279-050_等余神社

比定社:等余神社

式内社コード:279-050
神名帳社名 :等余神社、トヨノ
社    格:小
所 在 地 :667-1324 兵庫県美方郡香美町村岡区市原497-2
Plus Code  :CHVX+GX 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「とよじんじゃ」と読む、地名の村岡区市原は「むらおかくいちばら」と読む。
湯舟川の西岸、市原集落の西の山裾に鎮座。
国道9号線より西へ入り200メートルほど工場のような建物の真裏に鳥居がある。
神社周辺にじゃまにならないように駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

眼の前を古代山陰道が通る立地。

写真

道路からあぜ道を行くと社殿が見え鳥居の正面に出れる。
道路からあぜ道を行くと社殿が見え鳥居の正面に出れる。
等余神社を正面より望む。鳥居の扁額には「豊神社」とある、よみは「とよ」で間違いなさそう。
等余神社を正面より望む。鳥居の扁額には「豊神社」とある、よみは「とよ」で間違いなさそう。
右側(北)を望む。湯舟川の谷筋となっている様子がよく分かる。
右側(北)を望む。湯舟川の谷筋となっている様子がよく分かる。
正面(東)を望む。向こうの方に見える横断歩道のところが国道9号線。ひょっとしたら今立っているこの道が古代の山陰道だったのかもしれない。
正面(東)を望む。向こうの方に見える横断歩道のところが国道9号線。ひょっとしたら今立っているこの道が古代の山陰道だったのかもしれない。
等余神社の左側の道路の様子。カーブの先は隣の集落に通じている。
等余神社の左側の道路の様子。カーブの先は隣の集落に通じている。
鳥居の右脇の社標には式内 等余神社とある。側面に由緒書。
鳥居の右脇の社標には式内 等余神社とある。側面に由緒書。
社標側面の由緒書。平安時代初期創建と伝えられる延喜式内社とある。
社標側面の由緒書。平安時代初期創建と伝えられる延喜式内社とある。
手水鉢。
手水鉢。
さらに左にある石標と石灯籠。詳細は不明。
さらに左にある石標と石灯籠。詳細は不明。
両部鳥居をくぐるとよく手入れされた社域が広がる。適度な木々が良い感じの社叢を形作っている。
両部鳥居をくぐるとよく手入れされた社域が広がる。適度な木々が良い感じの社叢を形作っている。
さrに進むと社殿の前の広場。
さrに進むと社殿の前の広場。
広場の右側を望む。社域には垣などが無くオープンな形式。
広場の右側を望む。社域には垣などが無くオープンな形式。
広場の左側を望む。道路との境界もない。
広場の左側を望む。道路との境界もない。
社殿を正面より望む。
社殿を正面より望む。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。回廊で接続されている。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。回廊で接続されている。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
拝殿前より鳥居を望む。
拝殿前より鳥居を望む。
広場より鳥居を望む。鳥居の先に参道が無いのがちょっと気にかかる。
広場より鳥居を望む。鳥居の先に参道が無いのがちょっと気にかかる。

感想


神社謹製の社標によると

当神社は、平安時代初期創建と伝えられる延喜式内社で、古くは上寄六ヶ村の氏神社であったが、安土桃山の頃に分離して、専ら市原村の氏神社として崇敬され、現在に至る。宮司

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、豊玉姫命・(配祀)月読命・天太玉命。

貞観年間(859~877年)勧請。
正暦5年(994年)造営。
文中元年(1372年)造営。
嘉永7年(1854年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正5年(1916年)拝殿を新築、神饌幣帛供進神社指定(追記)。
昭和21年(1946年)宗教法人届出(追加)。

江戸時代までは「豊神社」・「坂本大明神」と呼ばれていた。

社地は湯舟川に合流する小さな河川が作つた扇状地状の地形を呈していて、神社の森は、その地形の扇頂部を占めている。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
配祀神:天太玉命(アメノフトタマノミコト)・月讀命(ツキヨミノミコト)

由緒:
 当神社は市原の氏神であって貞勧年間の創立と伝え、延喜式内小社に列し一説には坂本大明神と称したと言う。
 正暦5年(994)文中元年嘉永7年社殿再建、明治6年(1873)村社に列し大正5年(1916)拝殿を新築、同年神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和21年(1946)宗教法人届出をして現在に至る。

とある。


等余神社のある当地は湯舟川流域にあたり古代山陰道が通る地域。
東へ金山峠を越えれば日高町、西へ山を越えれば小城区、北は山陰道を行けば山陰道丹後但馬支路が合流、南は山陰道で養父へ通じる。
今の感覚とはかけ離れるが非常に便利な場所だったと想像できる。
湯舟川流域の式内社は、279-070_黒野神社・当社279-050_等余神社しかない。
さらに山陰道を南下すると273-120_井上神社まで式内社が無い地域、山陰道が通る地域としては少ないように思う。
周囲には牛屋古墳がある(兵庫県考古博物館資料による)。

等余神社ご祭神は、豊玉姫命・(配祀)月読命・天太玉命。
配祀の詳細も不明だ。

等余神社のへのアプローチは比較的分かりやすい。
国道9号線より西へ入り200メートルほど湯舟川を渡った先の工場の真裏に鳥居がある。
神社周辺にじゃまにならないように駐車可能だ。

少し違和感があるのは工場ような建物の真裏に両部鳥居があること。
本来は鳥居から参道が延びていたと思うのだがいつのまにか現在の形になってしまったようだ。
圃場の整備などもあったのかもしれない(個人的見解です)。

周囲は比較的開けた丘陵地で湯船川に向かって傾斜している。
社域には境界がなく垣もなくオープンな形となっていて開放的。
両部鳥居をくぐると適度な社叢が広がり比較的大きな木が多い。
両部鳥居の扁額には「豊神社」とあり、よみは「とよじんじゃ」で間違いなさそうだ。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成され、拝殿と本殿は回廊でつながっている。
記録によると本殿は嘉永7年(1854年)造営、拝殿は大正5年(1916年)拝殿を新築とある。

社域はよく手入れされていて地域に大切にされている様子が伝わってくる。

かつて古代山陰道で大切な役目を果たしたと思われる神社。

注意点

駐車場は無いのでじゃまにならないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/8/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3