274-030_桐野神社

比定社:桐野神社

式内社コード:274-030
神名帳社名:桐野神社、キリノノ
社格:小
所在地:668-0242 兵庫県豊岡市出石町桐野614
plus code:CWV2+V9 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

出石川の南岸の桐野集落の南端の平地に鎮座。
国道482号線の寺坂小学校前交差点を南に入る。
桐野集落の中を一番南の奥まで行くとそこだけこんもりと社叢がある。
駐車場は無いので注意。

ハイライト

東床尾山との位置関係。

写真

桐野神社を正面より望む。神社自体は南向き。
桐野神社を正面より望む。神社自体は南向き。
右側(東)を望む。
右側(東)を望む。
正面(南)を望む。左手奥にあるのが東床尾山。
正面(南)を望む。左手奥にあるのが東床尾山。
左側(西)を望む。周囲は田畑と人家。
左側(西)を望む。周囲は田畑と人家。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。
広場の右手を望む。摂社末社と石灯籠。
広場の右手を望む。摂社末社と石灯籠。
広場の左手を望む。摂社末社と石灯籠、手前に手水。
広場の左手を望む。摂社末社と石灯籠、手前に手水。
拜殿を正面より望む。どこにも神社名が書いてない…。
拜殿を正面より望む。どこにも神社名が書いてない…。
拜殿内部を望む。チラッと右の方に貴船神社とある。
拜殿内部を望む。チラッと右の方に貴船神社とある。
拜殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。本殿は全く見ることができない、残念。
拜殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。本殿は全く見ることができない、残念。
本殿左奥より拜殿を望む。古木もところどころにある。
本殿左奥より拜殿を望む。古木もところどころにある。
拜殿を左側より望む。長いしめ縄。
拜殿を左側より望む。長いしめ縄。
石灯籠には迎母燈とある。どういった意味があるのだろう。
石灯籠には迎母燈とある。どういった意味があるのだろう。
社域を左手より望む。
社域を左手より望む。
社域を右手より望む。
社域を右手より望む。
ここだけ大きくはないがこんもりと社叢がある。
ここだけ大きくはないがこんもりと社叢がある。

感想

由緒書はないので詳細不明。

以下のデータがある。
ご祭神は、倉稻魂命。
創建は不明。
明和7年(1770年)本殿を再建。
明治6年(1873年)桐野神社へ復称。
明治6年(1873年)村社。
大正3年(1914年)本殿改築。
江戸時代までは「貴船神社」と呼ばれていた。

桐野集落のある谷筋は南にある東床尾山に向かって延びている。
東床尾山の西には西床尾山、南側には鉄鈷山がある。
その谷筋の現在の一番奥に位置している。

東床尾山の周囲には鉱山が多くあり、南側の糸井川・米地川の流域は、東床尾山を中心に多数の鉱山が存在し、江戸時代の慶長(1596~1615年)~寛永(1624~1645年)年間に大いに栄えた。
それらの開発は戦国時代と伝えられているが、古くから様々な鉱物が採取されていたのだろう(個人的見解です)。

桐野神社や式内社の表示が全く無い神社。
拝殿内部を見ると現在でも神社名は貴船神社のようだ、地図上も貴船神社だ。
しかし、ご祭神は稲荷系の倉稻魂命となっている。
ちょっと不思議な神社ではある。
鎌倉時代は加茂社領になっていたことが関係しているのかもしれない。

社域は大きくないし垣も無い、民家の庭のような感じの神社。
しかし古木がいくつかあり古くからここに鎮座している様子がわかる。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日:2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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