279-040_伊曽布神社

比定社:伊曽布神社

式内社コード:279-040
神名帳社名 :伊曽布神社(伊曾布神社)、イソフノ
社    格:小
所 在 地 :667-1363 兵庫県美方郡香美町村岡区味取880-2
Plus Code  :GHV8+V8 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いそうじんじゃ」と読む、地名の村岡区味取は「むらおかくみどり」と読む。
矢田川東岸、味取集落の東の山裾に鎮座。
兵庫県道4号香住村岡線沿い東に高い石垣と石段がありこんもりとしているので分かりやすい。
道路の反対側(西)に参道が延びており鳥居がある。
国道9号線の村岡区和田の交差点より北へ兵庫県道4号香住村岡線に入り6.9kmほど。
神社の裏側、兵庫県道4号香住村岡線を東へ1本入った道路沿いに駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

矢田川との関係。
「いそう」という読みに意味があると思える神社。

写真

矢田川より伊曽布神社の参道入口を望む。
矢田川より伊曽布神社の参道入口を望む。
右側(南)を望む。先の止まれの標識のところが兵庫県道4号香住村岡線。
右側(南)を望む。先の止まれの標識のところが兵庫県道4号香住村岡線。
正面(西)を望む。参道入口の直前は矢田川。船で参拝したのだろうか?それとも矢田川で禊をしてから参拝したのだろうか?想像が膨らむ。向こうに見えるのが味取(みどり)の集落。
正面(西)を望む。参道入口の直前は矢田川。船で参拝したのだろうか?それとも矢田川で禊をしてから参拝したのだろうか?想像が膨らむ。向こうに見えるのが味取(みどり)の集落。
左側(北)を望む。
左側(北)を望む。
民家と小学校跡?の間の石段を登る。
民家と小学校跡?の間の石段を登る。
社標は伊曽布神社とあるだけのシンプルなもの。
社標は伊曽布神社とあるだけのシンプルなもの。
少し進むと鳥居。参道の先にさらに石段が見える。
少し進むと鳥居。参道の先にさらに石段が見える。
左側は小学校跡?、植木がよく手入れされているのが分かる。
左側は小学校跡?、植木がよく手入れされているのが分かる。
参道左側の小学校跡?、現在はグラウンドと体育館がある。
参道左側の小学校跡?、現在はグラウンドと体育館がある。
参道を抜けると兵庫県道4号香住村岡線に出る。さらに石積みと石段、2本の大木が印象的だ。
参道を抜けると兵庫県道4号香住村岡線に出る。さらに石積みと石段、2本の大木が印象的だ。
右側(南)を望む。こちらは兵庫県道4号香住村岡線の村岡区和田方面。
右側(南)を望む。こちらは兵庫県道4号香住村岡線の村岡区和田方面。
歩いてきた参道を振り返る。
歩いてきた参道を振り返る。
左側(北)を望む。こちらは兵庫県道4号香住村岡線の香住方面。横断する際には十分注意されたし。
左側(北)を望む。こちらは兵庫県道4号香住村岡線の香住方面。横断する際には十分注意されたし。
石段を登りきるとさらにゆるい石段、参道を挟むように2本の大木。なかなか良い雰囲気。
石段を登りきるとさらにゆるい石段、参道を挟むように2本の大木。なかなか良い雰囲気。
石段を登ると広場。正面に2段上がったところに社殿。
石段を登ると広場。正面に2段上がったところに社殿。
広場の右側を望む。
広場の右側を望む。
広場の左側を望む。
広場の左側を望む。
手水舎。手水鉢は少々珍しい形。
手水舎。手水鉢は少々珍しい形。
広場の左側より社殿を望む。
広場の左側より社殿を望む。
広場の右側より社殿を望む。
広場の右側より社殿を望む。
石段を登ると覆屋に入った本殿がある。
石段を登ると覆屋に入った本殿がある。
覆屋に入った本殿を右側より望む。周囲は程よい社叢。
覆屋に入った本殿を右側より望む。周囲は程よい社叢。
覆屋に入った本殿を左側より望む。摂社末社は見当たらない。
覆屋に入った本殿を左側より望む。摂社末社は見当たらない。
覆屋内の本殿を望む。大きくはないが組物彫り物が施されている。
覆屋内の本殿を望む。大きくはないが組物彫り物が施されている。
本殿の彫り物は見ごたえがある。
本殿の彫り物は見ごたえがある。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿右側に「米庫大明神」の扁額が残っている。
本殿右側に「米庫大明神」の扁額が残っている。
覆屋内にある「味取区神社創建について」。ベニア板に味取にある神社の由緒がまとめられている、貴重な資料。
覆屋内にある「味取区神社創建について」。ベニア板に味取にある神社の由緒がまとめられている、貴重な資料。
覆屋に入った本殿を右側後方より望む。社域はゆるい傾斜地。
覆屋に入った本殿を右側後方より望む。社域はゆるい傾斜地。
なかなか渋い社叢、良い感じ。
なかなか渋い社叢、良い感じ。
覆屋に入った本殿前より正面を望む。
覆屋に入った本殿前より正面を望む。
石段の上より参道を望む。かつては参道が一直線に矢田川まで通じていたのだろう。
石段の上より参道を望む。かつては参道が一直線に矢田川まで通じていたのだろう。

感想


神社謹製の「味取区神社創建について」によると

伊曽布神社
祭神 保食命(うけもち) 米庫大明神と称す 農耕の神
創設不詳なれど延喜式に載せられ伊曾布県(あがた)の総社にして十三代の県主(あがたぬし)の守護を
受く。もと俵石に鎮座す。天文九年(1540)大洪水あり山崩れのため流失
す。仮りに松上社に祀り同十二年(1543)現在地に移し再建す。
寛文三年(1663)改築 庄屋 河瀬奥右ェ門重政 寛政五年(1793)改築
庄屋 阿瀬政右ェ門重秋、明治八年(1875)外側改築 区長 河瀬甚右ェ門、昭和四十年(1965)区長 岡本隆徳 外側改築

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、保食神。

貞観2年(860年)勧請。
天文9年(1540年)大洪水によつて流失、
天文12年(1543年)現在の地に遷座。
寛文3年(1663年)造営。
寛政5年(1793年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治8年(1875年)造営。
昭和21年(1946年)宗教法人届出(追加)。

もとは近くの俵岩の山に鎮座していた。
江戸時代までは「米庫大明神」と呼ばれていた。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:保食神(ウケモチノカミ)

由緒:
 創立は不詳であるが、貞観2年(860)に勧請と伝え延喜式内小社に列し、射添庄の一宮であった。
 旧称を来庫大明神と称した。江戸時代山名藩主の崇敬も篤かった。
 明治6年(1873)村社に列し昭和21年(1946)宗教法人届出をなし、今日に至る。

とある。


伊曽布神社のある当地は矢田川流域にあたる。
矢田川というのは、なんと鳥取県との県境にある氷ノ山あたりを源流とする非常に長い川(直線でも30kmほど)。
矢田川流域には式内社が並び、南(上流)から279-020_小代神社・279-010_多他神社・279-040_伊曽布神社・277-070_椋橋神社・277-050_法庭神社と式内社が並ぶ、法庭神社は香住の海沿いだ。
また、279-010_多他神社と279-040_伊曽布神社の間には古代山陰道の射添(いそう)の駅家がある。
矢田川流域は古代山陰道からは外れていると思われるが水運が重要だったに違いない(個人的見解です)。
周囲には味取遺跡・味取古墳がある(兵庫県考古博物館資料による)。

古代山陰道の駅家があったと言われている射添(いそう)と伊曽布神社は読みが同じでなんらかの関わりがあるようだ。
古代の「いそう」の地の範囲が広かったのか、それとも伊曽布神社の地に駅家があったのだろうか、思いを巡らすと楽しい。

伊曽布神社のご祭神は、保食神。
この地域では珍しいと思う。

伊曽布神社のへのアプローチは比較的分かりやすい。
国道9号線の村岡区和田の交差点より北へ兵庫県道4号香住村岡線に入り6.9kmほど。
兵庫県道4号香住村岡線沿い東に高い石垣と石段がありこんもりとしているので分かりやすい。
道路の反対側(西)に参道が延びており鳥居があるところを見ると参道が兵庫県道4号香住村岡線で分断されたようだ。
伊曽布神社の裏側、兵庫県道4号香住村岡線を東へ1本入った道路沿いにありがたいことに駐車スペースがある。
参道は矢田川まで続いており、かつては船で参拝していたのだろうか、それとも川で禊を行ってから参拝したのだろうか。

その矢田川からは、民家と小学校跡(未確認)の間に高い石垣と石段があり石垣の上には石灯籠がある。
石段を登っていくと社標、さらに進むと鳥居がある。
鳥居をくぐると兵庫県道4号香住村岡線を横切りさらに石段を登る。
石段を登りきるとゆるい傾斜地となっていて古びた石段、石段を挟むように大木が2本ある。
大木の間を進むと11月だったので落ち葉で埋まった広場があり良い雰囲気だ、ここに手水舎がある。
さらに2段の石積みがあり覆屋に入った社殿がある、周囲は大きな木が多い。
鳥居や石灯籠は比較的新しいものだが落ち着いた社域。
短い石段を登るとやっと社殿のある場所となる。
覆屋に入った本殿は大きくはないが組物彫り物が施してあり、なかなか立派で明治8年(1875年)造営の記録が残る。
覆屋と本殿の状態は良くよく手入れされているのが分かる。
覆屋内には、神社謹製の「味取区神社創建について」というベニヤ板に書かれた由緒がある。
伊曽布神社のことのみならず味取にある神社の由緒がまとめられている。
こうして記録が残してあることは意味があると思う。

元々は200メートルほど南の味取の俵石のあたりにあったそうだが天文9年(1540年)大洪水によつて流失。
その後、天文12年(1543年)現在の地に遷座、とあるのですでにこの地で500年近くとなるようだ。
集落に溶け込んでいて気持ちよく参拝できる。

「いそう」という読みに意味があると思える神社。

注意点

兵庫県道4号香住村岡線を横断する際には注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/11/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM