263-040_大賣神社(大売神社)

比定社:大賣神社(大売神社)

式内社コード:263-040
神名帳社名 :大売神社、オホヒメノ
社    格:小
所 在 地 :669-2366 兵庫県篠山市寺内356
Plus Code  :36QC+R9 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

おおひるめじんじゃと読む。
寺内集落の北の平地に鎮座。
南へ200メートルほどの場所に社標がある。
こじんまりしているがよく手入れされ大事にされているのがよく分かる。
クルマは鳥居前に短時間なら駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

神社と昼目谷との関係。

写真

大賣神社の南200メートルほどの場所に車表がある。神社名の上は削られており判読不明。
大賣神社の南200メートルほどの場所に社標がある。神社名の上は削られており判読不明。
大賣神社を正面より望む。すぐ脇を道路が走り、ちょっといびつな配置。
大賣神社を正面より望む。すぐ脇を道路が走り、ちょっといびつな配置。
右側(東)を望む。この道はかつての街道だったとは思えない。
右側(東)を望む。この道はかつての街道だったとは思えない。
正面(南)を望む。神社前は多少スペースがあるので短時間なら駐車可能。
正面(南)を望む。神社前は多少スペースがあるので短時間なら駐車可能。
左側(西)を望む。周辺は人家と田畑。
左側(西)を望む。周辺は人家と田畑。
鳥居をくぐると左手に由緒書がある。式内社、縣社、ご祭神は大宮賣命とある。
鳥居をくぐると左手に由緒書がある。式内社、縣社、ご祭神は大宮賣命とある。
鳥居をくぐると広場があり拝殿がある。
鳥居をくぐると広場があり拝殿がある。
手水舎。
手水舎。
拝殿を左から望む。拝殿の左に神饌所のような建物が付いている。
拝殿を左から望む。拝殿の左に神饌所のような建物が付いている。
拝殿正面はガラスがはめ込まれていて中が見えるようになっている。
拝殿正面はガラスがはめ込まれていて中が見えるようになっている。
拝殿後方の本殿を望む。拝殿と本殿両方ともなかなか立派なもの。
拝殿後方の本殿を望む。拝殿と本殿両方ともなかなか立派なもの。
狛犬の説明書き。室町後期の作とある。
狛犬の説明書き。室町後期の作とある。
室町後期の狛犬はたぶんこれだと思われる。なんだかぬいぐるみのようでカワイイ。
室町後期の狛犬はたぶんこれだと思われる。なんだかぬいぐるみのようでカワイイ。
室町後期の狛犬の裏側。丸くふっくらとしている。
室町後期の狛犬の裏側。丸くふっくらとしている。
本殿を望む。大きな本殿で彫り物組物が施されているが全体的に渋い造り。
本殿を望む。大きな本殿で彫り物組物が施されているが全体的に渋い造り。
本殿を右側から望む。横にも彫り物が施されており、よく見ると豪華な造り。
本殿を右側から望む。横にも彫り物が施されており、よく見ると豪華な造り。
本殿の後ろ側を望む。少ないながらも後ろにも彫り物が施されている。
本殿の後ろ側を望む。少ないながらも後ろにも彫り物が施されている。
本殿を左側から望む。
本殿を左側から望む。
拝殿の左側にある神饌所のような建物を左側から望む。小さな窓が付いていて何かを受け渡すような場所なのだろうか。
拝殿の左側にある神饌所のような建物を左側から望む。小さな窓が付いていて何かを受け渡すような場所なのだろうか。
神饌所のような建物を望む。神饌所はよくあるが受け渡し口が付いているのは珍しい。
神饌所のような建物を望む。神饌所はよくあるが受け渡し口が付いているのは珍しい。
拝殿より鳥居を望む。
拝殿より鳥居を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

延喜式内社
 縣社 大賣神社
鎮座地 城北村寺内字晝目谷
祭 神 大宮賣命
配 神 素戔嗚命・大歳命・應神天皇・
    武甕槌命・大山主命・経津主命・
    天兒屋根命・姫大神・鷲尾十郎
神 紋 合せ柏
由緒
延喜式内社に所載せられ元禄元亀天正の間は領主丹波八上城主波多野秀治の祈願所にて崇敬篤く慶安二年松平信康以降五世信岑に至るまで深く当社を崇敬した。享保十八年後西天皇の姫宮たち宝鏡寺門跡は正一位大賣神社の神領を染筆遊ばさる。明治六年村社に列し同四十一年城北村九ヶ村の村社六社無格社十社計十六社を合祀して元北の庄内の總社となる大正十年郷社に列し昭和四年縣社に昇格す。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
垂仁天皇の御宇(BC29~70年、諸説あり)創建(修正)。
桓武天皇の御代(781~806年)始めて神殿造営(修正)。
永禄・元亀・天正の頃(1558-1592年)領主波多野秀治の祈願所(修正)。
寛文元年(1661年)社殿再建。
正徳4年(1714年)正一位奉授。
明治6年(1873年)村社。
大正10年(1921年)郷社。
昭和4年(1929年)県社。
江戸時代までは「昼目観音」と呼ばれていた。
垂仁天皇の御代皇女天磐船にて當地に幸し給い榊を植え注連縄を張り木を曲げて神籬を建て皇祖大日霊命を祭り給いしに初まる。
とある。

かつて、このあたりは晝目谷(昼目谷)と呼ばれていたようだ。
これは、ご祭神なのか、神社なのか、地名なのか、何が起源なのだろうか。

創建は、さすがに古すぎてよく分からない…。
江戸時代までは盡目山圓光寺という習合した形だったが、明治元年(1868年)に分離した。
周辺には八上城、篠山城があり、各時代の城主からの尊崇も厚かったようだ。

現在の社域は広くはないがかつてはかなり大きな規模だったのかもしれない。
社殿は寛文元年(1661年)再建とある、かなり立派な作りをしていて大きい。
地域に大いに大事にされている様子がよく分かる。
非常によく手入れされていて気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日:2018/1/28、2021/9/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM