278-050_面沼神社

比定社:面沼神社

式内社コード:278-050
神名帳社名 :面沼神社、メヌノ
社    格:小
所 在 地 :669-6831 兵庫県美方郡新温泉町竹田1
Plus Code  :HF8J+PR 新温泉町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「めぬまじんじゃ」と読む、地名の竹田は「たけだ」と読む。
竹田集落の東のはずれの山裾に鎮座。
国道9号線の出会橋交差点を兵庫県道47号浜坂井土線に入り100メートルほどで西へ入る。
社域に駐車場可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

現代でも交通の要衝にある立地。

写真

面沼神社を正面より望む。丘の麓に南を向いている。
面沼神社を正面より望む。丘の麓に南を向いている。
右側(東)を望む。ショッピングセンターの白い建物のあたりが兵庫県道47号浜坂井土線になる。
右側(東)を望む。ショッピングセンターの白い建物のあたりが兵庫県道47号浜坂井土線になる。
正面(南)を望む。ガソリンスタンドのあたりが国道9号線の出会橋交差点。かつてはこのあぜ道が参道として延びていたのだろうと思われる。
正面(南)を望む。ガソリンスタンドのあたりが国道9号線の出会橋交差点。かつてはこのあぜ道が参道として延びていたのだろうと思われる。
左側(西)を望む。思うに古代の山陰道はこの道だったのではないだろうか。
左側(西)を望む。思うに古代の山陰道はこの道だったのではないだろうか。
社標には式内社・郷社とある。大変珍しいが社標に「丸に抱き茗荷」のご神紋がある。
社標には式内社・郷社とある。大変珍しいが社標に「丸に抱き茗荷」のご神紋がある。
鳥居は両部鳥居。かつては三の鳥居まであったそうだ。
鳥居は両部鳥居。かつては三の鳥居まであったそうだ。
鳥居をくぐってすぐ右手にある手水舎。
鳥居をくぐってすぐ右手にある手水舎。
左手には「お茗荷(みょうが)祭り」で使われる茗荷が生えるとされる「めぬ池」。
左手には「お茗荷(みょうが)祭り」で使われる茗荷が生えるとされる「めぬ池」。
さらに左手には社務所のような建物。ありがたいことにクルマは社域に駐車可能。
さらに左手には社務所のような建物。ありがたいことにクルマは社域に駐車可能。
2段の石積みの上に社殿がある。比較的新しい印象を受ける。
2段の石積みの上に社殿がある。比較的新しい印象を受ける。
社殿を石積みの下左より望む。石積みが2段になっているのが分かる。大きな木が多い社域。
社殿を石積みの下左より望む。石積みが2段になっているのが分かる。大きな木が多い社域。
石段を登りきると社殿がある。シンプルな作り。
石段を登りきると社殿がある。シンプルな作り。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。
拝殿内部を望む。整理整頓が行き届いている。チラッと見える本殿はすごく状態が良いようだ。
拝殿内部を望む。整理整頓が行き届いている。チラッと見える本殿はすごく状態が良いようだ。
覆屋に入った本殿を右側より望む。外からは本殿を見ることができないのが残念。
覆屋に入った本殿を右側より望む。外からは本殿を見ることができないのが残念。
本殿の左手には神饌所のような建物がある。
本殿の左手には神饌所のような建物がある。
拝殿より鳥居越しに国道9号線あたりを望む。かつては参道が真っ直ぐ続いていたのだろう。
拝殿より鳥居越しに国道9号線あたりを望む。かつては参道が真っ直ぐ続いていたのだろう。
「お茗荷(みょうが)祭り」の茗荷はこの「めぬ池」の中に生えるそうだ。
「お茗荷(みょうが)祭り」の茗荷はこの「めぬ池」の中に生えるそうだ。
内側より鳥居越しに神社正面を望む。
内側より鳥居越しに神社正面を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、美尼布命・倉稻魂命・天穗日命。
 配祀:保食命・稚産靈命
 合祀:天神地祇・伊弉諾命・伊弉册命・素盞嗚命

大化3年(647年)面沼の丘に面沼神社を祭る。
嘉祥4年(851年)従五位下。
貞観10年(868年)山本三位中納言奉幣使参向。
鎌倉時代(1190~1329年)温泉庄神田三町六反を有した。
延宝2年(1674年)社殿再建。
弘化4年(1847年)千二百年大祭を執行。
明治3年(1870年)社名改称。
明治6年(1873年)郷社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進神社指定。

江戸時代までは「米持大明神」・「面治大明神」と呼ばれていた。

明和7年(1770年)の『面沼神社考』には但馬国二方郡面沼神社祭神三座として
上ノ社 倉稻魂命
中ノ社 美尼布命
下ノ社 天穂日命
とある。
現在祭神三座(上社・中社・下社)の形態はない。
米持大明神とも、面治(めじ)大明神とも称していたが、延喜式に「面沼」と誤記された結果明治3年(1870年)6月に、面沼神社と改称した。

とある。


兵庫県神社庁によると。

主祭神:美尼布命(ミネフノミコト)
配祀神:倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・天穂日命(アメノホヒノミコト)・保食命(ウケモチノミコト)・稚産霊命(ワカムスビノミコト)・天神地祇(アマツカミクニツカミ)・伊弉諾命(イザナギノミコト)・伊弉冊命(イザナミノミコト)・素盞嗚命(スサノオノミコト)

祭記事:
但馬の七不思議の一つ、雪の中を境内の女奴池で茗荷が摘まれ、神に捧げられる。古来、人々その芽を見て年の吉凶を占う。また、当日は裸参りが行なわれるが、風邪をひくこともなく命延びると云い伝えられている。「命賀メデタヤ、富貴ハンジョウ」、茗荷を拝して健康と富を頂くお祭りです。

由緒:
一の鳥居は湯谷、二の鳥居は伏拝み、三の鳥居は宮前と伝えられ、後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭られる。
延喜の時(927)、大化改新(645)による律令制度が式に整えられた。
弘化4年(1847)、温泉庄一八ケ村の村人によって創立1200年祭が三日間にわたって斎行。
明治になり、面沼神社と改称。
明治6年(1873)、郷社に列せられる。

とある。


面沼神社のある当地は、近隣に出合や八日市という小字が残り山陰道と日本海側の浜坂に至る街道が交わる交通の要衝に当たる場所。
特に日本海側の浜坂へは岸田川による水運が利用できたと思われ、畿内と因幡の中継地点として栄えたのではないかと想像できる。
それだけに古くより開けた地域で、近隣には下記のように数多くの古墳・遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
竹田後山甚白古墳・竹田初峰古墳・竹田後山墓ヶ平遺跡・竹田後山大塚遺跡・竹田後山徳原遺跡・竹田カンバセ遺跡・竹田口カンバセ遺跡・竹田初峰遺跡・竹田岡遺跡・竹田向山縄文遺跡・面治駅家推定地・竹田岡泰雲寺跡。
古代「山陰道」の駅家(うまや)である面治駅家(めじうまや)が置かれた場所ではないかと言われている。
まさに街道筋や水運で発展してきた地であるということが言えるのではないだろうか。

面沼神社のご祭神は、美尼布命・倉稻魂命・天穗日命。
配祀:保食命・稚産靈命。
合祀:天神地祇・伊弉諾命・伊弉册命・素盞嗚命となっている。
ご祭神の美尼布命は、二方国造で面沼神社は二方郡総社となっていた。
ご祭神に関しては合祀が多いのだが明治期にいくつかの神社が合祀されたようだ。

神社名の面沼だが、延喜式神名帳に面治を面沼と掲載されてしまったのではないかとの見方がある。
確かに、かつて「米持大明神」・「面治大明神」と呼ばれていたことや、面治駅家(めじうまや)などを見ると、「めじ」という読みが正しいように思える。
明治3年(1870年)の社名改称で延喜式神名帳に合わせ改称したということだ。

面沼神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
国道9号線の出会橋交差点を兵庫県道47号浜坂井土線に入り100メートルほどでショッピングセンターがある。
この場所を川沿いに西へ入ると神社前に到着する。
ありがたいことに社域に邪魔にならないように駐車可能。
道路からは少し低くなったところに両部鳥居があり鳥居前の参道(今はあぜ道)は真っ直ぐ出会橋交差点の方向へ向かっている。
これが古代の山陰道で面沼神社の前で西へ折れ曲がっていたのではないだろうか(個人的見解です)。

かつて(~江戸時代?)は上社・中社・下社に分かれ、規模が大きかったようだがその痕跡は全く残っていない。
現在の社域は広くない、両部鳥居をくぐるとすぐに石段があり登ったところに社殿がある。
社殿は拝殿と直接つながった覆屋に入った本殿で構成され外からは本殿は全く見ることができないのが残念。
覆屋には左側に神饌所が併設された形式となっている。
拝殿からチラッと見える本殿は、記録に残る延宝2年(1674年)の建築だろうか、非常に状態は良いようだ。
社域や社殿は大変綺麗に保たれていて気持ちよく参拝できる。

面沼神社に伝わる「お茗荷(みょうが)祭り」は摘み取ったミョウガの成長具合から1年の吉凶を占う神事。
通常は春に芽を出す茗荷が2月ごろに面沼神社の「めぬ池」に芽吹くことから「但馬七不思議」の一つと言われている。
よく似たお話としては、
京都府綾部市の266-030_(論)阿須々伎神社(阿須須岐神社)には「茗荷祭 祈願祭」が伝わり、やはり2月に茗荷の育ち具合からその年の吉凶を占う神事が行われている。
こちらも2月に茗荷が出ることから「志賀の七不思議」の一つと呼ばれている。
面白いものだ。
ちなみに面沼神社の社標にあるご神紋は「丸に抱き茗荷」となっている。

かつての交通の要衝に鎮座し大いに栄えたと思われる茗荷と関係の深い神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2021/11/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3