274-200_石部神社(豊岡市出石町)

比定社:石部神社(豊岡市出石町)

式内社コード:274-200
神名帳社名 :石部神社、イソヘノ
社    格:小
所 在 地 :668-0211 兵庫県豊岡市出石町下谷62
Plus Code  :FV6J+FR 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

いそべじんじゃと読む。
出石城跡の東の谷山川の北岸の山裾に鎮座。
兵庫県道253号寺坂柳線沿い出石城跡の東にある周囲の道は狭小注意。
西隣には兵庫県立出石高等学校がある。
神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

「石部神社」・「神明宮(皇大神宮)」・「天満宮」が祀られる社殿。

写真

石部神社を正面より望む。右側の社標には式内とある。左側の社標には但馬国・皇大神宮とある。
石部神社を正面より望む。右側の社標には式内とある。左側の社標には但馬国・皇大神宮とある。
神社謹製の由緒書には御祭神は天日方奇日方命、境内には「皇大神宮」と「天満宮」をまつるとある。
神社謹製の由緒書には御祭神は天日方奇日方命、境内には「皇大神宮」と「天満宮」をまつるとある。
鳥居の右側に駐車スペースがある。
鳥居の右側に駐車スペースがある。
鳥居をくぐると広場があり、石段が左右にある。
鳥居をくぐると広場があり、石段が左右にある。
広場の右側にはご神木の大ケヤキがある。幹周り8メートル、樹高は30メートルとのこと。
広場の右側にはご神木の大ケヤキがある。幹周り8メートル、樹高は30メートルとのこと。
右側の石段を登ると社殿がある。扁額には礒部大明神とある。
右側の石段を登ると社殿がある。扁額には礒部大明神とある。
拝殿と本殿を右側より望む。すだれにピッチリと囲まれていて残念ながら本殿を拝見することはできない。
拝殿と本殿を右側より望む。すだれにピッチリと囲まれていて残念ながら本殿を拝見することはできない。
拝殿と本殿を左側より望む。
拝殿と本殿を左側より望む。
石部神社の拝殿と本殿の左側には天満宮が鎮座する。
石部神社の拝殿と本殿の左側には天満宮が鎮座する。
左側には相殿のような社殿がある。
左側には相殿のような社殿がある。
扁額が多数、真ん中に「神明宮」(達筆すぎ…)、「稲荷宮」、「多茂宮」とある。
扁額が多数、真ん中に「神明宮」(達筆すぎ…)、「稲荷宮」、「多茂宮」とある。
一番左の扁額には「八幡宮」とある。
一番左の扁額には「八幡宮」とある。
左の「神明宮(皇大神宮)」の社殿を左側より望む。
左の「神明宮(皇大神宮)」の社殿を左側より望む。
広場より鳥居を望む。
広場より鳥居を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

「石部(いそべ)神社」の由緒(ゆいしょ)
石部神社は、御祭神(ごさいじん)を「天日方奇日方命(あめのひかたくしむかたのみこと)」と申(もう)して延喜式神名帳(えんきしきじんめいちょう)(一、一〇〇年前)に記載(きさい)されている由緒のある神社です。
その神前には、ご神木(しんぼく)の大ケヤキがそびえています。
この木の樹齢(じゅれい)は一千年といわれ、幹(みき)の周囲(しゅうい)は八メー トル、高さ三十メートルあります。
長年の風雪(ふうせつ)に堪(た)えて幹には苔(こけ)を帯(お)びています。
「健康長寿(けんこうちょうじゅ)」「幸福安全(こうふくあんぜん)」を願って、昔から「幸(しあわせ)の大ケヤキ」と呼ばれています。
境内(けいだい)には「皇大神宮(こうだいじんぐう)」と「天満宮(てんまんぐう)」がまつってあります。
石部神社

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、奇日方命・大山積神・大己貴神・大物主神・事代主命・健御名方命・高彦根命・瀧津彦命。
 他に以下の説がある。
 『兵庫県近世社寺建築緊急調査表』天日矛神
創立の年月不詳。
文禄4年(1595年)坪井より毘沙門町へ移転(修正)。
宝永3年(1706年)現在地へ移転(修正)。
天明(1781~1789年)・天保(1830~1844年)の再度火災で焼失(修正)。
明治6年(1873年)村社。
明治12年(1879年)郷社。
昭和9年(1934年)社殿造営(追加)。
初め坪井村に鎮座せられ、その後毘沙門町の丘上に遷座せらる。
初めに鎮座したと伝えられる坪井は、坪井彌生遺跡・坪井群集墳・坪井横穴遺跡などが分布し、また條里型地割も密に遺存した開発の古い地区である。

とある。


当社もご多分に漏れず、中世以前の記録が全く無い、やはり天正期の戦乱で資料が失われたのだろうか。
天正期の直後の文禄4年(1595年)に遷座しているが、元の鎮座地の坪井村とは出石町坪井のこと(出石神社の近く)。
たぶん、天正期の戦乱で被害を蒙り遷座したのだろう(個人的見解です)。
その後、文禄4年(1595年)坪井より毘沙門町へ遷座、毘沙門町とは現在地の近所だと思われる。
再び、宝永3年(1706年)に現在地へ再び遷座している。

現在地は、兵庫県立出石高等学校のすぐ東側で比較的見つけやすい。
鳥居をくぐると樹齢1000年とも言われる大ケヤキの巨木に圧倒される。

鳥居をくぐると広場、その広場より左右2本の石段が続いていて相殿のように社殿が配置されている。
向かって右側の社殿には「礒部大明神」の扁額がかかっている。
向かって左側の社殿には、真ん中に「神明宮」(達筆すぎ、皇大神宮のこと)・「稲荷宮」・「多茂宮」・「八幡宮」の扁額がある。
同じ場所に多数の神さまが鎮座しているのだが、合祀しているのか別々なのかよく分からない。
これらとは別に、天満宮の祠は2つの社殿の間にある。
現在の石部神社は複雑な成り立ちをしていて、多数の神さまの集合体であることが分かる。
本殿は簾(すだれ)で覆われており見ることが出来なかったのは残念だ。

祭事としては、諸杉神社・石部神社・伊福部神社の氏子による「出石だんじり祭り」が有名。

よく手入れされており地域に愛されている様子がよく分かる神社。

注意点

周囲の道は狭いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2018/7/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100