274-220_(論)小坂神社(豊岡市出石町森井)

比定社:(論)小坂神社(豊岡市出石町森井)

式内社コード:274-220
神名帳社名 :小坂神社、ヲサカノ
社    格:小
所 在 地 :668-0276 兵庫県豊岡市出石町森井170
Plus Code  :FVH2+6H 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「おさかじんじゃ」と読む。
森井集落の南東の外れの山の中腹に鎮座。
国道482号線より南下し農道を進む。
人家が途切れる箇所から未舗装となり獣よけフェンスがある。
獣よけフェンスは開けたら必ず閉めること。
更に進み資材置き場の奥を西へ入ると小さな川の向こうに鳥居と社標がある。
非常に見つけにくい場所。
周囲に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

少々お手軽に作られた印象があるところ。
明治政府によってご祭神を決定されたところ。

写真

小坂神社を正面より望む。神社があるなんて思わないような場所にある。鳥居は西を向いている。
小坂神社を正面より望む。神社があるなんて思わないような場所にある。鳥居は西を向いている。
右側(南)を望む。谷筋だが現在は道がない。
右側(南)を望む。谷筋だが現在は道がない。
正面(西)を望む。この資材置き場の右方向が集落からの道。資材置き場のところから覗き込まないと鳥居が見えないので発見しにくい。クルマはこの辺りに駐車可能。手前に見えている橋は渡らないほうが良い。
正面(西)を望む。この資材置き場の右方向が集落からの道。資材置き場のところから覗き込まないと鳥居が見えないので発見しにくい。クルマはこの辺りに駐車可能。手前に見えている橋は渡らないほうが良い。
鳥居の左側には神社に登るための道もある。社殿後方の斜面の治山事業での工事用の道だと思われる。
鳥居の左側には神社に登るための道もある。社殿後方の斜面の治山事業での工事用の道だと思われる。
鳥居をくぐるといい感じの石段の参道がある。
鳥居をくぐるといい感じの石段の参道がある。
石段を登ると社殿が見えてくる。
石段を登ると社殿が見えてくる。
石段を登りきると正面に拝殿。
石段を登りきると正面に拝殿。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を左側より望む。山を開削して作ったような社域。
拝殿を左側より望む。山を開削して作ったような社域。
拝殿内部を望む。扁額には式内・小坂神社とある。
拝殿内部を望む。扁額には式内・小坂神社とある。
拝殿の後ろの覆屋に入った本殿を右側より望む。残念ながら本殿は全く見ることができない。
拝殿の後ろの覆屋に入った本殿を右側より望む。残念ながら本殿は全く見ることができない。
本殿の後ろは山の斜面が崩れないように治山事業として工事されていた。会社名が渋い。
本殿の後ろは山の斜面が崩れないように治山事業として工事されていた。会社名が渋い。
本殿左側より拝殿を望む。社殿の建築記事は記録がない。
本殿左側より拝殿を望む。社殿の建築記事は記録がない。
拝殿前より参道の石段を望む。
拝殿前より参道の石段を望む。
参道より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、小坂神。
天平19年(747年)創立。
明治6年(1873年)神社調査時に十二所神社。
明治6年(1873年)村社。
明治25年(1892年)小坂神社と改称。
江戸時代までは「十二所権現」「十二所神社」と呼ばれていた。
当社は往古より森井・尾崎両村の産土神であつたが、中古此の地に移住した播州宍禾郡森井の人が熊野十二所権現を併せ祀るようになつたという。

とある。


兵庫県神社庁によると

 聖武天皇天平年間(729~749)の創立と伝へ延喜式の制小社に列し往古より森井尾崎両村の産土神なりしも中古播州宍禾郡森井の人此の地に移住し熊野十二所権現を併せ祭るに至れり
 然るに中古両村に山林の紛争絶えず遂に神社を分離し十二所権現と称し明治6年(1873)神社調査に際し十二所神社と定め同年(1877)10月村社に列し次いで同25年(1892)小坂神社と改称す。
 大正10年(1921)在来祭神未詳なりしを忍坂連の祖天火明命なりとの出願に及びしも確証なしとの理由に依り内務省神社局と協議の結果小坂之神と決定せり。

とある。


延喜式神名帳の但馬国・出石郡の「小坂神社」の論社2社のうちの1つ。

明治期の状況は、小坂神社(豊岡市出石町三木)とよく似た状況のようだ
異なるのは森井と尾崎の両村の産土神であり、中古にはこの両村の紛争が絶えなかったとあることだ。
森井は現在でも住所として残っており分かるのだが、尾崎という地名が近くには見当たらない。

結局、当社の創建の際の由緒とか、中世の状況だとかは全く分からない。

興味深いのは明治政府内務省は地方の神社のご祭神を決定するという役割も持っていたことだ。
明治政府にとってそれほど神社政策というのは重要なことだった。

国道482号線より南下し農道を進む。
人家が途切れる箇所から未舗装となり獣よけフェンスがある、獣よけフェンスは開けたら必ず閉めること。
更に進み資材置き場の奥を左(西)へ入ると小さな橋の向こうに鳥居と社標がある。
クルマで橋を渡るのは危険だ。
資材置き場があることで、この先に神社があるのが分からないかもしれない。

鳥居をくぐると少し左に曲がりながら石段がある。
石段を上がると苔むした広場があり拝殿と覆屋に入った本殿がある。
最近、治山事業で社域が整備されたようで、社殿後方の擁壁なども新しい。

社殿は風雪でかなり色あせている、元々作りが重厚な感じではない。
覆屋に入った本殿は残念ながら全く見ることができない。
社域の木々はそれほど大きなものは無いが社叢自体は良い感じ。

こちらも明治政府によりご祭神を決定された神社。

注意点

未舗装路を走ることになるので注意。
獣よけフェンスは開けたら必ず閉めること。

訪問ノート

訪問日 :2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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