266-130_嶋萬神社(島萬神社、島万神社)

比定社:嶋萬神社(島萬神社、島万神社)

式内社コード:266-130
神名帳社名 :島万神社、シママノ
社    格:小
所 在 地 :623-0113 京都府綾部市中筋町岩ケ下13
Plus Code  :87WV+57 綾部市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「しままじんじゃ」と読む、地名の中筋は「なかすじ」と読む。
中筋町の集落の東の端の山裾に鎮座。
京都府道484号淵垣上八田線の「なかすじ児童センター」の看板を東へ入ると一の鳥居があるので分かりやすい。
一の鳥居をくぐると真っ直ぐ300メートルほどで神社に到着する。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

非常に立派な一の鳥居。
拝殿と本殿の位置関係が素晴らしい。

写真

京都府道484号淵垣上八田線から1本東に入った道路沿いに立つ一の鳥居、非常に立派で大きい。一の鳥居の扁額には「嶋萬神社」とある、そのすぐ横に立っている社標には「島萬神社」とある。
京都府道484号淵垣上八田線から1本東に入った道路沿いに立つ一の鳥居、非常に立派で大きい。一の鳥居の扁額には「嶋萬神社」とある、そのすぐ横に立っている社標には「島萬神社」とある。
一の鳥居前から右側(南)を望む、かつては舞鶴と綾部を結ぶ街道筋だったのだろう。
一の鳥居前から右側(南)を望む、かつては舞鶴と綾部を結ぶ街道筋だったのだろう。
一の鳥居前から左側(北)を望む、周りは田畑と人家。
一の鳥居前から左側(北)を望む、周りは田畑と人家。
一の鳥居をくぐり300メートルほど進むと神社が見えてくる。左手の集落の施設や道路に社地が取られたのだろうか少しいびつな形をしている。
一の鳥居をくぐり300メートルほど進むと神社が見えてくる。左手の集落の施設や道路に社地が取られたのだろうか少しいびつな形をしている。
神社前の注意書きが書いてある掲示板、奥に駐車場ありとある。神社前にも十分なスペースがある。
神社前の注意書きが書いてある掲示板、奥に駐車場ありとある。神社前にも十分なスペースがある。
灯籠と二の鳥居を望む、鳥居前には小さな橋がかかる。
灯籠と二の鳥居を望む、鳥居前には小さな橋がかかる。
二の鳥居より拝殿を望む、芝生で良い感じ。右手は集会場のような建物。
二の鳥居より拝殿を望む、芝生で良い感じ。右手は集会場のような建物。
手水舎は玉垣の外にある。
手水舎は玉垣の外にある。
綾部市教育委員会謹製の説明書き、ここには「島万神社」とある。由緒書が見当たらなかった。
綾部市教育委員会謹製の説明書き、ここには「島万神社」とある。由緒書が見当たらなかった。
拝殿を望む、拝殿はシンプルだが端正で渋い。
拝殿を望む、拝殿はシンプルだが端正で渋い。
拝殿越しに本殿を望む。拝殿の扁額には「嶋萬神社」とある。結局「嶋萬神社」、「島萬神社」、「島万神社」の3つの表記がある。
拝殿越しに本殿を望む。拝殿の扁額には「嶋萬神社」とある。結局「嶋萬神社」、「島萬神社」、「島万神社」の3つの表記がある。
拝殿と本殿の位置関係が美しい。本殿は垣に囲まれておりキチンとした作り。
拝殿と本殿の位置関係が美しい。本殿は垣に囲まれておりキチンとした作り。
拝殿を左後ろから望む、シンプルな形。
拝殿を左後ろから望む、シンプルな形。
祭事の掲示板、由緒書がない。
祭事の掲示板、由緒書がない。
本殿は大きくはないがシンプルな感じ、残念ながら近づけない。
本殿は大きくはないがシンプルな感じ、残念ながら近づけない。
本殿を右手より望む、装飾はあまりされていないように見える。
本殿を右手より望む、装飾はあまりされていないように見える。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。

感想

神社謹製の嶋萬神社祭事によると

嶋萬神社祭事
一月一日    歳旦祭
        お柴祭
二月一日    初午祭
二月二十日   祈年祭
六月三十日   大祓祭
八月十日    夏越祭
十月第二日曜  大祭
十一月二十三日 勤労感謝祭
        戦没者慰霊祭
十二月三十日  大祓祭
十二月三十一日 年越祭

とある。

綾部市教育委員会謹製の島万神社の太刀振・太鼓踊によると

島万神社(しまま)の太刀振(たちふり)・太鼓踊(たいこおどり)
社伝に、天平八年疱瘡(ほうそう)が流行し、翌年(七三七)疫病平癒祈願(えきびょうへいゆきがん)のために本社を勧請(かんじょう)したとしている。現在も安産、病気平癒の神として崇敬(すうけい)されている。祭礼は十月十日に行われ、氏子中から太刀振と太鼓踊が奉納される。これらは中世末期に流行した風流踊を伝えるものであって、昭和六十年京都府の無形民族文化財に登録されている。
平成六年三月
綾部市教育委員会

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。

ご祭神は、須佐之男命。
 もとは秦氏系の古代氏族の祖先であったのを、律令制の神祗政策により出雲系の神話の神に改神したものと考へられる。「式内社調査報告」
天平9年(737年)創立。
慶安2年(1649年)造営。
元文元年(1736年)再建。
明治10年(1877年)式内社に認定。
江戸時代までは「五社大明神」「藥王大菩薩」と呼ばれていた。
天平9年(737年)諸国に天然痘が大流行し、農民達も多く罹病したため、朝廷は諸国に令して神社建立をすすめた。
この時八田郷・吉美郷の人々も社殿を造営して、もと高城山の山丘にあった神をまつって平癒を祈願したのが鎮座の由来だという。

とある。

病気の治癒を願って創建された神社のようだ。
医学の発達していない古代の人々にとっては病気は神に祈るしか方法が無かったのでこうした願いは多々見かける。
例えば、石灯籠に疱瘡治癒と書いてあったりすることも多い。

江戸時代以前の中世の記録が無いため、創建よりどのような経過をたどったのかということについてはハッキリしない。

一の鳥居前の道路は舞鶴と綾部を結ぶ街道筋だったと思われる。
巨大な一の鳥居から集落の中を300メートルほど進むと二の鳥居と社殿が見えてくる。
神社前はきれいに舗装されているが、傍らに建つ施設の建築の際に社域がいびつに削られたような印象を受ける。
二の鳥居をくぐると、端正な姿の拝殿(舞殿?)がある。
その向こうに垣に囲まれた本殿があるが残念ながら近づくことはできない。
社殿は全体的に色彩は無く渋い感じ、記録には元文元年(1736年)再建とあるが状態は良い。

神社名の表記に揺れがあり少々戸惑うが神社としては「嶋萬神社」としたいのだろうと感じた。
・「嶋萬神社」:一の鳥居、祭事説明書、拝殿
・「島萬神社」:一の鳥居脇社標
・「島万神社」:綾部市教育委員会謹製の説明書

社域の木々が若く、巨木や古木は見かけない。
非常によく手入れされており地域に大事にされているのがよく分かる。

京都府の無形民族文化財の太刀振・太鼓踊が伝えられており、後世に残していきたい神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/18
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3