274-120_中嶋神社

比定社:中嶋神社

式内社コード:274-120
神名帳社名 :中島神社(中嶋神社) ナカシマノ
社    格:小
所 在 地 :668-0823 兵庫県豊岡市三宅1
Plus Code  :GVG7+72 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

豊岡の東、出石の北1kmほどの平地に鎮座。
兵庫県道536号口小野庄境線沿いで非常に大きな朱塗りの鳥居が目印なので分かりやすい。
ご祭神は天日槍の4世(孫)である田道間守命で全国的にお菓子の神様として有名な神社。
本殿は室町期の建立で珍しい二間社流造り、国の重要文化財となっている。
駐車場完備。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

国宝のご本殿は室町期の建立だが非常に良い状態で必見。

国指定重要文化財(建造物)

中島神社本殿
時代:室町中期
年代:正長元
西暦:1428

写真

中嶋神社の入り口を望む。社標には縣社とある。広い社域に駐車場やトイレも完備。
中嶋神社の入り口を望む。社標には縣社とある。広い社域に駐車場やトイレも完備。
右側(南)を望む。この道は兵庫県道536号口小野庄境線、出石方向。
右側(南)を望む。この道は兵庫県道536号口小野庄境線、出石方向。
正面(西)を望む。この道は京都府道・兵庫県道703号永留豊岡線、この方向は豊岡方面。
正面(西)を望む。この道は京都府道・兵庫県道703号永留豊岡線、この方向は豊岡方面。
左側(北)を望む。兵庫県道536号口小野庄境線の久美浜方面。
左側(北)を望む。兵庫県道536号口小野庄境線の久美浜方面。
一の鳥居を正面より望む。鳥居と社殿は南向き。広大な社域で広々している、左手には公園がある。
一の鳥居を正面より望む。鳥居と社殿は南向き。広大な社域で広々している、左手には公園がある。
中嶋神社の案内図。よく見ると該当する建物や施設がどこから奉納されたかを記載してある。細かい配慮がある。
中嶋神社の案内図。よく見ると該当する建物や施設がどこから奉納されたかを記載してある。細かい配慮がある。
鳥居脇にも社標。こちらには菓祖とある。
鳥居脇にも社標。こちらには菓祖とある。
参道を進むと二の鳥居が見えてくる。石畳の参道が広い。
参道を進むと二の鳥居が見えてくる。石畳の参道が広い。
二の鳥居の右手には社務所。
二の鳥居の右手には社務所。
二の鳥居の左手には休憩所のような建物。
二の鳥居の左手には休憩所のような建物。
手水舎。
手水舎。
二の鳥居の脇にも社標。菓子の神様・田道間守命の生誕地・日本書紀・古事記、兵庫県菓子工業組合とある。
二の鳥居の脇にも社標。菓子の神様・田道間守命の生誕地・日本書紀・古事記、兵庫県菓子工業組合とある。
二の鳥居をくぐり小さな橋を渡ると拝殿。遠目に見て端正で美しい拝殿だ。
二の鳥居をくぐり小さな橋を渡ると拝殿。遠目に見て端正で美しい拝殿だ。
拝殿を左より望む。
拝殿を左より望む。
拝殿の扁額には中嶋神社とある。
拝殿の扁額には中嶋神社とある。
拝殿内部を望む。跳ね上げることができる蔀が付いている。
拝殿内部を望む。跳ね上げることができる蔀が付いている。
拜殿より本殿を望む。非常にきれいに片付けられている。本殿の前にはお供え物と鏡がみえる。
拜殿より本殿を望む。非常にきれいに片付けられている。本殿の前にはお供え物と鏡がみえる。
拜殿の右側より本殿を望む。朱塗りの本殿は1段高いところにある。
拜殿の右側より本殿を望む。朱塗りの本殿は1段高いところにある。
豊岡市教育委員会謹製の由緒書。ご祭神は田道間守・天湯河棚神とある。田道間守が「非時香菓」を持ち帰ったことでお菓子の祖神となった。神社名の由来は田道間守の墳墓が垂仁天皇陵の池の中で島だったからとある。天湯河棚神は和那美の水門の故事で有名。
豊岡市教育委員会謹製の由緒書。ご祭神は田道間守・天湯河棚神とある。田道間守が「非時香菓」を持ち帰ったことでお菓子の祖神となった。神社名の由来は田道間守の墳墓が垂仁天皇陵の池の中で島だったからとある。天湯河棚神は和那美の水門の故事で有名。
本殿を垣の間より望む。脇に小さな狛犬が居るのが分かる。
本殿を垣の間より望む。脇に小さな狛犬が居るのが分かる。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
本殿を右奥より望む。
本殿を右奥より望む。
本殿を左奥より望む。
本殿を左奥より望む。
何がお供えしてあるのだろうか。やはりお菓子!?
何がお供えしてあるのだろうか。やはりお菓子!?
摂社末社の後ろにあった郷社の社標。明治28年(1895年)郷社となり昭和10年(1935年)県社に昇格しているので不要になったのだろう。87年間ここに置いてあるということのようだ。
摂社末社の後ろにあった郷社の社標。明治28年(1895年)郷社となり昭和10年(1935年)県社に昇格しているので不要になったのだろう。87年間ここに置いてあるということのようだ。
拜殿より二の鳥居を望む。
拜殿より二の鳥居を望む。
参道の脇は公園になっていて地域の憩いの場。
参道の脇は公園になっていて地域の憩いの場。
菓子祭の説明書き。行ってみたい…。
菓子祭の説明書き。行ってみたい…。

感想

豊岡市教育委員会謹製の由緒書によると

中嶋神社
 祭神は天日槍命(あめのひほこ)(出石神社祭神)の四世の孫である田道間守(たじまもり)と鳥取部連(とっとりべのむらじ)の祖、天湯河棚神(あまのゆかわだなのかみ)。平安時代に記された『延喜式』に社名がみえる。
 祭神の田道間守が垂仁天皇の命により「常世(とこよ)の国」に派遣された説話が『古事記』『日本書紀』にあり、そのとおり「非時香菓(ときじくのかぐのみ)」を持ち帰った。『古事記』はこれを橘(たちばな)としており、また橘は古来菓子の最上品であったことから、菓子の祖神として尊ばれ、その守護神とされている。社名は、田道間守の墳墓が垂仁天皇陵をめぐる池の中にあって、島であったことから名づけられたといわれる。

国重要文化財
中嶋神社本殿
明治四十五年二月八日 指定
 境内の中央にあって、前に供え物を供えるための建物(幣殿へいでん)と拝礼するための建物(拝殿はいでん)が併設されている。棟札(むなふだ)写しにより応永三〇年(1423)から正長元年(1428)にかけて造営されたことがわかる。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)。神社建築は正面が一間や三間とすることが多く、中央に柱がくる二間はめずらしい。重要文化財では全国でわずか六棟しかない。また屋根を支える建物上部の瓶の形の束柱(大瓶束たいへいつか)、あるいは肩に蓑を着たような束柱(蓑束みのつか)の上に、渦巻模様が彫刻された部材が付くなど、美麗な装飾がみられる。規模も大きく年代も明確な、きわめて重要な建物である。
豊岡市教育委員会

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
推古天皇15年(606年)創建。
持統天皇15年(701年)造営。
応永年間(1394~1428年)火災。
正長元年(1428)造営。
元禄13年(1700年)出石城主松平伊賀守が本殿を修復。
明治6年(1873年)村社。
明治28年(1895年)郷社。
昭和10年(1935年)県社。
江戸時代までは「中島大明神」と呼ばれていた。
推古天皇の御代に田道間守命の七世の孫にあたる三宅の吉士、中島の公が、祖先の田道間守命を初めて此所に祀ったのに由来している。
とある。


中嶋神社のご祭神の田道間守命は、非時香菓を持ち帰ったことにより「菓祖・菓子の神」とされている。
こういうことから「菓祖 中嶋神社」と呼ばれる、お菓子好きとしては大いに感謝しないといけない。
毎年4月に行われる菓子祭(橘菓祭)では全国の製菓業者が多数参列、その前日は「前夜祭」として豊岡駅前に兵庫県内外の菓子店が集まるお祭りが開催されるらしい。
お菓子好きなのに一度も行ったことが無い…、ぜひ行ってみたい。

また、中嶋神社は菓祖神として「田道間守命」を祀り、全国に七社の分社があるとのことだ(とよおかスイーツギャラリーより)。
福岡県太宰府市(菓祖中嶋神社九州分社)
佐賀県伊万里市(中嶋神社佐賀県分社・伊萬里神社)
岐阜県高山市(久和司神社)
愛媛県松山市(中嶋神社四国 分社)
徳島県徳島市(中嶋神社徳島 分社)
京都府京都市(菓祖神社)
愛知県豊橋市(中嶋神社)

余談だが、お菓子の神様といえば、滋賀県大津市の小野神社もある。
ご祭神は天足彦国押人命とその7世の孫である米餅搗大使主命で、餅作りの始祖と言われておりお菓子の神様として信仰されている。
こちらはお餅が始まりのようだ。

社域は、広々として公園も併設されており非常にきれい、近隣の憩いの場となっている。
一の鳥居は、非常に大きく立派、そこから少し左に曲がりながら拝殿と本殿がある。
二の鳥居を越えると小さな川があり、小さな橋を渡り参拝する。
拝殿、はオープンな作りで色彩はなく渋い感じ。

一方、室町期に建立された本殿は、檜皮葺の珍しい二間社流造で国指定重要文化財となっている。
朱色が鮮やか、装飾は必要最小限という感じでシンプルだ。

印象的なのは、やはり、お菓子関係の業界からの奉納物が多く、お菓子業界の尊崇厚いのが感じれたことだ。
きっと、こういう構図は座や講として昔から変わっていないが、実権を握るのが神社では無くなっていることが最大の違いだと思う(個人的見解です)。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2021/7/3
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM