270-060_依遅神社

比定社:依遅神社

式内社コード:270-060
神名帳社名 :依遅神社、エチノ
社    格:小
所 在 地 :627-0239 京都府京丹後市丹後町遠下風穴1219
Plus Code  :P5J2+RQ 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いじじんじゃ」と読む、地名の遠下は「おんげ」と読む。
遠下集落の南端の山裾に鎮座。
京都府道654号井辺平線の遠下集落より東へ入り500メートルほどで左手に鳥居が見えてくる。
新しく道路ができ、神社近くでは新しい道路からアプローチができないので徒歩で土手を乗り越えることになる。
本来の道は遠下集落より東へ入って200メートルほどで左の脇道へ入りアプローチする。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩3】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

依遅ヶ尾山との位置関係。

写真

依遅神社を正面より望む。京都府道654号井辺平線の遠下集落より東へ入り500メートルほどで左手に鳥居が見えてくる。
依遅神社を正面より望む。京都府道654号井辺平線の遠下集落より東へ入り500メートルほどで左手に鳥居が見えてくる。
道路より土手を下り徒歩で鳥居を目指す。
道路より土手を下り徒歩で鳥居を目指す。
実は、遠下集落より東へ入って200メートルほどで左の脇道へ入るとアプローチできる。この道が旧道なのだろう。
実は、遠下集落より東へ入って200メートルほどで左の脇道へ入るとアプローチできる。この道が旧道なのだろう。
神社へ行くには小さなコンクリートの橋を渡る。
神社へ行くには小さなコンクリートの橋を渡る。
小さな橋を渡ると鳥居の前にやっと到着。
小さな橋を渡ると鳥居の前にやっと到着。
神社自体は川より1段高いところにある。
神社自体は川より1段高いところにある。
鳥居をくぐると短い石段。拝殿前の左右に杉の巨木がある。
鳥居をくぐると短い石段。拝殿前の左右に杉の巨木がある。
石段脇の社標には式内とある。
石段脇の社標には式内とある。
社域には古い石標や石灯籠が残っている。石標には天保13年(1842年)とある、石灯籠は年代不詳だがワイルドな造形。
社域には古い石標や石灯籠が残っている。石標には天保13年(1842年)とある、石灯籠は年代不詳だがワイルドな造形。
拝殿を正面より望む。なぜか左端の戸が開いている。
拝殿を正面より望む。なぜか左端の戸が開いている。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。本殿は1段高くなっており拝殿と本殿の間には隙間がある。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。本殿は1段高くなっており拝殿と本殿の間には隙間がある。
拝殿と覆屋に入った本殿を左側より望む。周囲は豊かな社叢というよりも山林。
拝殿と覆屋に入った本殿を左側より望む。周囲は豊かな社叢というよりも山林。
拝殿内部より本殿を望む。本殿には彫り物組物が施されて豪華な印象。彫り物は中井権次一統によるもの、状態も良いようだ。本殿前には左右に社がある。拝殿内部は吹きさらしなので葉っぱが入り込んでいるがキチンと管理されている様子が分かる。
拝殿内部より本殿を望む。本殿には彫り物組物が施されて豪華な印象。彫り物は中井権次一統によるもの、状態も良いようだ。本殿前には左右に社がある。拝殿内部は吹きさらしなので葉っぱが入り込んでいるがキチンと管理されている様子が分かる。
拝殿前より鳥居を望む。神社自体は北西の方向を向いている。
拝殿前より鳥居を望む。神社自体は北西の方向を向いている。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、豊受比売神。

由緒不詳。
寛文12年(1672年)再建。
明治39年(1906年)同字の八柱神社(山根)・三柱神社(一ノ瀨)を合祀『丹後国竹野郡誌』(追加)。

江戸時代までは「牛頭天王社」と呼ばれていた。

本社は元、市ケ尾山上に鎮座していたが、中世氏子の転居に伴って現在地に遷座。
神社から西約1Kmの、依遲ケ尾山南麓の標高200~250m付近の平地に集落跡が認められる。

とある。


依遅神社のある当地は、丹後半島で唯一百名山になっている依遅ヶ尾山(いちがおさん)の東の山裾にあたる宇川の流域。
北はすぐに日本海、南は山々を越えて大宮、西は依遅ヶ尾山を越えると竹野川流域に通じる。
現代の感覚では当地は山奥の不便な場所だが、意外と街道筋が充実した場所。

依遅神社のご祭神は豊受比売神。
創建は不詳、当初は西へ1.3kmほどの依遅ヶ尾山に鎮座していたが、中世において氏子の転居に伴い現在地に遷座した(詳細は不明)。
当初、依遅神社は依遅ヶ尾山の南麓の東西を結ぶ峠近くに鎮座していたようだ。
氏子の転居に伴い遷座するというのは珍しいが、神社は氏子がいないと成り立たないので意外と多いのかもしれない。

依遅神社へのアプローチはすこしひねりが必要だ。
京都府道654号井辺平線の遠下集落より東へ入り500メートルほどで左手に鳥居が見えてくる。
新しく道路ができたようで、神社近くでは新しい道路からアプローチができないので徒歩で土手を乗り越えることになる。
本来の道は遠下集落より東へ入って200メートルほどで左の脇道へ入りアプローチすると神社前まで行けそうだ(未確認)。
訪問時はこのアプローチが見つけられなかったので道路にクルマを駐車し徒歩で土手を下った。
神社前には小さな川が流れており橋を渡るようになっている。

鳥居を目指して農道や草地を越え、さらに小さな橋を渡って鳥居にたどり着く。
鳥居をくぐると石段があり登ると社殿のある場所だ。
社域は広くない、拝殿と覆屋に入った本殿が一体になった社殿のシンプルな構成となっている。
拝殿前の2本の杉の巨木が印象的だ。
覆屋に入った寛文12年(1672年)に再建された本殿は、小ぶりだが彫り物組物が施されて豪華な作りとなっており状態も良いようだ。
本殿に施された豪華な彫り物は中井権次一統によるもの一見の価値がある、いつの時代のものだろうか。
本殿の前には向かい合わせに1組の社が鎮座している。

ロケーション的に一般の人が頻繁に訪問するとは思えないがキチンと維持されているのが良く分かる。
秋祭には三番叟・葵太刀とともに「遠下のちいらい踊」(京都府登録文化財)が奉納される。

依遅ヶ尾山の名前の元となったと思われる神社。

注意点

アプローチ道路が分かりにくいので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/8/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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