277-060_美伊神社(香美町香住区三川)

比定社:美伊神社(香美町香住区三川)

式内社コード:277-060
神名帳社名 :美伊神社、ミイノ
社   格 :小
所 在 地 :669-6426 兵庫県美方郡香美町香住区三川87-1
Plus Code  :HJ8V+WP 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「みいじんじゃ」と読む、地名の三川は「みかわ」と読む。
兵庫県道256号三川下岡線の佐津集落より標識の通りに三川あるいは三川権現方面(南)へ入る。
交差点より曲がるのだが道路はそのまま兵庫県道256号三川下岡線を走れば良い。
標識より9.1kmほどで朱色の「じんじゃはし」が現れる。
橋を渡り右側(西)に駐車スペースがある。
さらに400メートルほど奥には「三川山蔵王大権現社」がある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩3】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

三川山で採れた鉱物資源。
「三川山 蔵王大権現社」との関係。

写真

美伊神社(香美町香住区三川)の入り口を望む。兵庫県道256号三川下岡線の脇に社標が建っており石段が続いている。社標には式内とある。
美伊神社(香美町香住区三川)の入り口を望む。兵庫県道256号三川下岡線の脇に社標が建っており石段が続いている。社標には式内とある。
右側(北)を望む。この場所は橋を南へ渡ったところ、橋の向こうの左側に社標がある。この方角は兵庫県道256号三川下岡線の佐津方面。
右側(北)を望む。この場所は橋を南へ渡ったところ、橋の向こうの左側に社標がある。この方角は兵庫県道256号三川下岡線の佐津方面。
左側(南)を望む。橋の下を流れているのは佐津川。この橋の向こう側に駐車スペースがある。
左側(南)を望む。橋の下を流れているのは佐津川。この橋の向こう側に駐車スペースがある。
橋の向こう側(南)の右側(西)にちょっとした駐車スペースがある。
橋の向こう側(南)の右側(西)にちょっとした駐車スペースがある。
社標の脇より参道を登る。階段はキチンと整備されている。
社標の脇より参道を登る。階段はキチンと整備されている。
階段の途中の左右にはかつて何かの建物があったと思われる跡がある。
階段の途中の左右にはかつて何かの建物があったと思われる跡がある。
階段を登りきると広くはないが社殿前の広場に到着。
階段を登りきると広くはないが社殿前の広場に到着。
社殿を正面より望む。覆屋に入った本殿のみのシンプル構成。
社殿を正面より望む。覆屋に入った本殿のみのシンプル構成。
右側を望む。この向こう側は谷筋へ落ち込んでいて結構落差がある。
右側を望む。この向こう側は谷筋へ落ち込んでいて結構落差がある。
左側を望む。尾根筋になっていて削って平らにした場所のようだ。
左側を望む。尾根筋になっていて削って平らにした場所のようだ。
社殿を右側より望む。
社殿を右側より望む。
社殿を左側より望む。鳥居や石灯籠それに狛犬は無い。摂社末社も無い。
社殿を左側より望む。鳥居や石灯籠それに狛犬は無い。摂社末社も無い。
社殿を右側より望む。すぐ後ろは谷筋へ落ち込んでいる。
社殿を右側より望む。すぐ後ろは谷筋へ落ち込んでいる。
社殿の左後ろには踏み跡らしきものが谷の斜面に沿って続いているような気がする。かつての街道なのではないだろうか。
社殿の左後ろには踏み跡らしきものが谷の斜面に沿って続いているような気がする。かつての街道なのではないだろうか。
社殿の左後ろより正面を望む。社殿の脇にも何かの跡がある。
社殿の左後ろより正面を望む。社殿の脇にも何かの跡がある。
社殿を左側より望む。
社域には古木もあり、古くよりここに鎮座していることが分かる。
社域には古木もあり、古くよりここに鎮座していることが分かる。
切り株と苔。
切り株と苔。
社殿のある広場より階段を望む。階段の左右に何かの跡がある。
社殿のある広場より階段を望む。階段の左右に何かの跡がある。
県道が見えるところまで下ってきた。
県道が見えるところまで下ってきた。
社標の裏に由緒が彫ってあるのに気が付いた。
社標の裏に由緒が彫ってあるのに気が付いた。

感想

氏子謹製の由緒書(社標の裏側)によると

人皇十代崇神天皇御宇創建
天火明命 大国主命の子孫 武額明命 美伊毘古命
建饒穂命 美伊毘売命を祀る

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、美伊毘売命・美伊毘彦命。

崇神天皇28年(BC70年、諸説あり)創立(修正)。
雄略天皇18年(474年、諸説あり)土生の壇地山に遷座(修正)。
白鳳5年(676年)藏王権現社創立。
宝亀元年(770年)三川山清庭峯に遷宮。
明治6年(1873年)村社。

当初米地の上美伊谷の南山の段地にあり。
雄略天皇18年(474年、諸説あり)美伊神社の祠字を土生の壇地山に御遷座。
宝亀元年(770年)庚戌歳三川山清庭峯に遷宮。

江戸時代までは「三河権現」「藏王権現社」と呼ばれていた。

崇神天皇28年(BC70年、諸説あり)4月の創立にして美伊県主武額明命が勧請されたと伝えられている。
また、天武天皇の御代(673~686年)に役行者小角が当山に入り八千矛神を勧請したと伝わる。
当社のさらに奥に「三川山蔵王大権現」が鎮座している。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:美伊毘売命(ミイビヒメノミコト)。
配祀神:美伊毘彦命(ミイビヒコノミコト)。

 崇神天皇28年(BC70)、美伊縣主武額明命が美伊谷山に、その祖神を祀ったと云われる。
 元々は、麓の米地(上美伊谷)に鎮座していたが、雄略天皇17年、贄土師連吾筍命の命により、土師の氏人等が埴土を求めて本見塚(土生谷)へ移住するにより当社も遷座した。
更に光仁天皇の宝亀元年(770)、現在の地にへ遷座されたと云う。

とある。


美伊神社(香美町香住区三川)のある当地は、北に開けた佐津川沿いの谷筋(佐津谷)南端の最深部にあたる場所。
古くより開けた場所ではないが三川山(887.8m)との関係が深い場所だ。
周囲には、三川たたら跡があり(兵庫県考古博物館資料による)、鉄をはじめ鉱物資源が採取されていたと思われる。

三川山と言えば、三川山蔵王大権現(三川権現)は日本三大権現と言われており、大和の大峯山・伯耆の三徳山と並ぶ修験道の聖地となっている。
三川山蔵王大権現が役小角(えんのおずぬ)により開かれたのは、天武3年(674年)に蔵王権現を勧請したのが始まりと言われている。
修験道と鉱物資源は切っても切れない関係だと思っている(個人的見解です)。
美伊神社(香美町香住区三川)の創建は、崇神天皇28年(BC70年、諸説あり)とあるので美伊神社のほうが先のようだ。

三川山からは、南へ越えれば日高町の神鍋あたりに通じる、東へ越えれば竹野町に通じる、西へ越えれば矢田川流域にも通じ、現代的感覚とは異なり道は険しいが意外と便利な場所なのかもしれない。

美伊神社(香美町香住区三川)のご祭神は、天火明命・武額明命・美伊毘古命・建饒穂命・美伊毘売命。
お話を整理すると、美伊県主の武額明命が崇神天皇28年(BC70年、諸説あり)に、その祖神を祀ったということのようだ。

美伊神社(香美町香住区三川)の鎮座地は何度か遷座している。
・崇神天皇28年(BC70)      :麓の米地(上美伊谷)
・雄略天皇17年(473年、諸説あり):本見塚(土生谷)
・宝亀元年(770年)       :現在地
この遷座の際には、土師の氏人等が埴土を求めて、とあり土師氏との関係もあるのかもしれない。

江戸時代までは「三河権現」「藏王権現社」と呼ばれていた、というところを見ると「三川山蔵王大権現」と一体だったのだろうと思われる(個人的見解です)。

美伊神社(香美町香住区三川)へのアプローチは1本道。
兵庫県道256号三川下岡線の佐津集落より標識の通りに三川あるいは三川権現方面(南)へ入る。
標識より9.1kmほどで朱色の「じんじゃはし」が現れる。
橋を通り過ぎた右(西)に駐車スペースがある。
さらに400メートルほど奥には「三川山蔵王大権現社」がある。

現在は道路がきれいに整備されて訪問するのに全く苦労は無いが、かつてクルマが無い時代は佐津あたりからでも1日仕事だっただろう。
兵庫県道256号三川下岡線を走ると最初に出てくる朱塗りの橋が「じんじゃはし」で、その手前(北)の西側に社標が建っている。
時々あるが、社標の裏に由緒が彫ってあるので見落としがちだ。
社標のあるところからは、よく整備された階段の参道が続いている。
参道の途中の左右には何かの跡、社務所とかの建物が建っていたと思われる場所もある。
登り切ると、深い谷を背にし尾根筋を切り崩し平らにした社域が広がる。
想像するに、かつては尾根筋を社域にし、いくつかの段に分かれて社殿が建っていたと思われる。
当地には宝亀元年(770年)に遷座とあるが古木は意外と少ない印象だ。
社殿は1つのみでシンプル、南の三川山に正対しているが逆なのではないだろうか(個人的見解です)。
社殿の後ろの方に谷筋に沿った踏み跡のようなかすかな跡があるので、かつての街道はこの社域を通過していたのかもしれない。

佐津谷の最深部に鎮座する三川山の鉱物資源と関係があるかもしれない神社。

注意点

参道はトレッキングのような感じなので歩きやすい靴が良い。

訪問ノート

訪問日 :2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7R3 + 24-70mm F2.8 DG DN | Art 019

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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