比定社:佐受神社
式内社コード:277-010
神名帳社名 :佐受神社、サウケノ/サス
社 格:小
所 在 地 :669-6412 兵庫県美方郡香美町香住区米地417-2
Plus Code :JMRP+QV 香美町、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「さずじんじゃ」と読む、地名の米地は「めじ」と読む。
米地集落の北の端の平地に鎮座。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の佐津交差点を南に入る。
1.3kmほどで米地の看板が出ているので東へ入り300メートルほどで到着。
2021年8月21日現在、立入禁止になっており鳥居より中へは入れない。
駐車場は無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
残念ながら、朽ち果てていこうとしている神社、立入禁止。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、佐受主命・佐受姫命。
また次の説もあるようだ。
豊城入彦命『神名帳考証』
佐自努命・綺勝姫命『但馬神社名目抄』
佐自努命・佐須姫命『但馬神社鑑』
欽明天皇32年(571年、諸説あり)佐須知公の創立(修正)。
大同2年(807年)佐自努公民始めて高蔭祭を行なう。
延長5年(927年)官社。
建武2年(1335年)寄進状。
明応7年(1497年)免地状。
寛政6年(1794年)社殿改造遷宮。
明治6年(1873年)村社。
江戸時代までは「米持大明神」と呼ばれていた。
始め佐須氏の祖佐自努命、佐須姫命を祀っていたと思われる。
この佐津川下流域の河谷平野は古代の地域的中心であり、当社もその歴史的背景に関連するものと考えられる。
とある。
兵庫県神社庁によると。
主祭神:佐受主命(サズヌシノミコト)
配祀神:佐受姫命(サズヒメノミコト)
当社の社伝として欽明天皇32年(571)3月、佐須知公の創立とする。
延長5年(927)12月、官社に列す。
近世の頃まで、米持大明神と称し、米地集落の神として、崇敬されている。
とある。
佐受神社のある当地は、佐津川が形作る南北の谷(佐津谷と呼んでみる)の海側(北)入り口に当たる場所。
かつて海が内陸まで入り込んでいた時期にはこのあたりまで水が来ていたのではないかと思われる(個人的見解です)。
当地の標高も高くなく6mほど、佐津谷にはこれより北に式内社は無い。
当地は佐津谷の北側(日本海側)からの玄関口に位置して機能していたと思われ、佐津谷にとっては重要な地点にあたる。
ただし佐津川流域は、竹野川のように広大な流域を形成しておらず、円山川のように大河でもなかった。
佐津川は集落と集落を結ぶという機能は希薄だったようだ。
また佐受神社は香美町香住区米地(めじ)に鎮座するが、米地という地名は養父市にもあり、養父市では「めいじ」と読む。
香美町香住区米地は佐津谷より東へ延びる短い谷筋となっている、かつて米持大明神と呼ばれていたことからも米の栽培が盛んだったのだろうか。
少々余談だが以前から不思議に思っていたことがある。
美方郡香美町の住所には区が付く、神戸市とか他の地域以外でこうした区が付くのはなぜなのだろうと思っていた。
調べてみると香住町は、
”2005年(平成17年)4月1日、周辺の美方郡美方町・村岡町と合併して美方郡香美町となったため消滅した。合併後、旧香住町域は地域自治区「香住区」となった。”
とWiKiにある。
香住区は地域自治区なのだ、香美町で同様のものは他に「村岡区」「小代区」がある。
同じ兵庫県に住む管理人の香美町の印象は、広い・険しいというもの、非常に山や谷が深く冬期の積雪量も半端ではない。
ご祭神は、佐受主命・佐受姫命。
佐須氏の祖神のようだ、この地域を発展させた方ではなかろうか、詳細は不明だ。
佐受神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の佐津交差点を南に入り1.3kmほどで米地の看板が出ているので東へ入り集落へ向かう。
300メートルほどで左手(北)にこんもりとした社地が見えてくる。
管理人が訪問したのは2021年8月21日、現在は鳥居のところで立入禁止になっており中へは入れない。
まさに朽ち果てていこうとしている式内社となってしまっている。
社域は南を向いており、正面に立派な式内とある社標、石灯籠、それに両部鳥居がある。
両部鳥居の内側の柱にネットがかかっており入れない、ネットにはツタが絡まりしばらくこの状態であることが分かる。
参道は幅が狭く一直線に社殿に向かっているようだ。
参道の両側には木々が茂り鬱蒼としている。
しばらく人が入ってない様相となっている。
長い歴史の中、式内社であっても衰退し場所が分からなくなることはままある。
それは中世のことだったり、戦国期であることことが多い。
それらを紆余曲折しながらも現代まで残ってきた式内社はゆうに1000年以上の歴史がある。
神社経営の実態がかつてと近代では大きく異なっていることは分かるし、地方では過疎が問題となっていることも分かる。
式内社にかかわらず地方の神社は、周辺住民(氏子)の努力によって維持されていることも頭が下がる思いだ。
だが日本人の根幹に大いに影響を持つ文化遺産としての神社、少なくても式内社を救う手だてはないものだろうか、と考え込んでしまった。
重要な日本の生きた遺産と言える式内社が、現代の我々の代において、こういう状態になってしまっているのを見るのは物悲しい気持ち。
朽ち果てていこうとしている佐津谷開拓の祖を祀る神社。
注意点
駐車場はないので注意。
立入禁止なので立ち入らないこと。
訪問ノート
訪問日 :2021/8/12
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。