264-010_高座神社(丹波市山南町)

比定社:高座神社(丹波市山南町)

式内社コード:264-010
神名帳社名 :高座神社、タカクラノ
社    格:小
所 在 地 :669-3131 兵庫県丹波市山南町谷川3557
Plus Code  :3392+Q7 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

たかくらじんじゃと読む。
谷川の集落の南の山裾に鎮座。
周辺は山林と人家といったところ。
神社前の道路は南へ行くと首切地蔵尊で行き止まりになる。
付近は加古川と篠山川が同流する地域で古くから開けていたものと思われる。
社域はかなり広く背後の山に奥の宮もある。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

国指定重要文化財になっている本殿。

国指定重要文化財(建造物)

高座神社本殿、棟札8枚
時代:江戸中期
年代:宝永2
西暦:1705
文化庁解説:
高座神社は丹波市南部の山裾に鎮座する神社で,本殿は宝永2年(1705)に地元の大工によって建立された。身舎の桁行を正面五間とする流造形式で,中央に入母屋造,軒唐破風付の向拝を付け,さらに屋根の左右に千鳥破風を飾る。全体に建ちが高く,独創的な屋根形式をもつほか,組物を三手先とし,要所に彫刻を配して彩色を施し,妻飾は蟇股を据えた装飾性豊かな二重虹梁大瓶束とするなど,細部意匠にも技巧を凝らす。
 高座神社本殿は丹波地方の近世神社本殿の中で最大級の規模を有し,全体的に上質かつ華やかで,向拝の形式や,彫刻等の彩色技法などに当地方の社殿の建築的特徴が認められる。顕著な地方的特色と意匠的独創性を備えた神社本殿として価値が高い。

写真

神社の手前150メートルの地点に元々鳥居があったという石碑がある。
神社の手前150メートルの地点に元々鳥居があったという石碑がある。
高座神社を正面より望む。鳥居は元禄年間の建立とある。
高座神社を正面より望む。
右側(ほぼ東)を望む。この道は行き止まりで首切り地蔵のところで終わっている。神社前には駐車場がある。
右側(ほぼ東)を望む。この道は行き止まりで首切り地蔵のところで終わっている。神社前には駐車場がある。
左側(ほぼ西)を望む。周辺は山林と田畑。
左側(ほぼ西)を望む。周辺は山林と田畑。
鳥居の右側にある通路。かつてはこの道が参道だったのだろう。現在の参道は鳥居から山門、そして拝殿へ左へ曲がっている。
鳥居の右側にある通路。かつてはこの道が参道だったのだろう。現在の参道は鳥居から山門、そして拝殿へ左へ曲がっている。
鳥居の左脇に社標がある。式内とある。
鳥居の左脇に社標がある。式内とある。
鳥居をくぐると右手に手水舎。小さいがなかなか趣がある。
鳥居をくぐると右手に手水舎。小さいがなかなか趣がある。
山門を望む。かなり立派な山門だ。
山門を望む。かなり立派な山門だ。
山門をくぐると左手にある社域の説明図。社域はかなり広く、背後の山の中に奥の宮があるのが分かる。
山門をくぐると左手にある社域の説明図。社域はかなり広く、背後の山の中に奥の宮があるのが分かる。
山門をくぐると広場がある。鳥居と拝殿、右手には社務所がある。
山門をくぐると広場がある。鳥居と拝殿、右手には社務所がある。
丹波市教育委員会謹製の石造鳥居の説明書き。元禄年間の建立とある。
丹波市教育委員会謹製の石造鳥居の説明書き。元禄年間の建立とある。
鳥居と拝殿を正面より望む。凛々しい佇まいだ。
鳥居と拝殿を正面より望む。凛々しい佇まい。
兵庫県教育委員会謹製の本殿の説明書き。県指定文化財とある。2018年に国指定重要文化財に指定されている。
兵庫県教育委員会謹製の本殿の説明書き。県指定文化財とある。2018年に国指定重要文化財に指定されている。
鳥居をくぐると拝殿がある。ご神紋は五三の桐。
鳥居をくぐると拝殿がある。ご神紋は五三の桐。
拝殿に掲げられた神社謹製の由緒書。ご塞神は高倉下命、中世には当町金屋に鎮座していた、本殿は宝永年間に再建、県指定重要文化財とある。現在は国指定重要文化財となっている。
拝殿に掲げられた神社謹製の由緒書。ご塞神は高倉下命、中世には当町金屋に鎮座していた、本殿は宝永年間に再建、県指定重要文化財とある。現在は国指定重要文化財となっている。
拝殿より本殿を望む。左上の額は平成30年に国指定重要文化財を祝うもの。
拝殿より本殿を望む。左上の額は平成30年に国指定重要文化財を祝うもの。
本殿を右側から望む。国指定重要文化財の指定と同時に修復されたようで非常に綺麗で鮮やかな色彩。彫り物、組物とも素晴らしい。
本殿を右側から望む。国指定重要文化財の指定と同時に修復されたようで非常に綺麗で鮮やかな色彩。彫り物、組物とも素晴らしい。
本殿を左側から望む。非常に立派な本殿、桁行庇三間身舎五間、梁間身舎二間庇一間、正面に向拝一間とある。
本殿を左側から望む。非常に立派な本殿、桁行庇三間身舎五間、梁間身舎二間庇一間、正面に向拝一間とある。
本殿横も数多くの装飾が施されている。
本殿横も数多くの装飾が施されている。
本殿の後ろ側にも装飾が施されている。
本殿の後ろ側にも装飾が施されている。
本殿左側を望む。本殿は宝永年間に再建されたもの。
本殿左側を望む。本殿は宝永年間に再建されたもの。
本殿の左脇に奥の宮への登り口がある。今回は登ってみた。
本殿の左脇に奥の宮への登り口がある。今回は登ってみた。
奥の宮への参道は石による階段となっているが少々荒れていて気をつけて登る必要がある。
奥の宮への参道は石による階段となっているが少々荒れていて気をつけて登る必要がある。
最後に階段を登って奥の宮へ到着。
最後に階段を登って奥の宮へ到着。
奥の宮。周辺は急斜面で巨石がごろごろある。石組みも多数見られる。
奥の宮。周辺は急斜面で巨石がごろごろある。石組みも多数見られる。
奥の宮の周辺は巨石がゴロゴロあり磐座を連想する。石組みがあることからひょっとしたら山城だったのかもしれないが詳細不明。
奥の宮の周辺は巨石がゴロゴロあり磐座を連想する。石組みがあることからひょっとしたら山城だったのかもしれないが詳細不明。
拝殿より鳥居を望む。正面に見えるのは通路で、右手に山門があり参道は右へ曲がっている。元々は左の通路が本来の参道だったと思われる。
拝殿より鳥居を望む。正面に見えるのは通路で、右手に山門があり参道は右へ曲がっている。元々は左の通路が本来の参道だったと思われる。
前回訪問時に掲げられていた神事の案内。字体が古めかしくって昔の案内かと思ったが現代のものだ。講が生きている。
前回訪問時に掲げられていた神事の案内。字体が古めかしくって昔の案内かと思ったが現代のものだ。講が生きている。

感想

神社謹製の由緒書によると

高座神社略記
一祭神
 主神 高倉下命(たかくらじのみこと)
  配祀  天火明命(あめのほあかり)
      絰津主命(ふつぬし)
      建田背命(たけだせ)
      比賣神(ひめ)
一由緒
 創立年代は不詳。(式内社)当社祭神は丹波国造家の祖神、丹波の守護神として奉斎されたと伝えられている。
 当社は古来旧久下・上久下両村の総氏神として年々の祭事が継承され現在に至った。
 中世には当郷地頭久下氏の祈願所として当町金屋に鎮座していたが後年この地に遷座された。この時旧社地より移植した松の一本が参道の大松で「お供の松」といわれている。徳川時代には谷川領主織田家の崇敬厚く社領の寄進を受けている。
一本殿 五間社流造。正面双千鳥破風付。
    向拝一間入母屋造正面軒唐破風付
    檜皮葺
    県指定重要文化財
 宝永二年(一七〇四年)氏子により再建された。
 棟梁は谷川の清水武右衛門、大工は谷川の清水七郎左衛門、加東郡小部野の□□義左衛門(□は不明)である。
 本殿平面は桁行庇(けたゆきひさし)三間身舎(もや)五間、梁間身舎(はりまもや)二間庇一間、正面に向拝一間を付ける。正面五間に対し背面六間の特異な構成である。斗栱(ときょう)は和様三手先(正面詰組)中備え蟇股(かえるまた)付、手挟(てばさみ)、蟇股板支輪(いたしりん)等の彫刻や妻組(つまぐみ)の構成には江戸初期の技法が駆使されている。

とある。

神社謹製の本殿配置によると
4殿 右(東) 久下十四者の神々
        大歳神、経津主神、賀茂神、若宮神、祇園神
        春日神、熊野神、稲荷神、天満神、八幡神
        事代主神、大国主神
2殿 右(東) 経津主命(ふつぬしのみこと)
        天火明命(あめのほあかり)
1殿 中央   高倉下命(たかくらじのみこと)
3殿 左(西) 建田背命(たけだせ)
        比賣命(ひめ)
5殿 左(西) 上久下六社の神々
        熊野神、葛城一言主神(かつらぎひとことぬし)、大歳神(おおとし)

とある。

兵庫県教育委員会謹製の説明書によると

県指定文化財 高座神社本殿
指定年月日   昭和51年3月23日
所有者・管理者 高座神社
 高座神社(たかくら)は丹波国造(くにのみやつこ)の創立といわれ、その祖神高倉下命(たかくらじのみこと)及び祖神に関係の深い四柱の神を配祀している。もと町内金屋(かなや)にあったのを弘治(こうじ)3年(1557)に今の地に移したと伝えている。現社殿は、宝永(ほうえい)2年(1705)に上棟、同3年2月に遷宮されている。
 身舎(もや)正面桁行(けたゆき)五間・梁間(はりま)二間・庇(ひさし)一間の流造(ながれづくり)で、一間の唐破風(からはふ)造の向拝(こうはい)を付け、背面は柱間六間、桧皮葺(ひわだぶき)屋根正面に双千鳥破風(ふたつちどりはふ)をおくという特異な形式をもっている。
 斗栱(ときょう)は和洋三手先(みてさき)で、手挟(たばさみ)・蟇股(かえるまた)・板支輪(いたしりん)の彫刻や、妻組の構成に当時盛行した手法が駆使されて、他に例のない貴重な遺構である。
平成4年11月
兵庫県教育委員会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
元慶3年(879年)金屋村に始めて社を建る。
弘治3年(1557年)神託にて谷川に移される。
宝永3年(1706年)再建。
明治6年(1873年)村社。
明治45年(1912年)神饌幣帛料指定。
平成27年(2015年)本殿保存修理(追加)。
江戸時代までは「高座大明神」「高倉大明神」と呼ばれていた。
とある。

創建年代は不詳だが、丹波国造家の祖神を祀ったのが最初と言われている。
丹波国造というのは、なかなか実態がつかめない、と言うか分からないというか、謎が多い。
成務天皇の時代(131~190年、諸説あり)に、尾張連同祖の建稲種命の4世孫の大倉岐命を国造に定めたぼが最初と言われている。
当初の丹波国造は丹後も含むかなり大きな地域を支配していたので強大な力を持っていたものと思われる。
しかし、意外と丹波国造が創建に関与した神社というのは少ないと思う(個人的見解です)。

由緒書には元々は山南町金屋に鎮座していたとある。
金屋という地名は非常に気になる地名だ。
鉄なのか他の金属なのか分からないが、なにか鉱物が採れるということがないとこうした地名とはならないだろう。
こうした事情が分かれば面白いと思う。

奥の宮はかなりの急斜面にあり磐座があったのかもしれないが詳細は不明。

本殿は2012~2015年度にかけて本殿保存修理がなされピカピカの状態。
本殿とともに棟札8枚が国指定重要文化財に指定されており一見の価値がある。
宝永3年(1706年)に建築された当時はこんな状態であったのだろうと思いを馳せることができる。

地域の人々に愛されている様子がよく分かる神社。

注意点

奥の宮に行くなら歩きやすい靴が良い。

訪問ノート

訪問日 :2018/2/3、2021/9/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

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