277-050_法庭神社:八幡神社に合祀

比定社:法庭神社:八幡神社に合祀

式内社コード:277-050
神名帳社名 :法庭神社、ノリハノ
社   格 :小
所 在 地 :669-6564 兵庫県美方郡香美町香住区下浜
【現在地】
Plus Code  :JJV5+JP 香美町、兵庫県
【旧地】
Plus Code  :JJR5+W6 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「のりばじんじゃ」と読む、地名の下浜は「しものはま」と読む。
【旧地】
下浜集落の西の小高い丘に鎮座。
兵庫県道4号香住村岡線沿の下浜交差点より西へ300メートルほどの場所に小さな橋があり社標がある。
徒歩で社標のある場所よりJR山陰線へ登る道を行くと線路の向こう側(南)に鳥居が見える。
JR山陰線を渡るには踏切にはなってないので細心の注意が必要。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

【旧地】
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

合祀されているのに素晴らしい状態を保った旧地。

写真

【旧地】

兵庫県道4号香住村岡線の下浜交差点より西へ300メートルほどの場所に小さな橋があり社標がある。ここが法庭神社(旧地)の入り口。
兵庫県道4号香住村岡線の下浜交差点より西へ300メートルほどの場所に小さな橋があり社標がある。ここが法庭神社(旧地)の入り口。
右側(西)を望む。前の道路は兵庫県道4号香住村岡線、この方角は余部方面。
右側(西)を望む。前の道路は兵庫県道4号香住村岡線、この方角は余部方面。
左側(東)を望む。前の道路は兵庫県道4号香住村岡線、この方角は香住の町中方面。
左側(東)を望む。前の道路は兵庫県道4号香住村岡線、この方角は香住の町中方面。
社標には式内社・法庭神社本宮とある。なぜ本宮なのだろうと思っていたら、すでに八幡神社に合祀されてこの地は旧地となっていたのだった。
社標には式内社・法庭神社本宮とある。なぜ本宮なのだろうと思っていたら、すでに八幡神社に合祀されてこの地は旧地となっていたのだった。
社標を左に行くと草が刈り込まれて手入れがされている道が続いている。
社標を左に行くと草が刈り込まれて手入れがされている道が続いている。
登り切るとJR山陰本線の線路。向こう側に鳥居が見える。
登り切るとJR山陰本線の線路。向こう側に鳥居が見える。
JR山陰本線の右側(西)を望む。この方面の次の駅は鎧駅となる。
JR山陰本線の右側(西)を望む。この方面の次の駅は鎧駅となる。
JR山陰本線の左側(東)を望む。この方面の次の駅は香住駅となる。
JR山陰本線の左側(東)を望む。この方面の次の駅は香住駅となる。
JR山陰本線の線路の向こう側に鳥居と社標。
JR山陰本線の線路の向こう側に鳥居と社標。
鳥居には式内・法庭神社、社標には式内社・法庭神社本宮とある。奥に社殿と巨木が見えている。
鳥居には式内・法庭神社、社標には式内社・法庭神社本宮とある。奥に社殿と巨木が見えている。
鳥居をくぐると濃い社叢が広がる。
鳥居をくぐると濃い社叢が広がる。
石段を登ると社殿の左後方から社域に入る形となる。小高い丘にあることが分かる。
石段を登ると社殿の左後方から社域に入る形となる。小高い丘にあることが分かる。
社殿を正面より望む。社殿の正面には大きな木が鎮座していて根っこがグネグネ。
社殿を正面より望む。社殿の正面には大きな木が鎮座していて根っこがグネグネ。
社殿を右側より望む。社殿は覆屋に入った本殿のみのシンプル構成。
社殿を右側より望む。社殿は覆屋に入った本殿のみのシンプル構成。
社殿を右側横より望む。
社殿を右側横より望む。
社殿を左側より望む。周囲は濃い社叢と竹林。
社殿を左側より望む。周囲は濃い社叢と竹林。
拝殿と一体となった覆屋。
拝殿と一体となった覆屋。
覆屋の中の本殿を望む。合祀の結果、遷座した神社ではあるが生きている神社。
覆屋の中の本殿を望む。合祀の結果、遷座した神社ではあるが生きている神社。
社殿より正面を望む。正面には巨大な古木が鎮座。かつてはこの方向に参道があったと想像できるが今は線路より入ってくるしかないようだ。
社殿より正面を望む。正面には巨大な古木が鎮座。かつてはこの方向に参道があったと想像できるが今は線路より入ってくるしかないようだ。
社殿前より古木を見上げる。
社殿前より古木を見上げる。
素晴らしい根っこの造形。
素晴らしい根っこの造形。
素晴らしい根っこの造形その2。
素晴らしい根っこの造形その2。
素晴らしい根っこの造形その3。
素晴らしい根っこの造形その3。
参道より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。
鳥居前のJR山陰本線。線路を横断しないで、とあるが橋がある。
鳥居前のJR山陰本線。JRによる注意書きがある。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、武甕槌命・天照国照天火明饒速日命・野見宿禰命。
 また次の説もあるようだ。
  天照国照天火明饒速日命・野見宿禰命『神社調書』
  武甕槌命『特選神名牒』・『兵庫縣神社誌』

崇神天皇の時(BC97~BC30年、諸説あり)鎮座(修正)。
延喜年中(901~923年)勅を受けて改造。
中世洪水のため崩壊。
宝暦7年(1757年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治28年(1895年)本殿再築。

この地が当初鎮座の地、八幡神社に合祀の時期不詳。

祭神の天照国照天火明饒速日命が大和国より兵を率いて床尾山に至り、国内に大水が氾濫しているのを見た。
後、来日山に至り、北方の山岳を削開して瀬戸水門を開いた。
その後、船越山に至って船をつないだ場所に、乗場神社を創建した。
乗場が能理波と転じ、法庭(のりば)となった。
中世八幡神社に合祀されたが、社殿があり祭礼はここでおこなわれる。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:武甕槌命(タケミカツチノミコト)

 元々は八幡神社であり、文武天皇大宝2年(702)の創祀、または、清和天皇貞観18年(876)の創祀とも云われている。
 その八幡神社に崇神天皇の御代に創祀されたと云われる法庭神社が合祀され現在に至る。
 明治6年(1873)、村社に列せられた。

とある。


法庭神社のある下浜集落は、矢田川の河口で香住漁港の西側の海岸に当たる場所。
やはり古くより開けた場所で周辺に以下の古墳や遺跡がある(兵庫県考古博物館資料による)。
下ノ浜法庭神社古墳・下ノ浜石田古墳・下ノ浜神さん畑古墳・下ノ浜クラ谷古墳・下ノ浜字観音堂遺跡・トチ三田遺跡・下浜八幡神社経塚・高木城址

かつては法庭神社(旧地)の丘の下まですぐ海だったのではないかと想像している(丘の西側は標高が2mしかない)。
法庭神社(旧地)は、矢田川河口や香住の港を一望できる場所にあったと思われ、なにかしらの役割を果たしていたように思える(個人的見解です)。
矢田川流域には、河口から法庭神社、椋橋神社・伊曽布神社と連なり村岡に至っている。

現在、法庭神社は「ほうていじんじゃ」と呼ばれているようだが、立地を考慮すると「船に乗る」ということより神社名が付いたというのは自然なことと思われる。
乗場→能理波→法庭(のりば)となった、とあることが真実味を帯びはしないだろうか。

法庭神社は現在八幡神社に合祀となっているのだが、いつ、どういう経緯で合祀されたのか詳細はハッキリしない。

法庭神社のご祭神は、武甕槌命・天照国照天火明饒速日命・野見宿禰命。
饒速日命はお話に出てくるが、武甕槌命と野見宿禰命は出てこないので詳細は不明だ。

【旧地】
今回は旧地へ訪問させていただいた。
法庭神社(旧地)へのアプローチは最初南側から行ってみたが行き着けなかった。
そこで反対側の北側へ行き入り口を発見したのだった。
兵庫県道4号香住村岡線の下浜交差点より西へ300メートルほどの場所に小さな橋があり社標がある。
ここから先は徒歩でのアプローチとなる。
徒歩で社標のある場所よりJR山陰線へ登る道を行くと線路の向こう側(南)に鳥居が見える。
ここは踏切にはなってないので注意。
駐車場は無いので周辺に駐車するしかないので注意。

法庭神社(旧地)へは、兵庫県道4号香住村岡線沿いに「式内社・法庭神社本宮」と銘のある社標がある。
最初は本宮とはどういうことなのだろうか、と感じていた(後で気が付いた)。
この社標より徒歩で草の刈り込まれた里道を行くとほどなくJR山陰本線に行き当たる。
線路の向こうに鳥居があり、踏切が無いので少々驚いた。
しかも、JR西日本福知山支所謹製の「危険ですので線路横断はしないで下さい」との看板が設置されている。
思うに、当然法庭神社(旧地)が先に鎮座していたのだが、JR山陰本線を敷設した際に参道が分断されてしまったのだろう。
ちなみにJR山陰本線の着工は明治33年(1900年)、京都駅から出雲市駅までの開通が明治45年(1912年)となっているので、この前後に法庭神社(旧地)の社域も削られたのだろうと思われる。
個人的には、合祀・遷座の理由はこれじゃないかと思ったりする。

線路の向こうに鳥居があり、ここにも「式内社・法庭神社本宮」銘のある社標がある。
鳥居をくぐり石段を登ると竹林と古木に囲まれた渋い社域となる。
社殿は東を向いているのだが、線路から入る参道は社殿の左後ろから入る形になる。
社殿は拝殿と覆屋が一体になったもので大きくはない。
拝殿正面に巨大な古木がある、その根が周囲にグネグネと張っていて独特の素晴らしい景観を形作っている。
しかも、周囲は竹林に囲まれていて外からは見えないのと相まって秘密の神社にやってきたような感じ。
かつては社殿正面に参道があり矢田川や香住の港から直接舟で来れたのだろうと思う。
いつの時代か分からないが正面の参道は廃れてしまったのだろう。

社殿はいつの時代の建築かは不明だがきれいな状態。
覆屋の中の本殿も大きくは無いがよく手入れされている様子が伺える。
実は、帰ってきてから法庭神社は八幡神社に合祀となっていることに気が付いた次第だ。
通常、合祀されると旧地は捨て置かれるもので、なにかしら荒れた雰囲気が漂う。
だが、法庭神社(旧地)はよく手入れされていて生きている神社だと感じた。
記録には、中世に八幡神社に合祀された、とあるが最近のことなのではなかろうかと思った。

ぜひとも、この法庭神社(旧地)の素晴らしい環境を残していっていただきたいものだと感じた。

矢田川河口や香住の港に対して影響力を持った素晴らしい旧地を持つ神社。

注意点

【旧地】
線路に注意。
駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2022/6/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM