276-190_西刀神社

比定社:西刀神社

式内社コード:276-190
神名帳社名 :西刀神社、ニシトノ
社    格:小
所 在 地 :669-6122 兵庫県豊岡市瀬戸746
Plus Code  :MR4G+34 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「せとじんじゃ」と読む、地名の瀬戸は「せと」と読む。
城崎マリンワールドの駐車場の平地に鎮座。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の1本海側の道路沿いにある。
城崎マリンワールドの案内に沿って進めば良い。
神社周辺は観光バスの駐車になっているので注意する必要がある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

円山川より離れた高台にある立地。

写真

西刀神社を正面より望む。鳥居と社殿は東を向いている。
西刀神社を正面より望む。鳥居と社殿は東を向いている。右手にある社標には式内とある。
右側(北)を望む。鎮座しているのは城崎マリンワールドのバス専用駐車場と一般車駐車場の境目。バス専用駐車場の邪魔にならない用に駐車する必要がある。
右側(北)を望む。鎮座しているのは城崎マリンワールドのバス専用駐車場と一般車駐車場の境目。バス専用駐車場の邪魔にならない用に駐車する必要がある。
左側(南)を望む。
左側(南)を望む。
一の鳥居の脇にある神社謹製の由緒書。主座神:稲背脛命・相殿神:西刀宿袮命とある。
一の鳥居の脇にある神社謹製の由緒書。主座神:稲背脛命・相殿神:西刀宿袮命とある。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。社域は大変綺麗になっていて、一部真新しい建物がある。
一の鳥居をくぐると二の鳥居がある。社域は大変綺麗になっていて、一部真新しい建物がある。
二の鳥居をくぐると真新しい山門がある。
二の鳥居をくぐると真新しい山門がある。
山門をくぐると正面に覆屋に入った本殿。覆屋には菊のご神紋と千木鰹木がついている。
山門をくぐると正面に覆屋に入った本殿。覆屋には菊のご神紋と千木鰹木がついている。
覆屋に入った本殿の右側には摂社末社。
覆屋に入った本殿の右側には摂社末社。
覆屋に入った本殿の左側には直会殿と神輿庫。
覆屋に入った本殿の左側には直会殿と神輿庫。
覆屋内部の本殿を正面より望む。五三の桐のご神紋が見える。
覆屋内部の本殿を正面より望む。五三の桐のご神紋が見える。
覆屋内部の本殿を右側より望む。寛政9年(1797年)の建築と思われるが状態は良い。
覆屋内部の本殿を右側より望む。寛政9年(1797年)の建築と思われるが状態は良い。
覆屋内部の本殿を左側より望む。使い込まれた提灯が渋い。
覆屋内部の本殿を左側より望む。使い込まれた提灯が渋い。
本殿より山門を望む。山門は割拝殿というよりも割休憩所という感じ。
本殿より山門を望む。山門は割拝殿というよりも割休憩所という感じ。
山門より二の鳥居越しに一の鳥居を望む。
山門より二の鳥居越しに一の鳥居を望む。

感想

神社謹製の由緒書によると

西刀神社(せと) 鎮座 豊岡市瀬戸

祭神 主座神 稲背脛命(いなせはぎのみこと、航海の神)
   相殿神 西刀宿袮命(せとすくねのみこと、土木の神)

沿革 当社の創建は甚だ古く既に五十四代 仁明天皇の御代嘉祥四年(西暦八五十)正月には神階正六位上に叙せられ、以来九度の叙位を経て従三位下に昇叙せられ、六十代醍醐天皇の朝延喜式の制に式内社に列し明治六年十月には村社に列せらる。

由緒 祭神稲背脛命は天孫降臨に先だち大国主命のもとに使して事代主命に会見し(日本書記所収)国譲りの諾否(古語いなせ)を求められたという建国の功神。その際長途の旅を脛の字にこもらせて御勲をたゝえ御神名とされている。されば海路の守護神として山陰海上の要港この地に於ても上古既に社殿を創建して御神徳を迎いでいた。次で加うるに人皇十六代仁徳天皇の御代当時この地方には円山川氾濫の滞水のために黄沼前海(きのさきのうみ)と呼ぶ程に一大入海であったところを西刀宿祢は西刀の水門(みと)を切開いて干拓し、蒼生安住の地を開発された。この故に二十一代雄略天皇二年八月当社の相殿に土木神地方開発の祖神として西刀宿祢を合祀した。ちなみにその御霊代として水門の切開きに用いた鍬を納め祀ったと伝えている。この様に当社の由来は誠に古くその神徳は海人(あま)舟乗りさては土木業者間に崇敬され古来より今日まで地方産業の守護神として篤く斉祭(いつきまつ)て絶ゆることがない。

祭日 十月吉日(秋祭)
   (神幸式行事を執行する)

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、西刀宿袮。

仁徳10年(322年、諸説あり)西刀宿禰が西刀の水門を浚渫(修正)。
雄略天皇2年(458年、諸説あり)西刀宿禰を合祀(修正)。
嘉祥4年(851年)正六位上(修正)。
寛政9年(1797年)造営。
明治6年(1873年)村社。

江戸時代までは「三宝荒神宮」・「式三宝社」と呼ばれていた。

日本海と円山川川口の津居山港をむすぶ運河が瀬戸であり、神社はその日本海側からの入口の段丘平坦地に鎮座し、祭神がこの人工運河開さくに関係のあることを暗示する。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:西刀宿祢(セトノスクネ)
配祀神:稲背脛命(イナセハギノミコト)

 稲背脛命は、天孫降臨に先立ち出雲の国、大国主命のもとに使者として行かれ、事代主命に会見し、国譲りの諾否(古語いなせ)を求められた。
 長途の旅を健脚に托し、勲功をたてられたので「いなせ脛命」の御神名がある。
 国譲りのため長途の旅路を陸路、海路共に安全且つ速かに目的を果されたので、陸上、海上の交通安全、同胞一和の守護神として崇敬されています。
 仁徳天皇の御代(458)円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような一大入江であった。この時、海部直命(但馬五社絹巻神社の祭神)は、御子・西刀宿禰に命じて瀬戸の水門を浚渫し、河水を海に流し、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝えられております。

 依って土木建築の神、交通安全、地方開発、同胞一和開運の祖神として当社に祀られています。
とある。


西刀神社のある当地は、円山川の日本海側の河口にあたる場所。
やはり古くより開けた場所で、西刀神社古墳・松神神社古墳・島原1号墳・野ヶ谷古墳が周囲にある。
海外からは玄関口として、国内では円山川流域の治水の要となる場所。
アメノヒボコ神話の「瀬戸の岩引き」の舞台になった場所でもあり、古代の但馬地方における重要な場所であることは間違いない。
「瀬戸の岩引き」に類似のお話としては以下のものが伝わっている。
・(論)楯縫神社(斎神社摂社:養父市長野)
 斎明神が円山川河口の瀬戸を切り開いた
・小田井縣神社
 国作大己貴命が瀬戸の水門をきり開いた

西刀神社のご祭神は、西刀宿祢。
西刀神社の由緒書では、主座神が稲背脛命、相殿神が西刀宿袮命となっている。
西刀宿祢は、城崎郡司である海部直命の子に当たる方で西刀の水門を浚渫した方。
稲背脛命は、大己貴神が子である事代主命に使者として遣わした方。
このあたりは詳細がハッキリしない。

西刀神社へのアプローチは、城崎マリンワールドの案内に沿って進めば良い。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の1本海側の道路沿いの城崎マリンワールドの駐車場の真ん中の平地に鎮座している。
観光地の駐車場の真ん中にあるのは珍しくって何度も通りかかったが見逃してしまった。
神社周辺は観光バスの駐車になっているので注意する必要がある。

西刀神社の鳥居と社殿は東を向いており垣で囲まれていて島のようになっている。
一の鳥居をくぐるときれいに整備された社域となっており一部の社殿も新しいようだ。
一段上がって新しい山門があり、広場になっている。
右側に摂社末社、左側に直会殿と神輿庫がある。
正面には立派な覆屋に入った本殿があり、覆屋には菊のご神紋と千木鰹木がついている。
覆屋の中の本殿は、大きくはないが組物彫り物が施されている。
寛政9年(1797年)の建築と思われるが状態は良いようだ。
長年使い込まれていると思われる提灯が渋い。

本来、元から鎮座している西刀神社を訪問するため駐車するのに気を使うのがちょっとアレだが、これも時代の移り変わりだろう。

円山川開拓の大元になった地に鎮座する神社。

注意点

駐車時にバスのじゃまにならないように注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/1/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3