276-140_氣比神社(豊岡市気比)

比定社:氣比神社(豊岡市気比)

式内社コード:276-140
神名帳社名 :気比神社(氣比神社)、ケヒ
社    格:小
所 在 地 :669-6124 兵庫県豊岡市気比286
Plus Code  :JRJV+5F 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「けひじんじゃ」と読む、地名の気比は「けひ」と読む。
気比集落の南の気比川東岸の山裾に鎮座。
気比集落の南の兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線から東を見ると鳥居が見える。
集落の中を通る道と県道が合流する地点の北西に気比川にかかる橋がある。
橋には獣よけのフェンスが設置してあるので開けたら必ず閉めること。
気比川を渡れば300メートルほどで到着。
周辺に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

気比川との位置関係。

国指定重要文化財(美術品)

流水文銅鐸4口
時代:弥生
ト書:兵庫県豊岡市気比出土
保管施設の名称:東京国立博物館

写真

気比川の西岸の兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線より東を見ると気比川の向こうに氣比神社(豊岡市気比)の鳥居と倉庫が見える。最初に訪問した時は気比川の渡り方が分からず到達できず。
気比川の西岸の兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線より東を見ると気比川の向こうに氣比神社(豊岡市気比)の鳥居と倉庫が見える。最初に訪問した時は気比川の渡り方が分からず到達できず。
気比川の西岸より対岸の氣比神社(豊岡市気比)を望む。
気比川の西岸より対岸の氣比神社(豊岡市気比)を望む。
集落に近いところに気比川を渡る橋があり、獣よけのフェンスが設置してある。このフェンスを開けて道なりに行けば行き着ける。獣よけのフェンスは開けたら必ず閉めること。
集落に近いところに気比川を渡る橋があり、獣よけのフェンスが設置してある。このフェンスを開けて道なりに行けば行き着ける。獣よけのフェンスは開けたら必ず閉めること。
気比川東岸を南下していくと気比銅鐸の出土地がある。
気比川東岸を南下していくと気比銅鐸の出土地がある。
豊岡市教育委員会謹製の気比銅鐸説明書。
豊岡市教育委員会謹製の気比銅鐸説明書。
銅鐸出土地の説明書(石碑)。国指定重要文化財になっているとある。
銅鐸出土地の説明書(石碑)。国指定重要文化財になっているとある。
しばらく行くと行き止まりになり対岸から見えていた鳥居がある。
しばらく行くと行き止まりになり対岸から見えていた鳥居がある。
右側(南)を望む。気比川の上流の方向。
右側(南)を望む。気比川の上流の方向。
正面(西)を望む。前を気比川が流れる、このあたりの標高は2mほどなので古代には神社の前まで水が来ていたのかもしれない。
正面(西)を望む。前を気比川が流れる、このあたりの標高は2mほどなので古代には神社の前まで水が来ていたのかもしれない。
左側(北)を望む。獣よけフェンスの付いた橋からは300メートルほど。
左側(北)を望む。獣よけフェンスの付いた橋からは300メートルほど。
鳥居脇にある社標には式内とある。
鳥居脇にある社標には式内とある。
鳥居をくぐると草地の参道、正面に割拝殿。右側には倉庫のような建物。
鳥居をくぐると草地の参道、正面に割拝殿。右側には倉庫のような建物。
割拝殿の左手前に手水舎。
割拝殿の左手前に手水舎。
割拝殿より社殿を望む。
割拝殿より社殿を望む。
割拝殿を通り抜けると1段高いところに社殿。
割拝殿を通り抜けると1段高いところに社殿。
右側は何も無い。そのむこうは谷筋となっている。
右側は何も無い。そのむこうは谷筋となっている。
左側は山林となっている。
左側は山林となっている。
社殿を正面より望む。
社殿を正面より望む。
社殿を右側より望む。社殿は覆屋と本殿で構成されていてシンプル。
社殿を右側より望む。社殿は覆屋と本殿で構成されていてシンプル。
覆屋内部の本殿を望む。大きくはないが組物彫り物が施されている。
覆屋内部の本殿を望む。大きくはないが組物彫り物が施されている。
覆屋内部の本殿を右側より望む。本殿の状態は非常に良い、気比大明神の扁額がかかり菊のご神紋がある。
覆屋内部の本殿を右側より望む。本殿の状態は非常に良い、気比大明神の扁額がかかり菊のご神紋がある。
社殿の左奥より正面を望む。
社殿の左奥より正面を望む。
社殿より割拝殿を望む。
社殿より割拝殿を望む。
割拝殿より鳥居を望む。
割拝殿より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。鳥居の正面に石灯籠。
参道より鳥居を望む。鳥居の正面に石灯籠。

感想

由緒書はないので詳細不明。


銅鐸出土地の説明書(石碑)によると

史跡 銅鐸出土地

 この地 兵庫県豊岡市「当時城崎郡港村」気比字鷲崎の突端において 大正元年「一九一二年」九月十五日港東小学校改築用の石材採取作業中に 東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸四個は、わが国の重要文化財として指定され 東京国立博物館に所蔵されている
 豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため 昭和四十八年六月十五日豊岡市文化財に指定した
 今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し 気比地区とともに環境を整備したものである

昭和五十年(一九七五年)十一月
 豊岡市教育委員会

とある。


豊岡市教育委員会謹製の気比銅鐸説明書によると

 出土した4個の銅鐸はいずれも高さ45センチ前後で、重さは約6kgあります。全体に流水の文様が描かれ、なかにはシカ、水鳥、トンボ、カメ、魚、人物などの絵もみられます。描かれた絵は当時の人々の世界観や自然界に対する感謝を表現しているとされています。
 4個の銅鐸のうち、2号鐸は島根県雲南市(うんなんし)の加茂岩倉(かもいわくら)遺跡で出土したものと同じ鋳型で作られています。また、3号鐸は製作に使われた鋳型が大阪府茨木市(いばらぎし)の東奈良(ひがしなら)遺跡で出土したことから、そこで製作された後に運ばれたことが分かっています。これは、当時の人々が多くの地域と交流していたことを示しており、豊岡市の弥生時代を知る上で貴重な資料です。

豊岡市教育委員会

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、五十狹沙別命・(配祀)神功皇后。

和銅2年(709年)の創祀。
その後の由緒不詳。

日本海に注ぐ気比川の川口に位置している。
敦賀の気比神宮の相殿に祭られる神功皇后の三韓征伐の説話を物語りと考えても、ここが古代にあつて東から西への船の避難港的位置を形成していたことは明らかである。
神功皇后が敦賀から穴門へ向う途中若狭、加佐、與佐、竹野の海を経て、この地から円山川を遡り、粟鹿大神、夜夫大神、伊豆志大神、小田井縣大神を詣でた後一時、この地で兵食を備へたという。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:五十茶狭沙別命(イササワキノミコト)。
配祀神:神功皇后(ジングウコウゴウ)・仲哀天皇(チュウアイテンノウ)。

由 緒
 社伝によると、和銅2年(709)の創祀。
 神社から北へ少しの場所に、銅鐸出土地の史跡がある。
 この地、兵庫県豊岡市(当時城崎郡港村)気比字鷲崎の突端において、大正7年(1912)9月15日港東小学校改築用の石材採取作業中に、東側の岩窟内部より出土した渦巻文流水文銅鐸4個は、東京国立博物館に所蔵されている。
 豊岡市教育委員会はこの地をながく後世に保存するため、昭和48年(1973)6月15日豊岡市文化財に指定した。 今般気比川改修工事に伴う道路付替に際し、気比地区とともに環境を整備したものである。

祭記事
 例祭は神輿・大檀尻1基・小檀尻1基・樽神輿1基の巡行がある。
 神輿の宮出しは壇尻の橋渡し神事から始まる。境内に架かる宇上橋に壇尻が各神輿を出迎える。
 壇尻の担ぎ棒に神輿の担ぎ棒を添えて、厳かに宮出しが始まるのである。川面に映る逆さ神輿は何とも云えぬ荘厳さに満ちている。
 神輿は村内の御旅所3ヶ所を巡る。
 大壇尻は新築の家庭を祝って巡り、午後には村の広場で勇壮な競い合いが披露される。
 夕刻還幸惜しまれながら、神輿は担ぎ手の唄う伊勢音頭と共に宮入する。

とある。


氣比神社(豊岡市気比)のある当地は、津居山湾に流れ込んでいる気比川の河口部にあたる場所。
かつて水位が高かった時には氣比神社(豊岡市気比)のすぐ前まで水が入っていたと思われる。
ちなみに神社前の標高は2mほど。
津居山湾から見れば2つの川筋があり、東側は気比川、西側は円山川ということになる。
但馬国の日本海側の玄関口として古くから大いに栄えていたのではないだろうか。
周辺には以下のような多くの古墳や遺跡が存在する(兵庫県考古博物館)。
絹巻山上古墳・北野古塚・港東小跡地遺跡・岩谷散布地・宝塚経塚・崩灘遺跡・観正寺西散布地・観正寺東散布地・太平寺経塚・太平寺跡・岩谷塚・気比遺跡・宮代遺跡・高城址・気比川散布地・観正寺庭園
それらを裏付けるように気比銅鐸4つが発見され国指定重要文化財(美術品)に指定されている。

氣比神社(豊岡市気比)のご祭神は、五十狹沙別命・(配祀)神功皇后。
神功皇后が敦賀から穴門へ向う途中に若狭・加佐・與佐・竹野の海を経て、この地から円山川を遡り粟鹿大神・夜夫大神・伊豆志大神・小田井縣大神を詣でた後、この地で兵食を備えた。
またある時、五十狹沙別大神が神功皇后に「船を以って海を渡らば須く住吉大神を御船に祀るべし」と託宣した、神功皇后は住吉三神を船に祀り御食を五十狹沙別大神に奉り、この地を気比浦と称した。
というお話が伝わっている。
氣比神社(豊岡市気比)の気比は敦賀の気比がルーツのようだ。
当時、対外政策的に日本海側の港が大きな役割を果たしたことがよく分かるお話だと思う。

氣比神社(豊岡市気比)へのアプローチは橋を見つければ難しくはない。
当初訪ねた際には気比川を渡る橋を見つけることができずに断念したのだが今回は橋を見つけたので行き着けた。
気比集落の南の兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線から東を見ると鳥居が見えている。
集落の中を通る道と県道が合流する地点の北西に気比川にかかる橋があるのでこれがポイント。
橋には獣よけのフェンスが設置してあるので開けたら必ず閉めること。
気比川を渡れば道なりに300メートルほどで到着する。
途中に大きな岩があり気比銅鐸の出土地となっていて説明書きもある。
気比川のすぐ横というのは古代には水に浸かっていたのではないかと思われるので、本当にここから出土したんだろうかと思った(個人的見解です)。
さらに気比川沿いを南へ進むと左手の山裾に鳥居が見えてくる。
社域周囲は山林と田畑となっていて南側には神社の倉庫だろうか大きな新しい建物がある。
クルマは周辺に駐車可能。

鳥居と社殿は気比川の方向(西)を向いている。
鳥居をくぐると草が刈られた参道が割拝殿まで続いている。
参道の右側は倉庫、左側はちょっとした広場のようになっている。
割拝殿を過ぎると1段高いところに社殿がある。
かなり整備されていて古さを感じない、平成12年(2000年)に大規模な改修がなされたようだ。
社殿は覆屋に入った本殿で構成されていて、覆屋も中の本殿も新しく状態が非常に良い。
覆屋は屋根と壁の間が隙間があるタイプで風通しが考慮されている。
本殿には組物と彫り物が施され気比大明神の扁額、菊のご神紋が付いている。
全体的にキレイに整備されているので気持ちよく参拝できる。

神功皇后が敦賀の神さまを当地に祀り地名も気比になった元となる神社。

注意点

気比川に掛かる橋の獣よけフェンスは開けたら必ず閉めること。

訪問ノート

訪問日 :2019/1/20、2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7R3 + 24-70mm F2.8 DG DN | Art 019

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから