264-120_新井神社

比定社:新井神社

式内社コード:264-120
神名帳社名 :新井神社、ニヒヰノ
社    格:小
所 在 地 :669-3315 兵庫県丹波市柏原町大新屋514-1
Plus Code  :42HX+Q8 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「にいじんじゃ」と読む、地名の大新屋は「おおにや」と読む。
大新屋の集落の南端の山裾に鎮座。
兵庫県道290号稲畑柏原線に案内看板が出ているので見つけやすい。
南に高見城跡がある。
元々は現在地よりさらに南へ500メートルほどの場所にあった。
明智光秀による高見城攻めで焼失し現在の社殿はその時に現在地へ遷座し再建されたもの。
駐車場が神社横にある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

苔むした社域と茅葺の本殿。
中井権次正貞による猿の木彫像。

写真

新井神社の正面かと思ったらここではなかった。こちらの社標には式内とある。
新井神社の正面かと思ったらここではなかった。こちらの社標には式内とある。
右側(北)を望む。この先500メートルほどに兵庫県道290号稲畑柏原線、石灯籠がある。神社前の道は南へ山に向かって通じる道で集落の一番奥にあたる。
右側(北)を望む。この先500メートルほどに兵庫県道290号稲畑柏原線、石灯籠がある。神社前の道は南へ山に向かって通じる道で集落の一番奥にあたる。
正面には石見神社(いわみじんじゃ)が鎮座している。村の紛争を碁で解決した谷垣石見守を文化年間に祀ったとある。大きな碁盤がある。
正面には石見神社(いわみじんじゃ)が鎮座している。村の紛争を碁で解決した谷垣石見守を文化年間に祀ったとある。大きな碁盤がある。
左側(南)を望む。かつての鎮座地はこの先500メートルの場所だったとある。この先の山の上には高見城跡がある。
左側(南)を望む。かつての鎮座地はこの先500メートルの場所だったとある。この先の山の上には高見城跡がある。
神社謹製の由緒書。ご祭神はもともと高皇産霊神だったが日吉大社が勧請されたようだ。
神社謹製の由緒書。ご祭神はもともと高皇産霊神だったが日吉大社が勧請されたようだ。
社域は苔むしていて良い雰囲気。左手に鳥居が見える。この場所はクルマのお祓い所のような場所なのかもしれない。
社域は苔むしていて良い雰囲気。左手に鳥居が見える。この場所はクルマのお祓い所のような場所なのかもしれない。
兵庫県教育委員会謹製の本殿説明書き。元々は現在地よりさらに南へ500メートルほどの場所にあったが明智光秀による兵火により消失、当地に遷座したとある。
兵庫県教育委員会謹製の本殿説明書き。元々は現在地よりさらに南へ500メートルほどの場所にあったが明智光秀による兵火により消失、当地に遷座したとある。
本殿が兵庫県指定文化財であることの記念碑。
本殿が兵庫県指定文化財であることの記念碑。
こちらが新井神社の正面となる。正面に苔むした茅葺の本殿、右手に参集殿、左手に社務所という配置。
こちらが新井神社の正面となる。正面に苔むした茅葺の本殿、右手に参集殿、左手に社務所という配置。
鳥居脇にも社標がある。式内とある。
鳥居脇にも社標がある。式内とある。
鳥居をくぐると広場があり2段上に本殿がある。左手に3本の杉の巨木があり子授けにご利益があるという。本殿前はひな壇のようになっていて、かつては広場で相撲が行われていてその桟敷席だったのかもしれない。
鳥居をくぐると広場があり2段上に本殿がある。左手に3本の杉の巨木があり子授けにご利益があるという。本殿前はひな壇のようになっていて、かつては広場で相撲が行われていてその桟敷席だったのかもしれない。
広場の右を望む。右奥に入口と間違えた場所からの通路がある。
広場の右を望む。右奥に入口と間違えた場所からの通路がある。
広場の左には社務所がある。
広場の左には社務所がある。
手水舎。
手水舎。
本殿前の杉の巨木はかなり大きい。本殿の苔むした茅葺が良い感じ。
本殿前の杉の巨木はかなり大きい。本殿の苔むした茅葺が良い感じ。
本殿を右側から望む。現代的な感覚だと神社の本殿には見えない。
本殿を右側から望む。現代的な感覚だと神社の本殿には見えない。
本殿を正面より望む。兵庫県指定文化財となっている。
本殿を正面より望む。兵庫県指定文化財となっている。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を左側より望む。屋根から軒への紐は、たぶん鳥が入り込むことを防止するためのものだろう。
本殿を左側より望む。屋根から軒への紐は、たぶん鳥が入り込むことを防止するためのものだろう。
本殿はかなり大きく立派。本殿前に左右一対の猿がいる。中井権次正貞による猿の木彫像で表情が素晴らしい。
本殿はかなり大きく立派。本殿前に左右一対の猿がいる。中井権次正貞による猿の木彫像で表情が素晴らしい。
本殿の右側側面を望む。本殿自体の彫り物組物は比較的シンプルなもの。
本殿の右側側面を望む。本殿自体の彫り物組物は比較的シンプルなもの。
本殿を左側より望む。巨大なしめ縄だ。
本殿を左側より望む。巨大なしめ縄だ。
本殿の背面は装飾は少ない。
本殿の背面の装飾は少ない。
広場より鳥居を望む。神社自体は東を向いている。
広場より鳥居を望む。神社自体は東を向いている。

感想

神社謹製の説明書によると

新井神社(にいじんじゃ)
 欽明朝(六世紀)の創建といわれ「延喜式」に記載されている市内式内社十七社の一つです。
 もともとの祭神は天地創造の神、高皇産霊神とされますが、江戸時代の初めに比叡山延暦寺の守護神である「日吉大社」の分霊が祀られました。日吉大社は俗に「山王権現」とも呼ばれ、山王の使者が猿であることから、本殿(県指定文化財)には中井権次正貞の作による一対の猿の木彫像があります。
 また、「境内の御神木三本杉の根本をまたいで子授けをお願いするとよく聞き入れられる」という信仰から参拝に来る人も多いです。

とある

兵庫県教育委員会謹製本殿説明書によると

県指定文化財 新井(にい)神社本殿

大新屋(おおにや)字湯の森に鎮座。欽明天皇在位の頃(6世紀)の創建といわれ、昔から、崇敬があつい。
 もとの本殿は今の神社より約500m奥の滝ケ谷に祀られていたが、天正7年(1579)明智光秀の高見城攻めの時、兵火にかかって焼失、後に再建されたものが現存する本殿である。
 本殿は茅葺で、建築様式から推測して、江戸時代中期の建築と思われる。
 本殿両側に中井権次正貞作の一対の猿の木彫像がある。
平成3年11月
兵庫県教育委員会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、高皇産靈神。
欽明朝(539~571年)の創建。
天正7年(1579年)明智光秀の兵火で焼失、現在地に遷座造営(修正)。
寛文年間(1661~1672年)神宮寺日吉山王鎮護寺と称し山王日吉大社の分霊を祀る(追加)。
安永4年(1775年)鐘奉納。
江戸時代までは「日吉山王」と呼ばれていた。
旧地は現在地から800m~900m東方の谷頭斜面、標高150mの等高線が通過する字瀧が谷、天降に鎮座していた。
天正7年(1579年)高見城落城の時に類焼し、その後、現在地の「湯の森」で再建された。
とある。

当社も残念ながら創建時のお話が伝わっておらず、戦国期移行の記録しか無いようだ。
いつも感じるのだが、天正年間の丹波攻めで徹底的に破壊尽くされているということ。
それ以前の記録が無いばかりか、これを機会に遷座する例も多い。

兵庫県道290号稲畑柏原線に案内看板がある。
この地点は、当社から550メートルほどで石灯籠があるのでかつてはここまで参道が続いていたと思われる。
大新屋の集落を一番奥まで進むと神社が見えてくる。
神社全体は東を向いており、北から入ってくる形になる。

社域は山裾の東を向いた傾斜をうまく利用し、本殿が一番高い奥の西側に位置する。
古木も多く落ち着いた雰囲気でよく手入れされていて気持ちよく参拝できる。
本殿前には三本杉があり子授けにご利益があると言われている。

社殿は本殿のみで拝殿らしき建物は無い。
本殿とあい対する位置に舞殿のような参集殿のような建物がある。

本殿は萱葺で苔むしており非常に雰囲気がある。
天正7年(1579年)の明智光秀の高見城攻めの兵火により消失、その後再建された建物だ。
寛文年間(1661~1672年)に山王日吉大社の分霊を祀ったとあり、中井権次正貞(1780~1855年)作の一対の猿の木彫像がある。
この中井権次正貞による猿の木彫像が素晴らしい。
苔むした萱葺の本殿に、中井権次正貞による猿の木彫像という素晴らしい組み合わせ、一見の価値がある。

落ち着いた雰囲気で古社の渋い雰囲気を味わうには絶好の神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/10/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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