278-010_二方神社(廃絶)

比定社:二方神社(廃絶)

式内社コード:278-010
神名帳社名 :二方神社、フタカタノ
社    格:小
所 在 地 :669-6712 兵庫県美方郡新温泉町指杭
Plus Code  :JFFC+XF 新温泉町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「ふたかたじんじゃ」と読む、地名の指杭は「さしくい」と読む。
久斗川の北岸の堤防のすぐ近くに鎮座。
兵庫県道263号竹田指坑線(但馬漁火ライン)より北へ入り福富集落を右に見ながら北上する。
久斗川を渡るとすぐに左(西)へ堤防の上を行くとこんもりとした小さな社叢が見えるのですぐに分かる。
堤防から下ると農道となっていてこの道に邪魔にならないように駐車する。
農道からは畑と水路の間のあぜ道を30mほど行くと到着。
水路に落ちないように注意が必要。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

今となってはかつての社域が想像できないところ。

写真

二方神社(廃絶)を農道の方向(東)より望む。ちいさいがこんもりと社叢が残っている。農道からは水路の横のフェンス横のあぜ道でしか行き着けない。水路に落ちないように気をつけていただきたい。
二方神社(廃絶)を農道の方向(東)より望む。ちいさいがこんもりと社叢が残っている。農道からは水路の横のフェンス横のあぜ道でしか行き着けない。水路に落ちないように気をつけていただきたい。
フェンス脇のあぜ道を行くと北側に向いて鳥居が2つある。右側には石積みが見える。
フェンス脇のあぜ道を行くと北側に向いて鳥居が2つある。右側には石積みが見える。
石灯籠には田井村とある。現在地は指杭だが田井村との結びつきが強かったのだろう。
石灯籠には田井村とある。現在地は指杭だが田井村との結びつきが強かったのだろう。
石灯籠の間を進むとかつて社殿があった場所。社殿は1つのみだったようだ。基礎部分の礎石がきれいに残っている。
石灯籠の間を進むとかつて社殿があった場所。社殿は1つのみだったようだ。基礎部分の礎石がきれいに残っている。
もう少し進んたところから望む。たぶん社殿は東向きだったのだろう。
もう少し進んたところから望む。たぶん社殿は東向きだったのだろう。
礎石を南西から望む。しかし社域にどうやって入るようになっていたのだろうか。以前からあぜ道で入るのだろうか。
礎石を南西から望む。しかし社域にどうやって入るようになっていたのだろうか。以前からあぜ道で入るのだろうか。
北側の石灯籠の右側には石積みが残っている。社域は周囲よりも少しだけ高くなっているのが分かる。この地は標高が3mほど、かつては船で参拝していたのだろうか想像が膨らむ。
北側の石灯籠の右側には石積みが残っている。社域は周囲よりも少しだけ高くなっているのが分かる。この地は標高が3mほど、かつては船で参拝していたのだろうか想像が膨らむ。
石灯籠の前より水路越しに農道を望む。クルマのあるところが農道、水路の横フェンスの脇を通るしか到達できない。
石灯籠の前より水路越しに農道を望む。クルマのあるところが農道、水路の横フェンスの脇を通るしか到達できない。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大己貴尊。
 また次の説もあるようだ。
  本来の祭神は、二方国造の祖神を祀ったものと考えられ、成務天皇の頃に二方国造に任じられた美尼布命とする説がある。

創立年代は詳らかでない。
天正6年(1578年)洪水社殿流失。
貞享3年(1686年)造営。
享保16年(1731年)造営。
明治6年(1873年)村社。
大正9年(1920年)大洪水で社殿流失。
戦後大雪で社殿倒壊。

江戸時代までは「土原大明神」・「国主大明神」と呼ばれていた。

成務天皇の頃に、出雲国造と同祖の子孫といわれる、美尼布命が、二方国造に任ぜられ、その祖神を祀るという。
社殿はその跡のみで現存せず、神霊は現在では仮に指杭の氏神である兵主神社に移されている。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大己貴神(オオナムチノカミ)。

 創立年月不詳。
 延喜式の制小社に列し、その後の沿革を伝えざりしも天正6年(1578)5月12日の洪水に社殿流失し、10余町下流の深淵に霊代沈ませ給うと伝う。然るに江戸時代備中国福原安宏一夜神託を受け村民と計り仮宮を設けて神霊を奉斎す時に貞享3年(1686)6月なり。
 土俗土原様とも土原大明神とも称す。
 明治6年(1873)10月村社に列せらる。

とある。


二方神社(廃絶)のある当地は、日本海に向けて開けた浜坂に流れ込む久斗川と岸田川の合流地点近く。
多くの谷筋が合流する地点で、久斗川・岸田川・田井川による谷筋がある。
河口近くなので標高も3mほどしかない、かつては水に浮かぶ神社だったのではないだろうか。

温泉町指杭は早くから開けた土地、周囲には以下の古墳等がある。
指杭古墳・糸城遺跡・糸城城跡(兵庫県考古博物館資料による)。
また北側の隣村である温泉町田井も同様で、周囲には以下の古墳等がある。
釜谷古墳・二方古墳・松村古墳・飛宣谷古墳・猪淵古墳・鶴山古墳・森古墳・猪谷古墳・小枕古墳・村中古墳・浜谷古墳・松村遺跡・田井城跡・村中遺跡・田井薬師寺跡(兵庫県考古博物館資料による)。
圧倒的に田井のほうが古墳等が多く古くより開けていたようだ、さらに二方神社(廃絶)の跡地には田井村とある石灯籠が残っていて田井村との関係が強いのかもしれない。

二方神社(廃絶)のご祭神は、大己貴尊。
二方神社(廃絶)という名前は、二方郡そのものの名前で、二方郡の成立や治めていた氏族と関係があるはずだ。
美尼布命が二方国造に任ぜられ祖神を祀る、というお話はかなり核心をついたものだと思われる。
二方神社(廃絶)は度重なる洪水そして大雪で社殿が倒壊し、神霊は現在では仮に指杭の氏神である兵主神社に移されているとある。
移されるという表現はどう解釈したらよいのだろうか。
合祀なのか、ご神体の避難なのか、戦後のいつの時代なのか、近代のことなのに不明な点が多すぎる。

二方神社(廃絶)へのアプローチはそれほど難しくない。
兵庫県道263号竹田指坑線(但馬漁火ライン)より北へ入り福富集落を右に見ながら北上する。
久斗川を渡るとすぐに左(西)へ堤防の上を行くとこんもりとした小さな社叢が見えるのですぐに分かる。
堤防から下ると農道となっていてこの道に邪魔にならないように駐車する。
農道からは畑と水路の間のあぜ道を30mほど行くと到着。
水路に落ちないように注意が必要。

社域は北側に向かって田井村の銘が刻まれた石灯籠、石積みもある。
勝手な想像だがこの石積みのところまで水が来ていてココに船を着けたのかもしれない(個人的見解です)。
戦後の大雪で社殿が倒壊し、その後廃絶したようだが、社殿を除きかなりきれいに残っている。
近隣の方が草刈り等の手入れをされているのだろうと思う。
社域に残っているのは石灯籠・石積み・社殿の礎石のみだ。
かつて社殿があった頃にはどのようにして参拝したのだろうか、参道はどちらの方向に伸びていたのだろうか。
この跡地からは想像するのが難しい。

但馬国・二方郡の成立と深く関係する神社。

注意点

駐車場は無いので注意。
水路に落ちないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2022/6/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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