276-180_酒垂神社

比定社:酒垂神社

式内社コード:276-180
神名帳社名 :酒垂神社、サカタルノ
社    格:小
所 在 地 :668-0816 兵庫県豊岡市法花寺725
Plus Code  :HV49+7W 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「さかたるじんじゃ」または「さかだれじんじゃ」と読む、地名の法花寺は「ほっけいじ」と読む。
法花寺集落の中央の平地に鎮座。
国道312号線の鎌田交差点を東に曲がり兵庫県道160号奥野コウノトリの郷停車場線に入る。
2.1kmほどで兵庫県道160号奥野コウノトリの郷停車場線は右(南)へ曲がっているがそのまま直進し400メートルほどで到着する。
酒垂神社の前には法花寺会館があり駐車は可能だがバスの邪魔にならないようにする。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

お酒と何かと関係の深い地域だということ。
重要文化財の本殿。

国指定重要文化財(建造物)

酒垂神社本殿、棟札2枚
時代:室町中期
年代:文安元
西暦:1444
文化庁解説:
一間社流造で室町時代の建立である。向拝その他に修理のあとがあるが、その他はよく保存されている。蟇股や妻飾などにみるべきものがある。

写真

酒垂神社を正面より望む。ちょうど道が左へ90度曲がっているところにある。
酒垂神社を正面より望む。ちょうど道が左へ90度曲がっているところにある。
右側(東)を望む。東西に広がった谷筋の最奥部にある。かつてはこのまま進むと「こさづ峠」を越えれば久美浜へ通じていた。丹後との国境が近い。
右側(東)を望む。東西に広がった谷筋の最奥部にある。かつてはこのまま進むと「こさづ峠」を越えれば久美浜へ通じていた。丹後との国境が近い。
正面(南)を望む。この山を越えれば南にある谷筋へ出ることができる。
正面(南)を望む。この山を越えれば南にある谷筋へ出ることができる。
右側(西)を望む。前には法花寺会館があり駐車は可能、バスの転回場所になっているので邪魔にならないように駐車させていただいた。
右側(西)を望む。前には法花寺会館があり駐車は可能、バスの転回場所になっているので邪魔にならないように駐車させていただいた。
付近の案内図。「こさづ峠」を越えると丹後とある。また背後の山に「大垂神酒(おおだるみき)」や「小垂神酒(こだるみき)」という地名があり興味深い。この地域がお酒と深い関係にあるのが分かる。
付近の案内図。「こさづ峠」を越えると丹後とある。また背後の山に「大垂神酒(おおだるみき)」や「小垂神酒(こだるみき)」という地名があり興味深い。この地域がお酒と深い関係にあるのが分かる。
鳥居の右側にある社標には式内とある。
鳥居の右側にある社標には式内とある。
神社謹製の重要文化財酒垂神社本殿畧記。杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大歳大明神)を祀る、とある。
神社謹製の重要文化財酒垂神社本殿畧記。杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大歳大明神)を祀る、とある。
豊岡市教育委員会謹製の説明書。国指定重要文化財であること、永享十年(一四三八)に建設開始、宝徳元年(一四四九)頃に完成とある。
豊岡市教育委員会謹製の説明書。国指定重要文化財であること、永享十年(一四三八)に建設開始、宝徳元年(一四四九)頃に完成とある。
氏子中謹製の大杉追憶の碑。かつては樹齢600年の大杉があったそうだが枯れてしまったため伐採したとある。
氏子中謹製の大杉追憶の碑。かつては樹齢600年の大杉があったそうだが枯れてしまったため伐採したとある。
とりいをくぐると社叢は濃くないが素晴らしい木々と割拝殿。
とりいをくぐると社叢は濃くないが素晴らしい木々と割拝殿。
右側は道路が走っていて左右非対称の社域。
右側は道路が走っていて左右非対称の社域。
左側は遊具もあり近隣の憩いの場。
左側は遊具もあり近隣の憩いの場。
コンクリートの参道の先に割拝殿。
コンクリートの参道の先に割拝殿。
割拝殿を左側より望む。
割拝殿を左側より望む。
手水舎。
手水舎。
割拝殿を正面より望む。いつの時代のものか不明だがコンパクトな造り、時計が設置してあるのが微笑ましい。
割拝殿を正面より望む。いつの時代のものか不明だがコンパクトな造り、時計が設置してあるのが微笑ましい。
割拝殿の内部を望む。扁額には酒垂神社と大藏大明神とある。放送設備なんかもあって地域の中心となっているようだ。
割拝殿の内部を望む。扁額には酒垂神社と大藏大明神とある。放送設備なんかもあって地域の中心となっているようだ。
割拝殿を抜けると垣で囲まれた覆屋に入った本殿がある。
割拝殿を抜けると垣で囲まれた覆屋に入った本殿がある。
覆屋に入った本殿を正面より望む。朱に塗られきれいな状態。文安元年(1444年)遷宮の前後に建築されたもので国指定重要文化財(建造物)。宝永6~8年(1709~1711年)、昭和43年(1968年)~昭和44年(1969年)に修理が行われている。
覆屋に入った本殿を正面より望む。朱に塗られきれいな状態。文安元年(1444年)遷宮の前後に建築されたもので国指定重要文化財(建造物)。宝永6~8年(1709~1711年)、昭和43年(1968年)~昭和44年(1969年)に修理が行われている。
覆屋に入った本殿を右側より望む。装飾はシンプルだがどこか優美な趣がある。覆屋の内部にはお酒の神さまだけあって菰樽がいっぱい。
覆屋に入った本殿を右側より望む。装飾はシンプルだがどこか優美な趣がある。覆屋の内部にはお酒の神さまだけあって菰樽がいっぱい。
覆屋に入った本殿の左奥より正面を望む。朱と白のコントラストが素晴らしい。
覆屋に入った本殿の左奥より正面を望む。朱と白のコントラストが素晴らしい。
屋根はこけら葺になっているのが分かる。素晴らしい造形。
屋根はこけら葺になっているのが分かる。素晴らしい造形。
覆屋の内部にある修理の説明書き。
覆屋の内部にある修理の説明書き。
覆屋を右側より望む。覆屋自体も優美な屋根を持ち趣のある建物。
覆屋を右側より望む。覆屋自体も優美な屋根を持ち趣のある建物。
覆屋を右奥より望む。昭和の修理の際に覆屋自体もやり直しているようだ。基礎を見ると古いやり方なので元々あった形式を忠実に再現していると思われる。
覆屋を右奥より望む。昭和の修理の際に覆屋自体もやり直しているようだ。基礎を見ると古いやり方なので元々あった形式を忠実に再現していると思われる。
覆屋の左奥より正面を望む。
覆屋の左奥より正面を望む。
覆屋右側より割拝殿を望む。
覆屋右側より割拝殿を望む。
本殿より割拝殿を望む。
本殿より割拝殿を望む。
割拝殿より鳥居を望む。鳥居の左右に垣があるのが見える。
割拝殿より鳥居を望む。鳥居の左右に垣があるのが見える。
鳥居脇にある垣には瓶石(かめいし)と呼ばれる石がある。酒造りに関係があるそうだ。こちらは外から見て向かって右側。
鳥居脇にある垣には瓶石(かめいし)と呼ばれる石がある。酒造りに関係があるそうだ。こちらは外から見て向かって右側。
左側の瓶石(かめいし)。社日塔も見える。
左側の瓶石(かめいし)。社日塔も見える。

感想


神社謹製の重要文化財酒垂神社本殿畧記によると

重要文化財 酒垂神社本殿畧記
 酒垂神社は杜氏の祖神酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大歳大明神)を祀る社である。
 神社の創立は今から千三百年の昔、この地方を治めていた郡司物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌、酒觧子神等酒造神三柱を祀ったのが発祥であると伝えられている。延長五年(九二七)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内社と云う)、古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。
 今の本殿は社蔵の棟札によると永享十年(一四三八)釿始・嘉吉元年(一四四一)柱立・文安元年(一四四四)遷宮・造営の大工は伴大夫大伴久清で蟇股にはこの時の墨書も誌されている。建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ツ斗組をのせ、中備えは半肉彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。これらの建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。
 本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され覆屋に囲われていたが、昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り、柱間装置、天井などは建立当初の形式に復された。しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、欠失していた屋根を復し、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。
 覆屋も本殿の修理を同時に改築された。

とある。


豊岡市教育委員会謹製の説明書によると

国指定重要文化財
 酒垂神社本殿
  昭和三十三年五月十四日 指定
 酒垂神社はその名前が酒樽を連想させ、酒弥豆男命(さかみずおのみこと)、酒弥豆女命(さかみずめのみこと)といい、酒造りとの関連が考えられる神社である。
 国指定となっている本殿は所蔵されている棟札により永享十年(一四三八)に建設が始められ、文安元年(一四四四)に完成したとされる。しかし、昭和四三~四四年に行われた解体修理において部材から発見された墨書きにより、細部の造営はその後も引き続き行われ、宝徳元年(一四四九)頃に完成したことが判明した。
 指定されている建物は良く保存されており、側面に見える壺の形をした柱材などに室町時代のデザインをみることができる。
建立年代が明らかで保存もよく、建築細部の技法も優れ、棟札によって工匠名まで明確であり、建築史上の価値は高い。
 豊岡市教育委員会

とある。


氏子中謹製の大杉追憶の碑によると

大杉追憶の碑
 酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は樹齢六百年とも伝えられ樹高三十八.三七メートル直径三.三メートルあり神木として室町期の建立に懸る本殿とともに法花寺部落の誇るべき象徴であった。しかし長年にわたる風雪によりもはや蘇生の手だてもなく樹勢徐々に衰え幹の内部に大空洞を生じ枝の末端も枯損するなどいつ倒壊するかも知れぬ甚だ危険な状態になっていた。したがって将来に不測の事故を未然に防止するため止むなく断腸の思いで伐採することに決した。昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し氏子一同が集まるなかで大杉に決別を告げた。ここに伐採の由縁を記した大杉追憶の資とし後世に伝えたい。
 昭和六十一年十月吉日
  酒垂神社 氏子中

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、酒美津男命・酒美津女命。

白鳳3年(674年)創祀(修正)。
貞観3年(861年)従五位上。
永享10年(1438年)に建設開始(追加)。
文安元年(1444年)遷宮。
宝徳元年(1449年)頃に完成(追加)。
宝永6~8年(1709~1711年)本殿修理。
明治6年(1873年)村社。
大正7年(1918年)神饌幣帛料供進神社指定。
昭和33年(1958年)国指定重要文化財(追加)。
昭和43年(1968年)~昭和44年(1969年)解体修理(追加)。

江戸時代までは「大藏大明神」と呼ばれていた。

白鳳3年(674年、修正)夏、この地方を治めていた郡司・物部韓国連久々比命が贄田(神供用の稲を穫る田)に酒所を定め、そこに酒解子神ら三柱の酒造神を祀つて醸酒し、これを祖神に供ヘて五穀豊穣を祈願したという、その神齊殿がこの神社の発祥であるとする。
文安元年(1444年)に遷宮が斎行されているが、その遷宮が他所からの遷座か否かは不明。
境内入り口である鳥居の足下左右に甕石(かめいし)があり、これは酒を汲み入れる瓶を指すという。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:酒美津男命(サカミツオノミコト)
配祀神:酒美津女命(サカミツメノミコト)

 酒垂神社は、いわゆる式内社で起源も古く、物部韓国連久々比命が、五穀豊穣を祈って酒造神、酒弥豆男命(さかみずおのみこと)を祀ったとされる。境内に隣接して酒米を作った神田があり、酒造用水として、奥の谷あいにわく清水を使っていた。明治以降自由な酒造が禁止されてから氏子らは、手作りの甘酒を供えている。
 本殿は室町時代の建造物で、昭和33年(1958)に国の重文に指定された。その後の解体修理で、永享10年(1438)の棟札が見つかったほか「大伴久清、小工12人」と書きつけたものもあった。創建時の棟梁の名がわかることは比較的珍しいケースという。
 こけらぶきの本殿は、鮮やかな朱塗りが修理の跡を物語るが、すっぽりと覆い家の中に収まり、古社建築を楽しむにはちょっとじゃまになる。だが折からの強い秋雨を見て、この囲いがあったからこそ、本殿も数百年の風雪に耐えてきた。様式は一間社流れ造り。
 境内入り口の左右に瓶石(かめいし)がある。酒をくみ入れる瓶を指すようだが、一方は大杉を切った跡から見つかった。

とある。


酒垂神社のある当地は、円山川から東へ延びる谷筋の最奥部にあたる。
酒垂神社の旧社地は兵庫県道160号奥野コウノトリの郷停車場線が南へ曲がっている場所より北西に200メートルほどのところだったという伝承があるようだ(兵庫県考古博物館資料、現社地より西へ500メートルほど)。文安元年(1444年)に遷座したとの記録があるので、ここから現在地へ遷座となったのだろうと思われる。
当地は東へこさづ峠を越えれば久美浜、東南へ峠を越えれば穴見川沿いの谷筋(中嶋神社がある谷)、西は円山川に通じている。
酒垂神社の背後の山中に大垂神酒(おおだるみき)や小垂神酒(こだるみき)という地名が残っているのが興味深い。
かつては円山川の水位が高く、かなり近くまで水が入っていたのかもしれないので水運には恵まれていたのかもしれない。
こうした背景もあり当地も古くより開けていたようで周囲には古墳や遺跡が多数存在する(兵庫県考古博物館資料)。
塚本古墳・左根谷古墳・杉ノ戸古墳・椎谷古墳
タニオカ1号窯・カマドバナ窯跡・法花寺和鏡出土地・上中野遺跡・小山A遺跡・左根谷遺跡・酒垂神社旧地・小山B遺跡
須恵器を作っていた窯跡が多く一大生産地だったようで良い土が取れたのかもしれない。

酒垂神社のご祭神は、酒美津男命・酒美津女命。
創建には当時の郡司である物部韓国連久々比命が五穀豊穣を祈って酒造神を祀ったとある。
当地は酒の材料となる米・水そして杜氏が揃った地域なのだろう。
朝廷が式内社に指定した理由は酒の製造や流通にからんだものだったのかもしれない(個人的見解です)。

酒垂神社へのアプローチは分かりやすい。
国道312号線の鎌田交差点を東に曲がり兵庫県道160号奥野コウノトリの郷停車場線に入る。
2.1kmほどで兵庫県道160号奥野コウノトリの郷停車場線は右(南)へ曲がっているがそのまま直進し400メートルほどで到着する。
酒垂神社の前には法花寺会館があり駐車は可能だが、バスの転回場所になっているので邪魔にならないようにしたい。

酒垂神社の鳥居と社殿は南を向いていて道路に沿って(南と東)社域が作られている。
そのせいなのか神社入り口は中央ではなく東へ寄っている。
鳥居をくぐると古木に囲まれた割拝殿が正面にある。
かつては樹齢600年の大杉があったそうだが枯れてしまったため伐採したとある、遷座したさいに植えたものだろうか。
社域は広くはない、囲いもないので開放的でどこかほのぼのした印象を受ける。
割拝殿内部には酒垂神社と大藏大明神の扁額が掛かっている。
割拝殿をくぐると本殿前には鉄の扉があり開けて入ることができる。
覆屋自体は格子や窓が付いていて大変立派な造り、本殿の廻りをぐるっと1周できる。
朱に塗られた本殿は文安元年(1444年)遷宮の前後に建築されたもので国指定重要文化財(建造物)となっている。
宝徳元年(1449年)頃に完成したのでは無いかと言われている。
その後、宝永6~8年(1709~1711年)、昭和43年(1968年)~昭和44年(1969年)に修理が行われている。
修理されていて状態は非常に良い。
覆屋内部に昭和の修理の際の説明書きが掲示されている。
お酒の神さまを祀るだけに、覆屋の内部には奉納された酒樽が多数あり酒造関係者の尊崇が篤いようだ。

丹後にも近く、ご祭神・神社名・地名(大垂神酒や小垂神酒)やお酒を入れる須恵器等々、お酒に関係の深い地域であることが大変興味深い。
これだけ揃うと地域でのお酒の生産を独占していたのかもしれない(個人的見解です)。

当地には法花寺万歳という正月に家々の座敷や門前で祝いを述べる祝福芸が保存されており、兵庫県指定無形民俗文化財となっている。

城崎郡の醸酒のルーツの神さまを祀る神社。

注意点

法花寺会館への駐車時にバスのじゃまにならないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/7/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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