277-030_(論)伊伎佐神社

比定社:(論)伊伎佐神社

式内社コード:277-030
神名帳社名 :伊伎佐神社 三座、イサキノ
社   格 :小
所 在 地 :669-6671 兵庫県美方郡香美町香住区余部2746-2
Plus Code  :MH24+MQ 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「いきさじんじゃ」と読む、地名の余部は「あまるべ」と読む。
余部集落の北の端の山裾に鎮座。
国道178号線の余部交差点を北に入り西川を渡る小さな橋を渡ってすぐ左(西)にある。
見つけやすいが周囲に駐車できるスペースが無い。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

余部鉄橋の方角を向いている社殿。

写真

伊伎佐神社を正面より望む。鳥居は東を向いており、すぐ脇に社務所がある。
伊伎佐神社を正面より望む。鳥居は東を向いており、すぐ脇に社務所がある。
右側(北)を望む。この道を進むと伊笹岬・余部埼灯台(御崎灯台)の方面、旧鎮座地はここから2kmほど。
右側(北)を望む。この道を進むと伊笹岬・余部埼灯台(御崎灯台)の方面、旧鎮座地はここから2kmほど。
正面(東)を望む。ちょうど余部鉄橋の東の端がトンネルに入る部分が見える。
正面(東)を望む。ちょうど余部鉄橋の東の端がトンネルに入る部分が見える。
左側(南)を望む。信号が見えているところが国道178号線の余部交差点、道の駅もすぐの場所。
左側(南)を望む。信号が見えているところが国道178号線の余部交差点、道の駅もすぐの場所。
鳥居脇に建つ社標には式内とある。
鳥居脇に建つ社標には式内とある。
神社謹製の敬神之碑。少々古い文体だが一番正確なのかも。
神社謹製の敬神之碑。少々古い文体だが一番正確なのかも。
鳥居をくぐると社殿のある広場。左の垣の外は西川が流れている。
鳥居をくぐると社殿のある広場。
社殿の右側には倉庫のような建物。社殿は南東の方向を向いている。
社殿の右側には倉庫のような建物。社殿は南東の方向を向いている。
社殿の左側は西川が流れている。
社殿の左側は西川が流れている。
社殿を正面より望む。部分部分が補修され新しい。
社殿を正面より望む。部分部分が補修され新しい。
手水舎。手水鉢の形が珍しい。
手水舎。手水鉢の形が珍しい。
社殿を正面より望む。シンプルな造り。
社殿を正面より望む。シンプルな造り。
社殿を右側より望む。社殿は拝殿と本殿の覆屋を兼ねた形式。
社殿を右側より望む。社殿は拝殿と本殿の覆屋を兼ねた形式。
社殿を左側より望む。
社殿を左側より望む。
社殿の左奥より正面を望む。
社殿の左奥より正面を望む。
社殿の正面を望む。余部鉄橋の方角を向いている。
社殿の正面を望む。余部鉄橋の方角を向いている。
手水舎前より社務所を望む。
手水舎前より社務所を望む。
鳥居を望む。
鳥居を望む。

感想

神社謹製の敬神之碑によると

一、 社 名 式内 伊岐佐神社
一、 御祭神 伊弉諾尊  彦座王命 出雲色男命
       天兒屋根命 応神天皇
一、 由 緒
 文武天皇ノ御代、慶雲四年七月、諸國ニ悪疫病ガ流行ス、時ノ
 天皇ハ諸國ニ神祇ヲ祀ルコトヲ命ジラレシ時、美含大領椋椅連
 小柄、彦座王命ヲ、ココ伊岐佐ノ丘ニ勧請シタコトニ創マル
 今ヨリ約千二百八十年前ノコトデアル
 更ニ天平七年ニハ 伊弉諾命ヲ勧請シ主祭神トスル
 嘉祥四年正月二十七日時ノ神祇官領ヨリ「正六位ノ上」ガ授ケラレ
 数少ナイ延喜式ノ小社ニ列シ、延喜二十二年春三月ニハ、奉幣ノ
 儀アリ官社トナル
 又文永七年夏、異國(蒙古)来襲ト聞き、武神男山八幡宮ノ御分霊
 中臣氏ノ祖、天兒屋根命ヲ勧請シ、異賊退治ノ祈祷式ヲ行フナド
 由緒アル神社デアル
一、 例大祭日 七月十五日デ神幸式渡御アリ

※慶雲四年:707年
※天平七年:735年
※嘉祥四年:851年
※延喜二十二年:922年
※文永七年:1270年

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、伊弉諾尊。

慶雲3年(706年)諸国疫疾流行のため創祀。
神亀5年(728年)出雲色男命を勧請。
天平7年(735年)神伎佐神の神託によつて伊諾弉尊を勧請。
嘉祥4年(851年)正六位上。
延喜22年(922年)伊伎佐神社に奉幣。
延長5年(927年)官社。
文永7年(1270年)社殿造営。
天和2年(1682年)造営。
貞享2年(1685年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治26年(1893年)大洪水で境内流失。

鎮座地
 伊佐々岬『神祇志料』。
 伊笹岬の山麓にある平内神社(三宝社)を元の社地とする説もある。
 現在地に移転の時期不詳。

江戸時代までは「伊楽大明神」「伊伎佐大明神」と呼ばれていた。

伝承では慶雲3年(706年)7月諸国疫疾流行のため、諸国に令して神砥を祀らしむ際、美含大領椋椅部連小柄彦王命を伊伎佐の丘に勧請とし之を祀つたものといわれる。
神亀5年(728年)5月には、美含大領従八位上矢田部連守柄勇山蓮市午磨を召し、部民を率いて田畑を開拓せしめ郷司となす勇山連市午磨基祖である出雲色男命を勧請し、神田を寄進した。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:伊弉諾尊(イザナギノミコト)

 文武天皇の御代、慶雲4年(707)7月、諸国に悪疫病が流行す。時の天皇は諸国に神祇を祀ることを命じられし時、美含郡大領椋椅連小楢、彦坐王命をここ伊岐佐の丘に勧請したことに創まる。更に天平7年(735)には伊弉諾命を勧請し、主祭神とする。
 嘉祥4年(851)正月27日時の神祇官より、「正弐位の上」が授けられ、数少ない延喜式の小社に列し延喜22年(922)春3月には、奉幣の儀あり官社となる。
 又、文永7年(1270)夏、異国(蒙古)来襲と聞き、武神男山八幡宮の御分霊、中臣氏の祖天児屋根命を勧請し、異賊退治の祈祷式を行ふなど由緒ある神社である。

とある。


延喜式神名帳・山陰道・但馬国・美含郡の「伊伎佐神社 三座」の論社のひとつ。

伊伎佐神社のある当地は、日本海に向けて湾になっている一番奥にあたる場所。
南と西に延びる谷筋が交わり海に出る部分、東へ船越峠を越えれば香住、西へ桃観峠を越えれば浜坂に通じる。
古くより開けた場所のようで周辺には、伊伎佐神社横遺跡・余部浜遺跡・市午城址等がある。

伊伎佐神社の元の鎮座地は伊笹岬だったようだが場所・遷座時期・遷座理由はハッキリしない。
現在の伊伎佐神社の位置からは直線で2km強の距離がある。

伊伎佐神社のご祭神は、神社謹製の敬神之碑によると伊弉諾尊・彦座王命・出雲色男命・天兒屋根命・応神天皇となっている。
延喜式神名帳には3座とあるので、これまでのデータを元に順序を組み立ててみると次のような感じだろうか。
・慶雲4年(707年)に美含郡大領の椋椅連小楢が彦坐王命を伊伎佐の丘に祀る
・天平7年(735年)に伊弉諾命を勧請、主祭神に祀る
・神亀5年(728年)に出雲色男命を勧請
この後に延喜式神名帳(927年)に掲載され3座となったと思われる(個人的見解です)。
その後
・文永7年(1270年)に天兒屋根命が祀られる
・応神天皇については詳細不明

神社名の伊伎佐(いきさ)、岬の名前の伊笹(いささ)は発音が近しいように思える。
伊伎佐神社が先か、元の鎮座地の伊笹岬が先か不明だが、関係が深いのではないだろうか。

伊伎佐神社へのアプローチは分かりやすい。
有名な余部鉄橋はすぐそこに見えているし道の駅もある(350メートルほど)。
国道178号線の余部交差点を北に入り西川にかかる小さな橋を渡ってすぐ左(西)にある。
見つけやすいが周囲に駐車できるスペースが無いので道の駅の駐車場を利用させていただくのも良いかもしれない。

東を向いた川沿いに作られた社域に入ると左手に社標、右手に神社謹製の敬神之碑がある。
鳥居をくぐると社務所もある、鳥居や垣は比較的新しいようだ。
さらに進むと社殿のある広場がある。
社殿は鳥居とは異なり南東の方向を向いていてその先には余部鉄橋があるのが面白い。
社殿の前には立派な手水舎、あまり見たことのない形の手水鉢がある。
真新しい石段を登ると社殿、拝殿と覆屋が一体になったような形状となっている。
記録には明治26年(1893年)大洪水の被害とあるので以降に建て直されたものだろうと思われる。
社域はよく手入れされており気持ちよく参拝でき近隣の尊崇が篤いことがうかがえる。

元は伊笹岬にあって灯台のような役割を果たしたのではないかと思われる神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2021/11/4
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM