276-210_海神社(豊岡市小島)

比定社:海神社(豊岡市小島)

式内社コード:276-210
神名帳社名 :海神社、アマノ
社    格:名神大
所 在 地 :669-6123 兵庫県豊岡市小島965
Plus Code  :JRRF+24 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「かいじんじゃ」と読む、地名の小島は「おしま」と読む。
小島集落の南の端の山裾に鎮座。
円山川にかかる港大橋の西岸の橋から250メートルほど南下した場所。
兵庫県道3号豊岡瀬戸線の西側に社標が建っており少し奥まったところに鳥居がある。
社標を見落とさなければ見つけるのは容易。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

海神社と絹巻神社との関係。

写真

海神社(豊岡市小島)を正面より望む。兵庫県道3号豊岡瀬戸線に面しており社標があるので見つけやすい。駐車場は無いので注意。
海神社(豊岡市小島)を正面より望む。兵庫県道3号豊岡瀬戸線に面しており社標があるので見つけやすい。駐車場は無いので注意。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
鳥居を正面より望む。社域は広くはないが垣で囲ってある。正面に社殿が見える。
鳥居を正面より望む。社域は広くはないが垣で囲ってある。正面に社殿が見える。
鳥居をくぐると広場、正面に社殿がある。低いが石積みが2段になっている。
鳥居をくぐると広場、正面に社殿がある。低いが石積みが2段になっている。
広場の右側を望む。特に何もない。
広場の右側を望む。特に何もない。
広場の左側を望む。巨石が鎮座する。
広場の左側を望む。巨石が鎮座する。
社殿を正面より望む。
社殿を正面より望む。
社殿を右側より望む。ワイルドな扁額が印象的。
社殿を右側より望む。ワイルドな扁額が印象的。
覆屋の中の本殿を望む。明治4年(1871年)の遷座の際に建築されたものだろう、手入れがなされ状態も良い。
覆屋の中の本殿を望む。明治4年(1871年)の遷座の際に建築されたものだろう、手入れがなされ状態も良い。
社殿の左側には摂社末社の金毘羅宮がある。海に関係するところが興味深い。
社殿の左側には摂社末社の金毘羅宮がある。海に関係するところが興味深い。
巨石を望む。これがこれが鰐岩なのだろうか。
巨石を望む。これがこれが鰐岩なのだろうか。
一の鳥居越しに正面を望む。道路の向こう側に円山川が見える。対岸の少し左の方に絹巻神社がある。
一の鳥居越しに正面を望む。道路の向こう側に円山川が見える。対岸の少し左の方に絹巻神社がある。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、大綿津見命。

天武天皇白鳳3年(674年)絹巻神社相殿となる(追加)。
承和9年(842年)官社。
貞観10年(868年)従五位上『三代実録』(修正)。
明治2年(1869年)式内社取調の折旧跡のみ存在(修正)。
明治3年(1870年)絹巻神社の別殿に仮遷座。
明治4年(1871年)現在地に遷座。
明治6年(1873年)村社。

中世には対岸の絹巻神社の地に。
明治4年(1871年)現在地に遷座。

境内には鰐岩と呼ばれる磐座がある。
中世に荒廃し、対岸の絹巻神社の地に転じたのではないかと思われる。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:大綿津見命(オホワタツノミコト)

旧城崎郡唯一座の式内名神大社である。
仁明天皇承和9年(842)官社に預り清和天皇貞観10年(868)従5位上となる。
延喜式の制大社となり天武天皇白鳳3年(674年、追加)絹巻神社相殿となる。
明治3年(1870)別殿に仮遷座し翌4年(1871)本殿を上棟して正遷座祭を行う。
同6年(1873)10月村社に列し12年(1879)2月本殿覆を建立す。

とある。


海神社(豊岡市小島)のある当地は、円山川の日本海側の河口に当たる場所。
海外からは玄関口として、国内では円山川流域の治水の要となる場所。
やはり古くより開けた場所で、ツクリ古墳・家の奥古墳・海神社古墳等が周囲にある。

海神社(豊岡市小島)の元々の場所はハッキリしない。
一説には、気比の町中の気比交差点あたりに大岩がありそこが旧地ではないかという説もある。
天武天皇白鳳3年(674年)には絹巻神社相殿とあるが、相殿のまま式内社に指定されたのだろうか。
ここは少々疑問が残るところ、相殿でも式内社に指定したのだろうか。
思うに絹巻神社相殿になったのはもっと後の時代のことなのではないだろうか(個人的見解です)。
いずれにしても明治になり現在地に絹巻神社より遷座したということのようだ。
絹巻神社の相殿になったこと、現在地に遷座したこと、両方の詳細は不明。
絹巻神社には式内社の表記が無かったと記憶しているが海神社とのこうした関係を考慮したものだろうか。

海神社(豊岡市小島)のご祭神は、大綿津見命。
神社名と祭神がベストマッチな印象。
朝廷が名神大の社格を与えたのも、海の航海を重要だと考えていて、海外への玄関口であった当地に鎮座する神さまを重視したからではないだろうか。

海神社(豊岡市小島)へのアプローチは分かりやすい。
円山川にかかる港大橋の西岸の橋から250メートルほど南下した場所。
兵庫県道3号豊岡瀬戸線の西側に社標が建っており少し奥まったところに鳥居がある。
社標を見落とさなければ見つけるのは容易。
が、兵庫県道3号豊岡瀬戸線沿いにあり、駐車スペースが無いので難儀する。

式内と表示のある社標のある参道を進むと鳥居がある。
鳥居をくぐると広場になっており正面に社殿、左手には巨石(これが鰐岩か)が鎮座する。
社域は広くはないが垣で囲まれていて明治4年(1871年)に遷座とあるので新しい感じ。
社殿は覆屋に入った本殿のみのシンプルな構成。
正面に掲げられた海神社の扁額がワイルドだ。
覆屋内部の本殿は手入れもよく状態は良いようだ。

古代から近世まで鉄道やクルマが登場するまでは水運が主体で非常に重要だったと思われる。
個人的には但馬国の海を司った神さまなので、もっともっと持ち上げられても良いと思う。
絹巻神社の力が強すぎたのだろうか。

円山川の河口で海の神さまを祀る名神大社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2019/1/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

式内社データベースのダウンロードはこちらから

式内社一覧表はこちらから

式内社地図データのダウンロードはこちらから