玉垣
及び石積」「境内社建替」「手水舎建替」工事に着
手、八年の歳月を要し、平成十六年(二〇〇四)に
完成し、創建当初の様相を見るに至る。
此処に記念碑を建立し永く後世に語り継ぐもので
ある。
とある。
惣社神社のWebサイトによると
[御由緒]
神功皇后が朝鮮遠征の帰途明石川を船で上り此処で一休みして「大国主を此処に祀れ」と命じたのがこの惣社の創始であると伝えられています。
創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1704)9月再建し、太山寺密教院の定樹法師の勧請と伝えられており、ここでいう勧請とは再建の時の事を指すと思われます。
又、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所蔵の明石郡9座の一つ物部明神を当社に当てています。
5世紀後半には大和朝廷が確立し、明石の国も國造によって治められる事になり6世紀には大和王朝の物部系の郡司により郡中の神社の神々を集めて祀ったことから13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになりました。
また江戸時代、明石城主の崇敬篤く3石の黒印領を寄せている。
神社背後の鬼神山には数基の古墳が見られ、調査の結果、鏡や土器の形式から4世紀のものと推定され早くから文化の進んだ地域であったことがわかります。
現在の本殿は宝歴11年(1761)に旧社殿の古材を用いて造営されたものです。
主祭神大己貴尊(大国主尊)は人々の幸福のために慈愛を注がれた極めて寛大なお心をもった大神様であります。
[創建1000年の惣社神社]
伊川谷惣社(いかわだにそうしゃ)は、延喜式神名帳の物部神社に比定される神社のひとつで、惣社神社とも呼ばれています。
[主祭神]
大己貴尊(おおなむちのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)・経津主尊(ふつぬしのみこと)・武甕槌尊(たけみかづちのみこと)
[近代社格]
旧郷社
[創建]
伝 神功皇后御世
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、大己貴尊・素盞嗚尊・経津主尊・武甕槌尊。
延久3年(1071年)に再建と伝。
延文3年(1358年)太山寺密教院定喜法印によつて勧請とも伝。
宝暦11年(1761年)に造営(追加)。
明治7年(1874年)郷社(追加)。
平成7年(1995年)阪神淡路大震災にて被害、拝殿を再建(追加)。
平成16年(2004年)本殿解体修復、玉垣及び石積、境内社建替、手水舎建替(追加)。
江戸時代までは「惣社神社」と呼ばれていた。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地に立ち寄り大己貴尊を祀ったのが当社の始まりという。
その後、衰微していたが延久3年(1071年)に再建されたと伝えられている。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:大己貴尊(オオアナムチノミコト)
配祀神:経津主尊(フツヌシノミコト)・武甕槌神(タケミカツチノカミ)・素盞嗚尊(スサノオノミコト)
祭記事:
春祭りは一石四斗の餅撒き、秋祭りには、各地区からくり出す櫓太鼓四基、獅子三基、神輿等々、また、奉納相撲などもあり、クライマックスの神事祭は圧巻である。
由緒:
神功皇后が、朝鮮遠征の帰途、明石川から伊川を船でのぼり、ここで一休みして、「大国主命をここに祀れ」と命じたのが、この惣社の創始であると伝えられている。創立年代は詳らかでないが、後三条天皇の延久3年(1071)9月再建し、太山寺密教院の定喜法師の勧請と伝える。ここでいう勧請とは、再建の時のことをいうのであろうと思われる。
また、『延喜式』の物部神社、『国内鎮守大小明神社記』所載の明石郡九座の一つ惣部明神を、当社にあてている。5世紀後半には大和王朝が確立し、明石の囲も国造によって治められる事になり、6世紀には、大和王朝の物部系の郡司により、郡中の神社の神々を集めて祀ったことから、13世紀の鎌倉時代以降は惣社といわれるようになった。
また、江戸時代、明石城主の崇敬篤く、三石の黒印領を寄せている。神社背後の鬼神山には数基の古墳がみられ、調査の結果、鏡や土器の形式から四世紀のものと推定され、早くから文化の進んだ地域であったことがわかる。
現在の本殿は、宝暦11年(1761)に、旧社殿の古材を用いて造営されたものである。
とある。
(論)惣社のある当地は伊川流域の谷筋にある、明石川に対して伊川はその支流のような存在だ。
当地はなかなか興味深い地域で五色塚古墳からは北へ5kmほど、明石の市街地からは北東に4kmほどの場所である。
伊川谷に沿って古くより開けた地域のようで周囲には下記の遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
谷ノ上群集墳・池上北遺跡・中ノ谷群集墳・水呑谷群集墳・池ノ内群集墳・柏ヶ谷群集墳・岡遺跡・池上口ノ池遺跡・西区№226遺跡・西区№227遺跡・上脇遺跡・表山遺跡。
古代山陽道との関係で言えば、須磨駅家と明石駅家の間に位置しており、伊川谷が荒天時の北側への迂回路にあたるのかもしれない(個人的見解です)。
(論)惣社の表記や呼称はイロイロあるようで、Webサイトによると「惣社神社」、兵庫県神社庁によると「惣社」、そして通称は伊川谷惣社となっている。
当記事内では「惣社」に統一する。
(論)惣社のご祭神は、大己貴尊・素盞嗚尊・経津主尊・武甕槌尊となっている。
延喜式神名帳・播磨国・明石郡の物部神社の論社のひとつとしてはどういう関係になるのだろうか。
(論)惣社へのアプローチはクルマであれば比較的分かりやすい。
兵庫県道16号明石神戸宝塚線の新末田橋の交差点を北へ入り、突き当りの北別府2の交差点を東へ80メートルほどで北へ入ると惣社の前だ。
ありがたいことに向かって左手に駐車場が完備されている。
現在の(論)惣社の周囲は住宅地だったり学校だったり開けた場所だが、かつては鬱蒼とした森の中にあったのだろう、その名残が背後の小高い丘に残っている。
真新しい鳥居をくぐると広々とした神域が広がる、右手には木々が生い茂り左手には社務所や駐車場がある。
広場の真ん中に土俵があり、その向こうの1段高い場所に拝殿と神庫がある。
拝殿は非常に端正で立派なもの、拝殿の後方には拝殿と連結した形でさらに1段高い場所に立派な本殿がある。
現在の建物は1995年の阪神淡路大震災後に建て替えられたものであるということだ。
社域にある石灯籠には元禄期の銘がある。
拝殿内部は非常にきれいに保たれており数多くの供物があり地域の尊崇厚いことが感じられる。
お邪魔している際にも近隣の方の参拝が絶えなかった。
伊川流域の伊川谷の発展に深く関係した神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2023/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、X-T4 + XF16-55mm F2.8 R LM WR
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。