比定社:(論)絹巻神社
式内社コード:276-200
神名帳社名 :海神社、アマノ
社 格:名神大
所 在 地 :669-6124 兵庫県豊岡市気比2585-1
Plus Code :JRRH+69 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「きぬまきじんじゃ」と読む、地名の気比は「けひ」と読む。
気比集落の西の端の円山川のほとりに鎮座。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の円山川にかかる港大橋の東岸にある。
駐車場完備。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
絹巻山と社殿の位置関係。
円山川や海との位置関係。
写真
感想
神社謹製の由緒書によると
但馬五社 絹巻神社
御祭神 天火明命(あまのほあかりのみこと)
相 殿 海部直命(あまのあたえのみこと)・天衣織女命(あまのえおりめのみこと)
応神天皇三年四月、大山守命が山海の政を執られた時、大山守命は多遅麻黄沼前県主(たじまぬさきのあがたぬし)武身主命の子海部直命に多遅麻の海政を執らし、その姓(かばね)を海部直と称することを許した。
その時、海部直命は、自分の始祖天火明命を黄沼前県に祀り清明宮(すがみや)と称した。仁徳天皇十年八月、海部直命は城崎郡司を兼ねる事となり、黄沼県を海部村(小島)に置き、多遅麻の海人を領し、清明宮を海部村に属する絹巻山に移し絹巻神社と称した。
履中天皇の御代、海部直部の子西刀宿禰(せとのすくね)が城崎郡司となり、宿祢に命じ瀬戸の水門の俊渫を行った。爾来、円山川沿岸は洪水禍をまぬがれたと伝えられている。
仁明天皇仁和元年神階従五位下を賜り、文化十一年現在の本殿を再建した。
絹巻山は天然記念物の指定をうけ「ひめはるぜみ」の生息地としても有名である。
※応神天皇三年:272年、諸説あり
※仁徳天皇十年:322年、諸説あり
※履中天皇の御代:400年~405年、諸説あり
※仁和元年:885年
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、天火明命、(配祀)天衣織女命・海部直命。
また次の説もあるようだ。
天衣織女命『兵庫県神社誌』。
仁徳天皇10年(322年、諸説あり)創立(修正)。
白鳳3年(674年、諸説あり)城崎郡司・韓国連久々比命が海神社を絹巻山に移転して海神社絹巻大明神と称す(修正)。
仁和元年(885年)神階従五位下。
文化11年(1814年)現在の本殿を再建。
明治6年(1873年)村社。
式内社(名神大社)海神社と比定されている。
とある。
兵庫県神社庁によると
主祭神:天火明命(アマノホアカリミコト)
配祀神:海部直命(アマノアタエノミコト)・天衣織女命(アマノエオリメノミコト)
應神天皇3年4月、大山守命が山海の政を執られた時、大山守命は多遅麻黄沼前県主武身主命の子海部直命に多遅麻の海政を執らし、その姓を海部直と称することを許した。その時、海部直命は、自分の始祖天火明命を黄沼前県に祀り清明宮と称した。
仁徳天皇10年8月、海部直命は城崎郡司を兼ねる事となり、黄沼県を海部村(小島)に置き、多遅麻の海人を領し、清明宮を海部村に属する絹巻山に移し絹巻神社と称した。履中天皇の御代、海部直部の子西刀宿禰が城崎郡司となり、宿禰に命じ瀬戸の水門の浚渫を行った。爾来、円山川沿岸は洪水禍をまぬがれたと伝えられている。
仁明天皇仁和元年(885)神階従五位下を賜り、文化11年現在の本殿を再建した。
絹巻山は天然記念物の指定をうけ「ひめはるぜみ」の生息地として奈良の春日山と共に知られている。
※應神天皇3年:272年、諸説あり
※仁徳天皇10年:322年、諸説あり
※履中天皇の御代:400年~405年、諸説あり
とある。
絹巻神社のある当地は、円山川の日本海側の河口に当たる場所。
海外からは玄関口として、国内では円山川流域の治水の要となる場所。
やはり古くより開けた場所で、絹巻山上古墳・北野古塚・港東小跡地遺跡・崩灘遺跡・気比遺跡・宮代遺跡・高城址等が周囲にある。
海部氏(あまべうじ)との関係も興味深い。
海部氏(あまべうじ)と言えば籠神社(京都府宮津市)だが、海部氏の拠点だったといういくつか地域があるようだ。
当地も関係が強く拠点の一つだったのだろうと思われる(個人的見解です)。
また、京丹後市久美浜町海士(あま)には神服連海部直の館があったと伝わる。
円山川の対岸には「瀬戸の岩引き」の舞台である瀬戸集落があり西刀神社が鎮座する。
西刀神社は瀬戸の水門の俊渫を行った西刀宿袮(海部直命の子)を祀り、絹巻神社はそれを命令した海部直命(相殿神)を祀っているということのようだ。
絹巻神社のご祭神は、天火明命、(相殿)海部直命・天衣織女命。
天火明命は海部氏の始祖とされる神、海部直命が始祖を祀ったのが始まりのようだ。
相殿神の海部直命・天衣織女命については、後から祀られたものだろうと思われるが詳細は不明。
絹巻神社へのアプローチは分かりやすい。
兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)の円山川にかかる港大橋の東岸にあり、すぐに分かる。
ありがたいことに駐車場も完備されている。
駐車場へは、橋を東へ渡りきり道なりに進むと左手に社務所、社務所を過ぎれば鳥居があり駐車場がある。
現在の絹巻神社の社域や社殿の配置は大変興味深い。
社殿や鳥居は北東を向いている、海の方向だ、なぜなのだろう。
海からやって来る何かを見張っていたのだろうか、それとも妙見信仰と関係しているのだろうか。
また現在は道路が社域を分断している形になっているが鳥居が3つある。
一の鳥居は一番北側の駐車場のところにあり海に向かって建っている。
二の鳥居は社務所側、三の鳥居は道路を挟んで社殿側にある。
つまり海からやってきて絹巻山を遥拝するという形だ、海の民である海部氏にふさわしい作りになっている。
絹巻山の頂上に何かあるのかもしれない(個人的見解です、未調査)。
現在の絹巻神社の社域は整備されて非常にきれい。
社務所から社殿へ行くには二の鳥居をくぐり兵庫県道・京都府道11号香美久美浜線(但馬漁火ライン)を横切る必要があるが、信号も横断歩道も無いのでクルマに注意して横断して欲しい。
道路を渡ると三の鳥居がある、鳥居の横には由緒書があり参考になる。
社殿は拝殿と立派な覆屋に入った本殿で構成され、拝殿と覆屋は新しくてきれいだ。
本殿は文化11年(1814年)の建築とあるが全く見ることができないのが残念。
拝殿内部は訪ねた時期が正月明けだったこともあり供物が一杯だった。
絹巻神社は、絹巻神社・小田井縣神社・出石神社・養父神社・粟鹿神社で構成する但馬五社のひとつ。
すべて回ると相当遠く距離があるが、総て歴史がある神社なので回ってみるのも価値がある。
海の民である海部氏らしい配置の名神大社。
注意点
参拝するには道路を横切らないといけないのでクルマに注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/1/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。