比定社:倭文神社(朝来市生野町)
式内社コード:272-100
神名帳社名:倭文神社、シトリノ/シツノ
社格:小
所在地:679-3302 兵庫県朝来市生野町円山201
plus code:5QRR+6V 朝来市、兵庫県く
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アプローチ&ロケーション
しどりじんじゃと読む。
円山集落は大きい範囲だがおおむね北の端の円山川の西岸に鎮座する。
播但連絡道路の生野北第2IC料金所のすぐ脇にあり、国道312号線から東に入りすぐの場所。
駐車場はないので注意。
ハイライト
当地と織物の神との関係。
写真
感想
生野町教育委員会謹製の由緒書によると
式内社
式内社とは一〇世紀の初め、醍醐天皇(八九七~九三〇)の御代に編纂されました延喜式神名帳に記載されている由緒正しい、歴史の古い神社ということです。
但馬の国には一三一社あり、その内朝来郡には九社あります。
生野町内ではこの倭文(しどり)神社一社のみです。
倭文神社(しどりじんじゃ、通称 鮭の宮)
祭 神 天羽槌命(アメノハツチノミコト)
創建年代 和銅五年(七一二)
正徳三年(一七一三)社殿を修造し遷宮式を行つた時、偶然下流から鮭が遡ってきました。村人達は、これをめでたい前兆として喜び鮭の宮と呼ぶようになりました。
平成五年三月
生野町教育委員会
とある
氏子中謹製の由緒書によると
式内倭文神社は、天羽槌命を祭神とし、創建は、和銅五年(七一二年)である。正徳三年(一七一三年)社殿を修造し、遷宮の時、鮭が遡上したことにより、鮭の宮と呼ばれる所以である。創建一三〇〇年、遷宮三〇〇年にあたり、ここに記念碑を建立する。
平成二十四年(二〇一二年)十月吉日
氏子中
とある
また記録によると
和同5年(712年)創建。
正徳3年(1713年)社殿大破のため再建。
寛政11年(1799年)再建。
明治14年(1881年)本殿修造。
江戸時代は「塩田明神」「聖儒大明神」「鮭ノ宮」と称していた。
とある。
正徳3年(1713年)の再建時に遷宮し、元は現在の国常神社の場所にあったようだ。
円山の地名はかなり大きな範囲で生野銀山のすぐ北側に位置する。
生野銀山は、大同2年(807年)に最初に銀が発見された後には重要な地域だったのかもしれない。
また、円山川は円山の地を発する川なので円山川と名づけられたと思われる(個人的見解です)。
だが、ご祭神の天羽槌命と当地や当神社との関係はよく分からない。
国道312号線を東に入るとすぐ円山川の西岸(手前)にあり神社自体は東を向いている。
訪問時には鳥居前の鉄製の橋は通行禁止となっていた。
本殿は非常に大きな覆屋に入っていて殆ど見えないが状態は良いようだ。
覆屋の屋根には珍しいご神紋があり、左半分が五三の桐、右半分が十六菊となっていて、見たことがない。
社域は広くはないがキチンと手入れされており気持ち良く参拝できる。
注意点
駐車場はないので注意。
訪問ノート
訪問日:2018/5/27
交通手段:クルマで訪問
カメラ:DMC-TZ60
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。