266-040_(論)篠田神社

比定社:(論)篠田神社

式内社コード:266-040
神名帳社名 :阿須々伎神社、アススキノ
社    格:小
所 在 地 :623-0351 京都府綾部市篠田町宮ノ下6−1
Plus Code  :9787+Q5 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

しのだじんじゃと読む。
篠田町の集落の西のはずれの小高い丘の上に鎮座。
京都府道494号綾部大江線沿いにこんもりとした丘があるので見つけやすい。
神社前に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

階段を上がると珍しい丸石の参道がある。
質素だが立派な作りの本殿。
拝殿に施された8代目中井権次正胤の相方の和久定吉正則の彫り物。

写真

篠田神社の一の鳥居、社標はない、式内社の表示もない。阿須々伎神社(阿須須岐神社)との争いで外すことになったのだろうか。
篠田神社の一の鳥居、社標はない、式内社の表示もない。阿須々伎神社(阿須須岐神社)との争いで外すことになったのだろうか。
神社前より右側(東)を望む、篠田町の中心部が見える。
神社前より右側(東)を望む、篠田町の中心部が見える。
神社前より左側(西)を望む、駐車スペースがあり駐車可能。
神社前より左側(西)を望む、駐車スペースがあり駐車可能。
篠田神社の看板、式内社の表示は無いが志賀の七不思議(筍)とある。
篠田神社の看板、式内社の表示は無いが志賀の七不思議(筍)とある。
志賀郷公民館謹製の説明書き。篠田神社には式内社の表示がないことは、志賀郷での方針なのかもしれない。
志賀郷公民館謹製の説明書き。篠田神社には式内社の表示がないことは、志賀郷での方針なのかもしれない。
一の鳥居をくぐり階段を登ると拝殿が見えてくる、参道は珍しい丸石で作ってある。
一の鳥居をくぐり階段を登ると拝殿が見えてくる、参道は珍しい丸石で作ってある。
左手には集会所のような建物と蔵がある。
左手には集会所のような建物と蔵がある。
手水舎は井戸併設タイプ。
手水舎は井戸併設タイプ。
拝殿は立派、摂社末社も多数ある。
拝殿は立派、摂社末社も多数ある。
拝殿には彫り物があるが本殿には無い、建築または改修された年代に差があるのだろう。彫り物は8代目中井権次正胤の相方の和久定吉正則によるもの、一見の価値がある。
拝殿には彫り物があるが本殿には無い、建築または改修された年代に差があるのだろう。彫り物は8代目中井権次正胤の相方の和久定吉正則によるもの、一見の価値がある。
本殿を右側から望む、質素だが力強い作り。
本殿を右側から望む、質素だが力強い作り。
本殿を左側から望む、永禄9年(1566年)の建築との記録がある。京都府指定文化財。
本殿を左側から望む、永禄9年(1566年)の建築との記録がある。京都府指定文化財。
本殿の後ろ側、大きく豪快な作り、拝殿とは回廊でつながる。
本殿の後ろ側、大きく豪快な作り、拝殿とは回廊でつながる。
本殿裏にある「御ミノシベ」と呼ばれる石の垣に囲まれた竹林、神事の際に利用するらしい。
本殿裏にある「御ミノシベ」と呼ばれる石の垣に囲まれた竹林、神事の際に利用するらしい。
拝殿より鳥居方向を望む、正面には田畑と山しかない。
拝殿より鳥居方向を望む、正面には田畑と山しかない。

感想

志賀郷公民館謹製の志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起によると

志賀郷公民館謹製の志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起
 今から、およそ、一四〇〇年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国の中心勢力をかためるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征伐することになりました。
 すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親王は、おおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。また、志賀の里の”藤波” ”金宮” ”若宮” ”諏訪””白田(後の篠田)”の五つの社を厚く信仰されたということです。
 親王の子孫、金里宰相はこの五社の大明神に千日参りをされ、これを記念して藤波大明神には「藤」金宮大明神には「茗荷」若宮大明神には「萩」諏訪大明神には「柿」白田大明神には「竹」をお手植えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告されました。この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわれるようになったということです。なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ、「志賀の七不思議」として、今に語りつがれています。
-その奇瑞 篠田神社=白田大明神の「竹の子さん」
 毎年、旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出るのです。これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)の吉・凶を占うのです。
 この神事は、今も、新暦の二月四日に「筍祭 祈願祭」として行われ、地元の人からは、”タケノコさん”として親しまれています。
 つい最近まで、氏子の人 数人が、三日間籠堂に泊まり、日に三度づつ、氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってきましたが、今は取り止めになっています。
 是非、一度 節分の日にお詣りください。
志賀郷公民館

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大国主命。
延暦15年(796年)再建。
永禄9年(1566年)本殿建立(追加)。
昭和初期、社殿改修(追加)。
江戸時代までは「白田大明神」と呼ばれていた。
近世、式内阿須須伎神社を主張して綾部市金河内町東谷の阿須須伎神社と争いがあった。

とある。

延喜式神名帳・丹波国・何鹿郡の「阿須々伎神社」の論社2つのうちの1つ。
京都府道494号綾部大江線に面していて、こんもりとした丘は周りからよく見えるので迷うことはないだろう。

社域は道路より少し高い位置にあり、豊かな社叢が残されている。

社殿は渋い雰囲気で良い具合に色が褪せている。
本殿は永禄9年(1566年)建立とのこと、立派だが質素な作り。
拝殿と本殿は、建築時期が異なるためか、彫り物等の装飾が大いに異なる。
特に拝殿は、8代目中井権次正胤の相方、和久定吉正則の彫り物が施され、一見の価値がある。
昭和初期の社殿改修時に施されたものと言われている。

このあたりは「志賀の七不思議」という縁起が伝わり、篠田神社はその中のひとつ筍のお話しが伝えられている。
本殿の裏側に石の垣に囲まれた竹が生える場所があり、これを「御ミノシベ」と言い神事の際に使用する場所。
本殿裏には「御ミノシベ」と呼ばれる竹林があり石の垣で囲ってある、神事の際にここを使うようだ。
古いがよく手入れされて地域に愛されている様子がよく分かる。

「266-040_(論)篠田神社」と「266-030_(論)阿須々伎神社(阿須須岐神社)」の間で式内社に関する争いがあったようだが、現代では「志賀の七不思議」によりうまく棲み分けがなされているような印象を受ける。

伝統行事も含めて長く残してほしい神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/10/28
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから