308-070_赤羽神社

比定社:赤羽神社

式内社コード:308-070
神名帳社名 :赤羽神社、アカハノ
社    格:小
所 在 地 :651-2124 兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和1445
Plus Code  :M264+W2 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「あかばじんじゃ」と読む、地名の伊川谷町潤和は「いかわだにちょうじゅんな」と読む。
伊川の川筋が作る伊川谷の東岸の丘陵地に鎮座。
位置的には明石運転免許試験場の西側200メートルほどの場所。
兵庫県道366号有瀬大蔵線の運転免許更新センターの交差点を北へ400メートルほどで西へ350メートルほどで参道の途中に交わる。
ここから北へ150メートルほどで車止めのある神社入り口、東側に広大なクルマを停めることのできるスペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

かつては広大な社域を持っていたと思われる配置。

写真

赤羽神社を正面より望む。
赤羽神社を正面より望む。
右側(東)を望む。右手には赤羽神社の社域が続いていてクルマの駐車も可能、公園のようになっている。
右側(東)を望む。右手には赤羽神社の社域が続いていてクルマの駐車も可能、公園のようになっている。
正面(南)を望む。実はこの先200メートルほどのところに一の鳥居がある。それ以外は鳥居は無い。
正面(南)を望む。実はこの先200メートルほどのところに一の鳥居がある。それ以外は鳥居は無い。
左側(西)を望む。突き当りが潤和上ノ丸線。
左側(西)を望む。突き当りが潤和上ノ丸線。
神戸市西区謹製の説明書。垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「赤羽玉」より赤羽神社の名がおこったとある。この右手にも神社謹製の赤羽神社由緒の石碑もある。
神戸市西区謹製の説明書。垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「赤羽玉」より赤羽神社の名がおこったとある。この右手にも神社謹製の赤羽神社由緒の石碑もある。
石碑前より山門と拝殿を望む。
石碑前より山門と拝殿を望む。
規模は小さいが山門がある。ここから社域は垣に囲まれている。
規模は小さいが山門がある。ここから社域は垣に囲まれている。
山門前より右側を望む。向こうにも駐車場や広場があり全体的にはかなり広い社域だ。
山門前より右側を望む。向こうにも駐車場や広場があり全体的にはかなり広い社域だ。
山門前より参道方向を振り返る。
山門前より参道方向を振り返る。
山門前より左側(西)を望む。
山門前より左側(西)を望む。
山門をくぐると広場その向こうに拝殿がある。
山門をくぐると広場その向こうに拝殿がある。
広場の右側を望む。
広場の右側を望む。
山門のすぐ右手には手水舎。
山門のすぐ右手には手水舎。
広場の左側を望む。社務所と神庫だろうかいくつかの建物がある。
広場の左側を望む。社務所と神庫だろうかいくつかの建物がある。
社務所の脇にはもう一つの手水鉢。
社務所の脇にはもう一つの手水鉢。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を左側より望む。背後の社叢は豊かだ。
拝殿を左側より望む。背後の社叢は豊かだ。
拝殿後方の右側より本殿を望む。
拝殿後方の右側より本殿を望む。
本殿左奥より拝殿を望む。左にチラッと赤い塀が見えている。
本殿左奥より拝殿を望む。左にチラッと赤い塀が見えている。
本殿の右側にある社。詳細は不明だが赤い塀の中にある、赤い塀は珍しい。
本殿の右側にある社。詳細は不明だが赤い塀の中にある、赤い塀は珍しい。
拝殿前より山門越しに参道を望む。
拝殿前より山門越しに参道を望む。

感想


神社謹製の赤羽神社由緒によると

赤羽神社由緒
社名
 当社は延喜式内社の一社にして播磨国五
 十座の内、明石郡九座の内の一座なり。
 延喜式当時の社名の清濁については「ア
 カハ」と読むか、「アカバ」と濁るのか
 さだかでない。現在は濁って「アカバ」
 と称する。
鎮座地
 兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和一四四五番地
 地名「潤和」は、万葉集に左記の通り
 二首読まれる。
  秋柏潤和川べのしぬのめの人にしぬ
  べば君にたへなく
  朝柏閏八河邊のしぬのめのしぬびて
  寝れば夢に見えけり
 井上通泰は、播磨国明石郡伊川谷村の
 「潤和」が有力と説く。
御祭神
 天羽赤玉命 伊弉諾命
 軻遇突知命 大日靈貴命
 天羽赤玉命は伊弉諾神の御子高魂命の孫
 とも伝えられ、玉連造、玉祖連の遠祖と
 仰がれる。天明玉命、天豊玉命、玉祖命
 天櫛明玉命はこの神の別名といわれる。
 天照大神が天岩戸にお隠れの時、八坂瓊
 之五百筒御統曲玉を造り大神を慰めたと
 いわれる。
由緒
 社伝によると聖武天皇十八年勧請と伝う
 る。この十八年を天平十八年とすれば、
 翌年は奈良東大寺の大仏鋳造を始めた年
 になり、御即位より通算した天平十三年
 とすれば国分寺建設の詔が出た年となる
 。この頃に印南の東端の一角に当社が建
 設されたことになり、延喜の撰定をさか
 のぼること百五・六十年前のこととなる
 また、一説には当社の御祭神を垂仁天皇
 の御代、天日槍が将来した「羽明玉」と
 考えここより赤羽神社の名が起こったと
 され、この赤羽神社に関連して明石郡の
 郡名が起こったとされる。
 明治七年村社になる
 平成九年西区ふるさと自慢百選に指定さ
 れる。
祭礼
 新年祭 一月三日
 節分祭 二月節分日
 初午祭 二月初午日
 春 祭 三月第一日曜日
 秋 祭 例祭日の前日及び例祭日
 例 祭 十月第二月曜日
 新嘗祭 十一月二十八日
社殿
 本 殿 銅板葺流造七坪八合五勺
 幣 殿 瓦葺切妻造四坪二合五勺
 拝 殿 瓦葺き入母屋造八坪
式内社について
 醍醐天皇の勅命によって延喜七年(九〇
 七)編纂に着手し、二十年を要して延長
 五年(九二七)に完成した延喜式(五十
 巻)の第九、十巻(神命帳)にその名を
 登載された神社を式内社という。

とある。


神戸市西区謹製の赤羽神社によると

垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「赤羽玉」よ
り赤羽神社の名がおこったとされる。また、この
赤羽神社に関連して明石郡の郡名が起こったとも
いわれる。平安時代の延喜式神命帳にその名を搭
載された古い神社で明石郡九座の内の一座である。
秋祭りの「だんじり」は約130年の歴史があると
いわれているが、一時中断されていて、平成13年
(2001)に37年ぶりに復活した。

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、天羽赤玉神・伊弉諾命・軻遇突知命・大日靈貴命。

聖武天皇18年(741年諸説あり)勧請。
寛文6年(1666年)造営。
明治7年(1874年)村社。

江戸時代までは「赤羽四社大明神」と呼ばれていた。

播磨風土記によると須恵器文化を持ち込んだ天日槍が渡来時に持ってきた「赤石の玉」「羽太の玉」を奉納したことから赤羽神社と呼ぶようになった。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:天羽赤玉神(アメノハアカルタマノカミ)
配祀神:伊弉諾命(イザナギノミコト)・軻遇突智命(カグツチノミコト)・大日靈貴命(オオヒルメムチノミコト)

由緒:
 創立年不詳。社伝によると、聖武天皇18年勧請という。聖武天皇のご在位期間には、「神亀」と「天平」の二つの年号がある。この18年を天平18年(746)と考えると、翌年は、奈良の東大寺の大仏鋳造を始めた年になる。また、18年をご即位から通算してみると天平13年(741)であり、この年は国分寺建設の詔が出ている。社伝によるこういった頃に、この草深い印南の東端の一角に当社が建設されたことになり、延喜の撰定をさかのぼること150~160年前の事となる。明治7年(1874)、村社となる。
 『播磨名所巡覧図絵』では、赤羽神社の御祭神を、垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「羽明玉」と考えたうえ、「明石郡」の郡名の起原もここからだという。赤羽神社に関連して明石郡の郡名が起り、出石神社と関係があるというのも、誠に興味深いものである。鎮座地は明治初めより潤和といわれている。『万葉集』には二首読まれているが、この処かどうかは詳でないが、井上通泰は、「潤和はいづくか。今播磨国明石郡伊川谷村の大字に潤和と書きてジュンナと唱ふる処あり。或いは是か。」と説いている。

とある。


赤羽神社のある当地は伊川流域の谷筋にある、明石川に対して伊川はその支流のような存在だ。
その伊川谷の南岸、明石川との合流地点にほど近い丘陵地にある。
当地も古くより開かれた地域のようで周辺には下記の遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
新方遺跡・今池尻遺跡・潤和遺跡・東河原遺跡・赤羽遺跡・天王山遺跡・白水遺跡・西区№266遺跡・寒鳳遺跡・潤和横尾遺跡・白水瓢塚古墳・ザブカゼ古墳・白水瓢塚古墳。
古代山陽道との関係で言えば、須磨駅家と明石駅家の間に位置しており、伊川谷が荒天時の北側への迂回路にあたるのかもしれない(個人的見解です)。

赤羽神社のご祭神は、天羽赤玉命・伊弉諾命・軻遇突知命・大日靈貴命。
赤羽神社の神社名はご祭神の天羽赤玉命の転化ではないだろうか(個人的見解です)。
あめのは → あかば、という変化があったのかもしれない。
天羽赤玉命の詳細は不明だ。

赤羽神社へのアプローチは分かりやすようで分かりにくい。
位置的には明石運転免許試験場の西側200メートルほどの場所。
兵庫県道366号有瀬大蔵線の運転免許更新センターの交差点を北へ400メートルほどで西へ350メートルほどで参道の途中に交わる。
ここから南を見れば少し先に一の鳥居があり、赤羽神社からは300メートルほど離れている。
この交差点の反対側(北)150メートルほどで車止めのある神社入り口となる。
東側にクルマを停めることのできる広大なスペースがある。
かつての社域はたいへん広かったということが現代でも感じ取れる。

車止めのある場所より山門と拝殿が見えている。
未舗装の参道を進むと大きくはないが正面に山門があり垣がしつらえてある。
この山門はちょっと気になる存在で瓦には菊の紋が入りなかなか凝った作りをしていることが分かる。
どういう経緯でこの山門が建てられたのだろうか。

山門をくぐると広場でいくつかの建物がある。
右手には手水舎、左手には社務所と神庫のような建物がいくつかある。
拝殿は最近建築されたようで真新しく立派な作り。
拝殿右手に赤い壁(珍しい)で囲まれた社があるが詳細は不明だ。
拝殿後方の本殿もなかなかに立派な建物となっており、こちらも比較的新しいと思われる。

由緒には天日槍の名も見え、北からこのあたりまで遠征してきたのだろうか。
播磨国と天日槍の関係は深いので想像すると楽しい。

伊川谷に残る天日槍の足跡を残す神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2023/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、X-T4 + XF16-55mm F2.8 R LM WR