比定社:宇留春日神社
式内社コード:308-010
神名帳社名 :宇留神社、ウルノ
社 格:小
所 在 地 :651-2265 兵庫県神戸市西区平野町宮前字宇留山57
Plus Code :PX5Q+H8 神戸市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「うるかすがじんじゃ」と読む、地名の平野町宮前は「ひらのちょうみやまえ」と読む。
国道175号線の平野連絡所前交差点を東に入り400メートルほど道が左カーブから入る。
社標がありこんもりとした小さな丘になっていて分かりやすい。
神社周辺に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
明石川との位置関係。
写真
感想
宇留春日神社のWebサイトによると。
神武天皇一族が明石川を船で上り、この平野地区に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かった(向宇留)といういい伝えがあり、当初は飛谷に鎮座していたが、斉明天皇6年(660)に今の宇留山に遷り、宇留宮・宇留の神社と呼ばれ、天皇が大和へ旅立つ前に遠望した石が遥拝所石碑として今も残っている。
『兵庫県神社誌中巻』に、「用明天皇2年(587)2月15日の創立と伝へ斉明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月両度社殿を再建す延書式に明石郡九座宇留神社とあるのは当社にして中世大和国春日神社と御同体の故を以て春日神社と称す…」と記されている。
本殿・幣殿・拝殿は18世紀後期の建造物で、また、昭和53年(1978)に大修理した能舞台も同時代のもので、いずれも平成11年(1999)2月に神戸市指定有形文化財に指定された。
祭 神/武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫大神
祭行事/年中行事の主なものは、大人神輿が氏子内を巡行する4月の春祭りと10月の秋祭りであるが、特に秋祭りには、ふとん太鼓三台・神輿一台・鼻高天狗・高提灯・祇園ばやしや、平成9年(1997)から復活した獅子舞等々の行列が巡行し、氏子地である西戸田・宮前・大畑・印路の平野地区の秋祭りとしては、当社の祭りが最も大きく勇壮である。
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神。
用明天皇2年(586年)鎮座。
齊明天皇6年(660年)社殿再建。
弘仁12年(821年)社殿再建(修正)。
享保6年(1721年)社殿再建。
明治7年(1874年)月村社。
昭和53年(1978年)能舞台修理(追加)。
平成11年(1999年)神戸市指定有形文化財(追加)。
江戸時代は「春日大明神」と呼ばれていた。
神武天皇の御代、大歳神を迎えて村を開き、氏神を勧請し、春日四所大明神が天降られたので宇留宮に奉齋したと伝えている。
本来の祭神は稻倉魂命、大歳神であり、此の平野庄の稻魂の守護神ではなかったかと思われる。
口伝によれば、旧西戸田村に元春日の地名並びに旧社地があり、何時の時代かに宇留山に移し奉つたと云う。
また、当初は飛谷に鎮座されていたが、斉明天皇六年(660年)にこの宇留山に遷ともいう。
当社が春日大社の元宮との説もある。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:武甕槌命(タケミカツチノミコト)
配祀神:経津主命(フツヌシノミコト)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・姫大神(ヒメノオオカミ)
祭記事:
年中行事の主なものは、大人神輿が氏子内を巡行する4月の春祭りと10月の秋祭りであるが、特に秋祭りには、ふとん太鼓三台・神輿一台・鼻高天狗・高提灯・祇園ばやしや、平成9年(1997)から復活した獅子舞等々の行列が巡行し、氏子地である西戸田・宮前・大畑・印路の平野地区の秋祭りとしては、当社の祭りが最も大きく勇壮である。
境内には稲荷社・若宮社・御門社の末社がある。
由緒:
神武天皇一族が明石川を船で上り、この平野地区に水田を開き、一人の皇子を残して天皇は東の大和へ向かった(向宇留)といういい伝えがあり、当初は飛谷に鎮座していたが、斉明天皇6年(660)に今の宇留山に遷り、宇留宮・宇留の神社と呼ばれ、天皇が大和へ旅立つ前に遠望した石が遥拝所石碑として今も残っている。
『兵庫県神社誌中巻』に、「用明天皇2年(587)2月15日の創立と伝へ斉明天皇6年9月及び嵯峨天皇弘仁12年9月両度社殿を再建す延書式に明石郡九座宇留神社とあるのは当社にして中世大和国春日神社と御同体の故を以て春日神社と称す…」と記されている。
本殿・幣殿・拝殿は18世紀後期の建造物で、また、昭和53年(1978)に大修理した能舞台も同時代のもので、いずれも平成11年(1999)2月に神戸市指定有形文化財に指定された。
とある。
宇留春日神社のある当地は明石川の東岸、河岸段丘上の小高い丘に鎮座。
河岸段丘の上段(東側)は西神ニュータウンとして開発されている。
古くより開けた場所のようで周囲には、春日神社遺跡・春日神社裏山群集墳・春日神社西遺跡・西神N.T.№55遺跡・西神N.T.№56~№60遺跡などがある(兵庫県考古博物館資料による)。
この地域はどうも明石川を中心に発展してきたと思われる。
宇留春日神社のご祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・姫大神。
ちなみに春日大社のご祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神なので同じだ。
春日大社との関係は不明だが、いずれかの時代にご祭神が変わってしまったのかもしれない(個人的見解です)。
延喜式神名帳の播磨国・明石郡・308-010_宇留神社(うるじんじゃ)の宇留とはどういう意味なのだろうか?
ちなみに他の式内社では
伊勢国 多気郡 056-210_宇留布都神社(ウルフツノ)
但馬国 養父郡 273-020_宇留波神社(ウルハノ)
出雲国 意宇郡 289-350_宇留布神社(ウルフノ)
の例がある。
これらの例では「ウル」のあとはハ行が来ているのが印象的だ。
そういう意味では宇留が付く神社の総社というべき存在なのかもしれない(個人的見解です)。
宇留春日神社へのアプローチは分かりやすい。
国道175号線の平野連絡所前交差点を東に入り400メートルほど道が左カーブしているところから入る。
社標がありこんもりとした小さな丘になっていて分かりやすい。
上り坂に社標がありすぐに分かる。
坂を登るとスペースがあるのでありがたいことに駐車可能。
この方向から入ると少々違和感のある配置となっていて、能舞台の後ろ側から入り拝殿の横方向から入る形となっている。
よく見ると拝殿の正面に石段があり下の道路まで続いている。
西側から石段を登って拝殿の正面に続く参道が本来のものだろう。
西側の正面から入っても能舞台が拝殿との間に張り出していてやっぱり違和感がある配置となっている。
なんだか能舞台を無理やり作ったような印象がある。
社域自体は現在でもかなり広いようで拝殿や本殿の後方に森が続いている。
社域には西向きの拝殿と後方の覆屋に入った本殿、前述の能舞台、南向きの稲荷神社と御門社がある。
拝殿は寺院のような形状、本殿は春日造で立派なもの、状態は非常に良く手入れが行き届いている。
本殿の裏までは塀で囲まれており総じて寺院のような作りとなっている。
明石川の開発に重要な役割を果たした神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2023/3/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、X-T4 + XF16-55mm F2.8 R LM WR
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。