比定社:(論)桑原神社(竹野町桑野本)
式内社コード:277-100
神名帳社名 :桑原神社、クハハラノ
社 格 :小
所 在 地 :669-6353 兵庫県豊岡市竹野町桑野本1164
Plus Code :HM6J+HR 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「くわはらじんじゃ」と読む、地名の桑野本は「くわのもと」と読む。
桑野本集落の南の端の小高い丘に鎮座。
兵庫県道135号村岡竹野線の桑野本集落の中に「大イチョウ」という看板がある。
ここを川南谷(かなんだに)方面(西)へ入るとすぐに桑野本公民館があり神社への入口がある。
桑野本公民館横に駐車スペースがあるので利用させて頂くのが良い。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
神社背後の丘との関係。
これぞ古社という感じの大イチョウは圧巻。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
兵庫県謹製の桑原(くわはら)神社の大イチョウ説明書によると。
郷土記念物 桑原(くわはら)神社の大イチョウ
指定対象 イチョウ1本
指定年月日 平成5年1月19日
秋にはが全部落ちると翌日には雪が降るという言い伝えがあり、地域の人々から神木として崇められている。イチョウとしては県内第3位の巨木である。
兵庫県
とある。
豊岡市教育委員会謹製の桑野本の大イチョウ説明書によると。
兵庫県指定天然記念物
桑野本(くわのもと)の大(おお)イチョウ
桑原神社境内に生育するイチョウ。県内のイチョウとして、樹高四十四メートルは県内第一位、胸高周囲八.二メートルは県内第三位。
豊岡市教育委員会
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、保食神・仁布命。
由緒不詳。
明治14年(1881年)現社名に改称。
江戸時代までは「稲蔵神社」と呼ばれていた。
竹野町森本にある桑原神社は当社が移ったものとする説がある。
『国司文書 但馬故事記』などによれば、第22代清寧天皇3年夏5月、第10代崇神天皇の皇子、豊城入彦命の八世孫である桑原臣の祖、多奇市が、桑を植え、蚕を養い、絹を織り、これを献上したという。
第25代仁賢天皇2年秋8月、多奇市がその父である久邇布を桑原邑に祀ったのが当社だという。
※清寧天皇3年:482年、諸説あり
※仁賢天皇2年:489年、諸説あり
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:保食神仁布命(ウケモチノカミニフノミコト)
創祀は不詳であるが、明治までは稲蔵神社と称されていたが、明治14年(1881)に「桑原神社」と改称された。
境内には大イチョウがあり、平成5年(1993)1月19日に郷土記念物に指定された。
秋に葉が全部落ちると翌日には雪が降るという言い伝えがあり、地域の人々から神木として崇められている。イチョウとしては県内第3位の巨木である。
とある。
延喜式神名帳・山陰道・但馬国・美含郡・桑原神社の論社の1つ。
(論)桑原神社(竹野町桑野本)のある当地は、竹野川流域の上流域で竹野川の谷筋に2本の谷筋が合流している場所。
やはり古くより開けた場所で、稲蔵古墳・稲蔵遺跡・竿田遺跡・桑野本の大イチョウ・桑野本城址が周囲にある(兵庫県考古博物館資料による)。
江戸時代までは「稲蔵神社」と呼ばれていたところをみると、稲蔵古墳・稲蔵遺跡と深い関係にあると思われる。
(論)桑原神社(竹野町桑野本)の小字は稲蔵となっている。
竹野川流域には一定間隔で式内社が並ぶ、海側の北から挙げると鷹野神社・森神社(豊岡市竹野町)・色来神社・(論)桑原神社(竹野町森本)・(論)桑原神社(竹野町桑野本)がある。
竹野川流域の物流をはじめ様々な機能を持っていたに違いない。
(論)桑原神社(竹野町桑野本)の現在のご祭神は、保食神・仁布命となっている。
一説によると、(論)桑原神社(竹野町森本)は桑野本より移動してきた、とも言われている。
つまり当社が元になる神社なのだが、(論)桑原神社(竹野町森本)のご祭神は稻倉魂神・大己貴命で共通性は無い。
個人的には、地名の通り桑原臣が当地に居住し、(論)桑原神社(竹野町桑野本)に先祖を祀ったのではないかと思っている。
その後、神社が移ったというよりも桑原臣が勢力拡大したのか、移住したのかしたのではないだろうか(個人的見解です)。
但馬国には桑や養蚕に関わるお話がたくさん伝わっているし、実際近世まで桑畑だった場所も多い。
当地は、但馬国の養蚕の歴史の中でも、かなり古くより養蚕が行われていた場所なのではないだろうかと思った(個人的見解です)。
(論)桑原神社(竹野町桑野本)へのアプローチは一工夫必要だ。
地図上では兵庫県道135号村岡竹野線にあるのだが入り口が見つけにくい。
目指すのは(論)桑原神社(竹野町桑野本)よりも「桑野本の大イチョウ」とするほうが行き着きやすい。
兵庫県道135号村岡竹野線の桑野本集落の中に「大イチョウ」という看板がある。
ここを川南谷(かなんだに)方面(西)へ入るとすぐに桑野本公民館があり「大イチョウ」の標識が出ていて公民館の正面に神社への入口がある。
神社への入り口と言っても石垣の間を入り、人家と田畑の間のあぜ道なので見つけにくいが、しばらく行くとこんもりとした小高い丘になっている。
桑野本公民館横に駐車スペースがあるので利用させて頂くのが良い。
桑野本公民館の正面の石垣の間より徒歩で進むと人家の庭先と田畑の間のあぜ道となる。
しばらく行くと右手に鳥居と石灯籠が見えてくる。
鳥居脇の社標には式内とある。
神社入り口は北側から入るようになっていて、社殿自体は南西の方向に向いている。
鳥居をくぐると、いきなり「大イチョウ」に圧倒される、素晴らしい社叢だ。
社殿の正面まで進むと「大イチョウ」の存在が際立つ、周囲はもっと木々が茂っていたと思われるが刈払われ日が差し込んでいて明るい。
社殿は古い石積みの上にあり覆屋に入った本殿のみのシンプル構成。
覆屋は前がオープンになっている形式で親しみやすい印象を受ける。
本殿裏は小高い丘になっており、これが稲蔵古墳だと思われる。
丘は3つの摂社末社で厳重に守られている感を醸し出している。
この丘が重要なのではないかという印象を受けた。
覆屋内部の本殿は立派な作り、組物彫り物が施されていて中でも彫り物はなかなか豪華。
建築時期は不明だが比較的新しいのではないだろうか、風雪で色あせているが状態は良い。
覆屋内部には、京都国立博物館・兵庫県立歴史博物館に収蔵されている面の説明書きがある。
ちなみに(論)桑原神社(竹野町桑野本)関係の文化財は以下のような登録がある。
・兵庫県指定文化財
行道面 9面(鎌倉時代)
附
金銅製菩薩宝冠残欠 5片
木製光背 2枚
金銅製透彫光背残欠 3片
鉄製鈴 1器
鉄製鏡 1器
桑野本の大イチョウ
少々気になるのは社殿の向きと周囲の石積みの関係。
社殿の正面には石積みがあって、かつて入り口があったような雰囲気ではない。
やはり本殿の後ろの丘ありきという作りのようだ。
非常に重要な丘を守るように配置された大イチョウのある神社。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。