比定社:佐佐婆神社(佐々婆神社)
式内社コード:263-050
神名帳社名 :佐々婆神社、ササハ
社 格:小
所 在 地 :669-2305 兵庫県篠山市畑宮376
Plus Code :37P4+CW 篠山市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
畑宮の集落の小高い丘の西麓に鎮座。
兵庫県道305号瀬利八上上線に面しており分かりやすい場所。
鳥居の扁額には佐々婆神社と共に丹波大神宮とある。
鳥居前に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
横に長い昭和に建立された拝殿。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
延喜式内佐佐婆(楽楽庭)神社由緒(旧県社)
一、際 神 天忍穗耳尊、応神天皇、後鳥羽天皇、春日大神
住吉大神、天児屋根命、表筒男命、中筒男命、底筒男命
一、鎮座地 兵庫県篠山市畑宮澤下の坪三七七
一、沿 革
・第七代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来皇室の崇敬篤く崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉齋せられたる社である。
・神輿三社造立 萬治二年、延宝七年、松平若狭守康信
・鳥居再建 元文五年 松平紀伊守信岑
(現在の鳥居で市内最古の木造建築であり、現在迄に十数回根継修理)
・社殿再建 明和三年 青山下野守忠高(現在の本殿)
・拝殿再建 安永八年 青山下野守忠高(現在の舞堂)
・社坊再建 嘉永五年 青山下野守忠良(現在の社務所)
・村社に列す 明治六年十月、県社に昇格 大正十年七月
・拝殿建立 昭和十四年(現在の拝殿)
亦当拝所以下附属新建物は、人皇第七代孝霊天皇の当神社御仰祭より、御享二百年を迎へまつる昭和十四年の式年大祭を奉祀まつり、当社の氏人の建立しまつるところなり。
・丹波太神宮(幣殿)
明治維新の制、政府が三丹州鎮祭のために、皇大神宮より御分霊申し上げた天照皇大御神を始めまつり、国内諸神社の御分霊、氏子歴代の御祖霊、元篠山忠霊殿神祭の和魂を移管奉斉する御由緒正しき御社柄におはします。
一、祭 典
一月一日 元旦祭 二月三日 節分祭(厄除祭)
三月二十一日 祖霊祭 四月一日 春祭
六月三十日 大祓 八月十四日 夏祭
九月二十三日 祖霊祭 十月五・六日 御例祭
十一月十五日 七五三祭 十一月二十三日 新嘗祭
十二月五日 冬祭 十二月三十一日 大祓、除夜祭
※補足:第七代皇霊天皇=第七代孝霊天皇だと思われる、BC290年~BC215年
※補足:崇神天皇、BC97年~BC30年
※補足:万治二年=西暦1659年
※補足:延宝七年=西暦1679年
※補足:元文五年=西暦1740年
※補足:明和三年=西暦1766年
※補足:安永八年=西暦1779年
※補足:嘉永五年=西暦1852年
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
孝霊天皇の勅命によつて創立
建保年中(1213~1219年)社殿再建。
文和3年(1354年)足利尊氏社殿再建。
明徳3年(1392年)社殿再建。
嘉吉元年(1441円)社殿再建。
文安3年(1446年)社領高五〇石寄進。
弘治年間(1555~1558年)畑氏一族社殿再建。
万治2年(1659年)神輿一基造立。
延宝7年(1679年)神輿二基造立。
元禄14年(1701年)拝殿再建。
元文5年(1740年)松平紀伊守信岑により鳥居再建(追加)。
宝暦4年(1754年)屋根葺替。
明和3年(1766)社殿再建(現在の本殿)。
安永8年(1779年)青山下野守忠高により拝殿再建(現在の舞堂)(追加)。
文化11年(1814年)屋根葺替。
嘉永5年(1852年)青山下野守忠良により社坊再建(現在の社務所)(追加)。
明治6年(1873年)村社。
大正10年(1921年)県社。
昭和14年(1939年)拝殿建立(現在の拝殿)。
もとは神南備とされる八百里山の麓に鎮座。
江戸時代は「樂々庭明神」「八幡宮」と称していた。
とある。
たくさん記録の残る神社。
由緒書の創建の段は少々古すぎてよく分からない…。
足利尊氏が社殿を再建している神社は式内社ではわずかだ。
出雲大神宮は足利尊氏が造営した本殿が残っており国指定重要文化財となっている。
佐佐婆神社にも残っていたら凄いことだったのに残念。
江戸時代の記述は非常に具体的だ、松平若狭守泰信が関係しているのは大賣神社(大売神社)と同じだ。
昭和14年(1939年)に作られた拝殿は、非常に横に長く変わった作りとなっている。
なぜこういう形状になったのだろうか。
残念なのは本殿がよく見えない、もっと間近で見てみたい。
社域は非常にきれいに保たれており気持ちよく参拝できる。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日 :2018/1/21、2021/9/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100、α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。