比定社:黒野神社
式内社コード:279-070
神名帳社名 :黒野神社、クロノノ
社 格:小
所 在 地 :667-1311 兵庫県美方郡香美町村岡区村岡723-2
Plus Code :FHGW+2M 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
式内社コード:279-030
神名帳社名 :志都美神社 二座、シツミノ
社 格:小
アプローチ&ロケーション
「くろのじんじゃ」と読む、地名の村岡区村岡は「むらおかくむらおか」と読む。
村岡集落の北側の山裾に鎮座。
国道9号線の村岡地域局前交差点より北へ国道482号線に入り豊岡方面へ300メートルほど。
西側に鳥居があるのですぐに分かる、駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
古代山陰道の村岡合流地点に鎮座するところ。
国指定重要文化財(美術品)
絹本著色釈迦十六善神像
時代:南北朝
文化庁解説:
南北朝時代の作品。
写真
感想
香美町謹製の説明書によると
この神社は、平安時代創建と伝えられる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、村岡(旧称黒野村)の氏神社として崇敬を集め、七美の郷の総社(そうしゃ)志都美(しつみ)(上・下)神社を合祀(ごうし)して、伊津岐三柱大明神(いつきみはしらだいみょうじん)と仰がれて現在に至る。
江戸時代に、歴代村岡藩主山名氏より、一藩の祈願主として、殊に厚い崇敬を受け、藩主の四時社参(しじしゃさん)や、ゆかりの品々の奉納の例が多い。
国指定重要文化財「絹本著色釈迦十六善神像(けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんじんぞう)」、貴徳面、山名藩奉納の馬具・行列道具・各種祈願絵馬等を所蔵している。
祭神は、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、天津彦火能邇邇芸命(あまつひこほのににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、旧社格は県社。九月一九日が例祭日である。
香美町
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、黒野坐大神。
(配祀)志都美上大神・志都美下大神。
大同2年(807年)伊津岐山の頂に鎭座。
貞観10年(868年)従五位下。
鎌倉時代、神田参町七反。
永享8年(1436年)山麓字伊津岐に遷座。
寛永19年(1642年)伊津岐大明神と称す。
宝暦10年(1760年)社殿大破。
明和2年(1765年)造営。
天保12年(1841年)黒野神社伊津岐大明神一千年祭。
明治6年(1873年)村社(郷社、修正)。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進神社指定。
大正12年(1923年)県社。
かつて黒野神社は現在の鎮座地背後の山、伊津岐山(通称「宮山」)の山上に祀られていた。山上には同じ式内社の「志津美神社二座」も別々の社殿に祀られていた。永享8年(1436年)黒野神社・志津美神社二座を、山上は参拝に不便であるため、山麓の現在地の社小字「イツキ」に合祀した。
黒野神社の祭神一座を中央に置き、その両側に志都美神社の祭神二座を配した。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)。
配祀神:天津彦々瓊々杵尊(アマツヒコホノニニギノミコト)・志津美下大神(シツミシモノオオカミ)。
由緒:
当神社は、村岡(旧称黒野村)の鎮守、氏神社であり、古伝によれば大同年間(800年代)創建と伝えられる延喜式内社で、始め現社地背後の宮山山頂に鎮座されていたが、永享8年(1436)に現在地に移転。七美郷の総氏神社で式内社の志都美上下両神社を合祀して社殿を再建、伊津岐三柱大明神と仰がれて崇敬をあつめる。
江戸時代になり村岡藩主山名氏が黒野村を村岡と改称したが、社名はそのままで、以後歴代藩主山名氏の祈願社として、四時社参、藩公ゆかりの品々の奉納の例が多い。
明治6年(1873)郷社となり、大正12年(1923)県社に列する。戦後、昭和26年(1951)宗教法人の認定を受け現在にいたる。
境内社に、山名氏創建の皇大神社、1月9・10日に恵比須祭で賑わう西宮神社、他に天満宮、金比羅宮を祭る。
所蔵文化財に非公開ながら、絹本着色釈迦十六善神、古面(貴徳面とも)、山名藩行列御道具等を所蔵している。
とある。
黒野神社のある当地は、古代の山陰道本線と山陰道丹後但馬支路が合流する非常に重要な地域にあたる。
郡家は村岡より2.4kmほど南の村岡区寺河内あたりに置かれたのではないかと言われている。
また駅家については村岡の北4kmほどに射添(いそう)の駅家、村岡の南(村岡から6.5kmほど)の村岡区福岡あたりに山前(やまさき)の駅家が置かれたのではないかと推測されているようだ。
いずれにしても大きな街道筋が交わる交通の要衝であることは間違いない。
周囲には観音山古墳・裏台古墳がある(兵庫県考古博物館資料による)。
黒野神社のご祭神は、本来の黒野神社のご祭神が天津彦火能邇邇芸命(黒野坐大神)のようだ。
そして合祀された志都美神社のご祭神として天御中主命(志都美上大神)・木花咲耶姫命(志都美下大神)が配祀されている。
香美町謹製の説明書とは順序が異なるが詳細は不明。
現在では中央の社殿に郷社式内 黒野神社 志都美神社の扁額が掲げられている。
黒野神社と志都美神社は、元々別々に背後の伊津岐山(宮山)山頂に鎮座しており、永享8年(1436年)の現在地への遷座の際に合祀された。
伊津岐三柱大明神と呼ばれて賑わったようだ。
黒野神社のへのアプローチは分かりやすい。
国道9号線の村岡地域局前交差点より北へ国道482号線に入り豊岡方面へ300メートルほど。
西側に鳥居があるのですぐに分かる。
ありがたいことに鳥居の少しだけ北側に駐車場が完備されている。
国道482号線に面して鳥居と社標が建っており南東の方向を向いている。
たぶん鳥居脇の建物は神職の住居だろうと思う。
国道9号線から行くと鳥居があり、さらに住宅の先に駐車場が作ってあるのでありがたいことに駐車可能。
一の鳥居には「式内縣社 黒野神社 志都美上神社 志都美下神社」とある。
また脇にある社標には「縣社 黒野神社」とある。
一の鳥居をくぐると右手に金毘羅宮、その先に精緻な石積みがありさらに鳥居、1段高くなったところに社殿がある。
石段を登り二の鳥居をくぐると社殿前の広場に出る。
右側には倉、左側には手水舎と伊津岐会館(集会所?)があり多数の建物がある。
本殿はさらの1段高い場所にあり、本殿の左右にも社殿がある。
黒野神社の社殿は拝殿と本殿で構成され屋根付きの傾斜した回廊で結ばれており明和2年(1765年)造営の記録が残る。
本殿はかなり立派なもので組物・彫り物等の装飾が多数施されているのが分かる。
本殿の扁額には「郷社式内 黒野神社 志都美神社」とあるので、村社指定の明治6年(1873年)以降、大正12年(1923年)県社指定までの期間のものだろう。
同じ本殿に黒野神社と志都美神社が合祀されているようだ。
ちなみに黒野神社本殿の向かって右側の社殿は皇大神社、左側の社殿は愛宕神社・西宮神社の扁額がある。
黒野神社の拝殿・本殿共に床の位置が高くかなり背の高い建物に見える。
屋根の形状はシンプルで力強い。
黒野神社は村岡(旧称黒野村)の氏神社、志都美神社は七美郷の総社であり地域で大切な役目を果たしてきたと言える。
現在でも地域に大切にされている様子が感じ取れる。
社域は全体的に手入れが行き届き非常にきれい、維持管理の苦労が偲ばれ気持ちよく参拝できる。
古代山陰道の村岡合流地点に鎮座する重要な神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2019/8/17
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。