比定社:色来神社
式内社コード:277-110
神名帳社名 :色来神社(色來神社)、イロキノ/イロクノ
社 格 :小
所 在 地 :669-6227 兵庫県豊岡市竹野町林1236-1
Plus Code :JP3X+47 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「いろくじんじゃ」と読む、地名の林は「はやし」と読む。
林集落の中程の西の山の尾根筋に鎮座。
兵庫県道1号日高竹野線より林集落へ西へ入り、突き当りを右(北)へ140メートルほどで左(西)に鳥居がある。
鳥居は民家の間にちらっと見えるのみなので非常に見つけにくい。
鳥居からは徒歩で20分ほど山の中の参道を登ることになる。
集落の中の道は狭いので駐車は不可、県道からの道が比較的広いのでここに駐車させていただくのが良いだろう。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩4】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
豊かな緑に包まれているトレッキング参道。
尾根筋に鎮座するロケーション。
秋塚法橋廣貞による本殿の彫り物。
鳥居の左奥に廣瀧の滝。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、国狹槌命。
また次の説もあるようだ。
色来大明神『特選神名牒』。
大色来命『国司文書・但馬故事記』。
大入杵命『但馬世継記』。
創立年代を詳らかにすることはできない。
元禄4年(1691年)本殿再建。
明治6年(1873年)村社。
かつての鎮座地は、現社地より南西約50m。
江戸時代までは「広滝大明神」と呼ばれていた。
伝承では、かつての鎮座地は、現社地より南西約50mの平坦地にあったとされるが、創建以来鎮座地社が移った記録はない。
天平宝字3年(759年)9月、能登臣道麿は、その祖である大入杵命を土師丘に祀った。
これが当社だという。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:国狹槌命(クニサヅチノミコト)。
創立年月不詳にして此地一に色来谷と称するが故に社名を生ず。
延喜式の制小社に列し初め同村今林字廣瀧に鎮座せられしより一に廣瀧明神とも称し寶鏡宮寺尼宮門跡扁額を御染筆あらせらる。
元禄4年(1691)本殿を再建し明治6年(1873)10月村社に列せらる。
とある。
色来神社のある当地は、竹野川流域の中流域にあたる場所。
やはり古くより開けた場所で、宮の谷古墳・三味ヶ岡遺跡・坂の谷北古墳・坂の谷南古墳・淀谷城址・常光寺跡等が周囲にある(兵庫県考古博物館資料による)。
江戸時代までは「廣瀧明神」と呼ばれていたところをみると、元の鎮座地は小字廣瀧だったのかもしれない。
ちなみに廣瀧には廣瀧の滝がある、この滝と関係があるのかもしれない。
現在地は小字宮ノ谷なのだがこれも腑に落ちない、社殿のある場所は谷筋ではなくて尾根筋なのだ。
鎮座地についてはなかなか謎が深い。
竹野川流域には一定間隔で式内社が並ぶ、海側の北から挙げると鷹野神社・森神社(豊岡市竹野町)・色来神社・(論)桑原神社(竹野町森本)・(論)桑原神社(竹野町桑野本)がある。
竹野川流域の物流をはじめ様々な機能を持っていたに違いない。
色来神社の現在のご祭神は、国狹槌命となっている。
国狭槌命・国之狭土神・国狭立尊とも表記される。
一般的には土の神さまと言われ農耕と深い関係があるようだが色来神社との詳細な関係は不明だ。
色来神社へのアプローチは、民家の間に神社入り口があるのが1つ目のポイント。
兵庫県道1号日高竹野線より林集落へ西へ入り、突き当りを右(北)へ140メートルほどで左(西)に鳥居がある。
鳥居は民家の間のかなり奥まった場所にチラッと見えるのみなので非常に見つけにくい。
鳥居の左側のさらに奥には廣瀧の滝がある(未確認)。
鳥居からは徒歩で20分ほど山の中の参道を登ることになる。
この参道はかなりていねいに整備はされているのだがトレッキング要素が強いので歩きやすい靴が良い。
20分ほど参道を登ると正面に鳥居が見えてくる。
この鳥居は色来神社の鳥居ではなく摂社末社への鳥居のもの。
2つ目のポイントは見えている鳥居と反対側、つまり右へ鋭角に方向転換すると平らな尾根筋の向こうの方に色来神社の社殿が見える。
この尾根筋を行くと色来神社の社殿のある場所に右横から入る形になる。
想像するに、かつては社殿の正面に急な傾斜の参道があったのかもしれない(勝手な想像です)。
色来神社の社殿は入り口にある杉の木のところに神饌庫のような建物、本殿の右手にある倉庫のような建物、そして本殿で構成されている。
本殿は、かつて茅葺き、もしくは檜皮葺だったのだろう、現在はブリキの屋根となっている。
妻入で背の高い建物、全体的にすばらしい彫り物が施されていて秋塚法橋廣貞の銘がある。
秋塚法橋廣貞という彫刻師は嘉永年間(1848~1854年)から明治時代(1868年~)前半に活躍した人。
記録には無いが、本殿はこの時期に建築されたものかもしれない。
本殿の礎石部分を見てもそれほど古いものには見えず江戸時代の作りのように思えた(個人的見解です)。
本殿の横には色來大明神とある扁額が立てかけられていた。
全体的に本殿は折に触れて修復されているようだが風雪による色褪せが著しい、さらなる修復が必要な時期なのかもしれない。
個人的には社殿の配置と現在の参道の位置関係が大いに気になる。
仮に、かつての鎮座地は現社地より南西約50mの平坦地にあった、が正しいとすれば参道途中に水場があり、そこが廣瀧の滝のすぐ上流にあたる場所となり、その付近にあったのかもしれない。
だから社殿もその方向を向いているのだろうか、謎は深い…。
土の神さまを祀り滝との関係もある山の尾根筋にある神社。
注意点
20分ほど参道をトレッキングのように歩くので歩きやすい靴がよい。
訪問ノート
訪問日 :2022/5/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7R3 + 24-70mm F2.8 DG DN | Art 019
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。