275-190_戸神社

比定社:戸神社

式内社コード:275-190
神名帳社名 :戸神社、トノ/ヘノ
社    格:名神大
所 在 地 :669-5365 兵庫県豊岡市日高町十戸18-1
Plus Code  :FPG6+X3 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「とのじんじゃ」と読む、地名の十戸は「じゅうご」と読む。
十戸集落の西の端の平地に鎮座。
国道482号線沿いに鳥居と社標があるので分かりやすい。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

二の鳥居と巨木。

写真

戸神社を正面より望む。一の鳥居は国道482号線に面していてすぐに見つかる。社標には式内とある。
戸神社を正面より望む。一の鳥居は国道482号線に面していてすぐに見つかる。社標には式内とある。
右側(南)を望む。この道は国道482号線、こちらの方向は植村直己冒険館の方面。
右側(南)を望む。この道は国道482号線、こちらの方向は植村直己冒険館の方面。
左側(北)を望む。この道は国道482号線、こちらの方向は神鍋方面。
左側(北)を望む。この道は国道482号線、こちらの方向は神鍋方面。
一の鳥居をくぐるとすぐ右側に手水舎。
一の鳥居をくぐるとすぐ右側に手水舎。
正面に山門のような割拝殿のような建物。変わった形の石燈籠がある。
正面に山門のような割拝殿のような建物。変わった形の石燈籠がある。
山門のような割拝殿のような建物をくぐると二の鳥居が見えてくる。鳥居の周囲に巨木が何本かあって独特の景観を形作っている。
山門のような割拝殿のような建物をくぐると二の鳥居が見えてくる。鳥居の周囲に巨木が何本かあって独特の景観を形作っている。
二の鳥居をくぐると巨木の間から社殿が見えてくる。
二の鳥居をくぐると巨木の間から社殿が見えてくる。
拝殿を正面より望む。拝殿は大正2年(1913年)に建築されたもの。
拝殿を正面より望む。拝殿は大正2年(1913年)に建築されたもの。
拝殿を右側より望む。緑色のシートはたぶん雪よけだと思われる。
拝殿を右側より望む。緑色のシートはたぶん雪よけだと思われる。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
拝殿内部を望む。拝殿はフルオープンな形式。本殿覆屋とは回廊でつながっている。非常にきれいに保たれている。
拝殿内部を望む。拝殿はフルオープンな形式。本殿覆屋とは回廊でつながっている。非常にきれいに保たれている。
覆屋に入った本殿を望む。覆屋は白いコンクリート造り、覆屋がコンクリート作りなのは珍しい初めて見た。見ることはできないが本殿は文化7年(1810年)の建築だと思われる。
覆屋に入った本殿を望む。覆屋は白いコンクリート造り、覆屋がコンクリート作りなのは珍しい初めて見た。見ることはできないが本殿は文化7年(1810年)の建築だと思われる。
拝殿より二の鳥居を望む。巨木が独特の景観を形作っている。
拝殿より二の鳥居を望む。巨木が独特の景観を形作っている。
二の鳥居をより一之鳥居を望む。
二の鳥居をより一之鳥居を望む。
山門のような割拝殿のような建物より一の鳥居を望む。
山門のような割拝殿のような建物より一の鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大戸比売・奧津彦命、(合祀)品陀和気命。

承和9年(842年)官社。
貞観10年(868年)従五位上。
鎌倉時代には神田四九反三〇〇歩を有した。
宝暦9年(1759年)本殿再建。
文化7年(1810年)造営。
明治6年(1873年)村社。
明治42年(1909年)十戸区内にあった八幡神社と三柱神社を当社に合祀(追加)。
大正2年(1913年)幣殿と拝殿を新築(追加)。
大正5年(1916年)神饌幣帛料供進神社指定。
昭和41年(1966年)本殿覆殿を新築。

江戸時代までは「太刀宮」「神明宮」と呼ばれていた。

当社には獣を忌む習慣があって、太鼓や皮沓を用いないという。
同じ気多郡にある山神社、雷神社、蜀椒神の三つの名神大社と同じく、元来の祭神は自然神であると思われる。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大戸比売命(オホベヒメノミコト)
配祀神:奥津彦命(オキツヒコノミコト)・品陀和気命(ホンダワケノミコト)・火結命(ホムスビノミコト)。

創立年月は不詳であるが、往古は但馬国の名神大社十社中の一社に数えられた古社である。
御祭神は亦の名を奥津比売神と申し、竃を司る神である。品陀和気命は合祀した神で八幡神である。
続日本紀の承和9年(842)冬10月に「戸神官社に預る」とみえ、三代実録には、貞観10年(868)神階従五位下から従五位上に進叙し、延喜式神名帳に戸神社名神大と載っている。
又、鎌倉時代に神田49反300歩を有したとも伝えられている。
かつて中世の頃は近在5ヶ村の氏神であったが、今は十戸地区のみの氏神となっている。
その後、由緒を称する資料がなく、明治6年(1873)村社に列し、同42年(1909)10戸区内にあった八幡神社と三柱神社を当社に合祀し、大正5年(1916)神饌幣帛料供進指定神社となった。
御社殿は、宝暦9年(1759)に本殿を再建した記録があるが、現存の本殿内宮は春日造りで文化7年(1810)の造営である。
大正2年(1913)に幣殿と拝殿を新築し、昭和41年(1966)本殿覆殿が老朽のためこれを新築、同50年(1975)には拝殿、幣殿の屋根銅板葺替を行った。

とある。


気多郡の名神大社4社(山神社・戸神社・雷神社・㯮椒神社)のうちのひとつ。
なぜこの4社が気多郡の中で名神大社なのか、どうにも分からない。
時の朝廷がこの地方の土着の神に敬意を払ったということなのだろうか。
それともよほど重要な役割を果たしていたのだろうか、不明だ…。

気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。
気多郡の名神大社4社をGoogle Mapにプロットしたもの。赤丸の白抜き星印がその位置。こうして見ると特に集中しているということでも無い。

近世において現在の神鍋高原より北側は西気地区、神鍋高原の南側は清滝地区、当地から西側の蘇武岳までを三方地区と呼ばれている。
当地は、清滝地区にあたる。
西気地区には万場(まんば)金山、三方地区には阿瀬(あせ)金山・銀山があった。

ご祭神の、大戸比売命は奥津比売命とも言われる。
奥津日子神と奥津比売命は大年神の御子神で、一対の兄妹神で竈の神さま。

戸神社へのアプローチは、国道482号線沿いに鳥居と社標があるので分かりやすい、すぐに見つかる。
駐車場が無いのでその点だけ気をつける必要がある。

国道482号線のすぐ脇に立つ一の鳥居をくぐると鬱蒼とした社叢が広がる。
進んでいくと山門のような割拝殿のような建物があり、それをくぐって入るようになる。
山門をくぐると巨木に挟まれた二の鳥居があり、手前と奥に巨木がありその間を進む。

社殿は拝殿と白い覆屋に入った本殿で構成される。
本殿自体がコンクリート造りというのは時々あるが、覆屋がコンクリート造りなのは珍しい。
拝殿はフルオープンの形式、内部はシンプルで何もない、周囲にはたぶん雪よけのネットが設置されている。
本殿は残念ながら見ることができない。

戸というご祭神に地名で土着の匂いの濃厚な名神大社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/4/6
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから