276-050_与佐伎神社

比定社:与佐伎神社

式内社コード:276-050
神名帳社名 :与佐伎神社(與佐伎神社)、ヨサキノ
社    格:小
所 在 地 :668-0803 兵庫県豊岡市下鶴井2456
Plus Code  :HRJ9+28 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「よさきじんじゃ」と読む、地名の下鶴井は「しもつるい」と読む。
下鶴井集落の東の端の山裾に鎮座。
兵庫県道548号楽々浦玄武洞豊岡線を北上すると小さな川の南側に下鶴井集落への入口(東)がある。
そのまま川沿いに進むと左へカーブし100メートルほどで右(東)に入る筋があり突き当りにある。
駐車場は無いので注意。
集落の中は道路が狭いので駐車は難しいので川沿いに駐車するのが無難。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

集落の一番奥という立地。
見事な本殿の彫り物。

写真

川沿いにある社標といくつかの石碑、社標には式内とある。川沿いのこの辺りに駐車するしかないのでじゃまにならないように駐車する必要がある。
川沿いにある社標といくつかの石碑、社標には式内とある。川沿いのこの辺りに駐車するしかないのでじゃまにならないように駐車する必要がある。
下鶴井集落の中の四ツ辻から東の与佐伎神社を望む。この奥にあるのだが全く見えない。
下鶴井集落の中の四ツ辻から東の与佐伎神社を望む。この奥にあるのだが全く見えない。
下鶴井集落の中の四ツ辻から右側(南)を望む。周囲はほぼ人家。川沿いからはこの道でも入ってこれる。
下鶴井集落の中の四ツ辻から右側(南)を望む。周囲はほぼ人家。川沿いからはこの道でも入ってこれる。
下鶴井集落の中の四ツ辻から正面(西)を望む。この先は川に突き当たる。
下鶴井集落の中の四ツ辻から正面(西)を望む。この先は川に突き当たる。
下鶴井集落の中の四ツ辻から左側(北)を望む。集落の最奥部に長松寺(ちょうしょうじ)がある。
下鶴井集落の中の四ツ辻から左側(北)を望む。集落の最奥部に長松寺(ちょうしょうじ)がある。
民家の間を進むと石段・獣避けの門扉・奥に鳥居が見える。少々見つけにくい場所にある。
民家の間を進むと石段・獣避けの門扉・奥に鳥居が見える。少々見つけにくい場所にある。
獣避けの門扉が付いているので開けて入らせていただく。門扉は開けたら必ず閉めること。
獣避けの門扉が付いているので開けて入らせていただく。門扉は開けたら必ず閉めること。
正面に一の鳥居。
正面に一の鳥居。
右脇に社家・下宮家屋敷跡の石碑がある。
右脇に社家・下宮家屋敷跡の石碑がある。
さらに右側は谷筋となっていて新しい砂防ダムがある。以前は社域がもっとこちら側に広がっていたのだろう。
さらに右側は谷筋となっていて新しい砂防ダムがある。以前は社域がもっとこちら側に広がっていたのだろう。
さらに石段を登ると二の鳥居その向こうに社殿がある。
さらに石段を登ると二の鳥居その向こうに社殿がある。
手水舎。
手水舎。
拝殿を正面より望む。屋根のカーブが優美な印象。
拝殿を正面より望む。屋根のカーブが優美な印象。
拝殿の正面には何もない。
拝殿の正面には何もない。
拝殿内部を望む。正面に菊のご神紋がついた本殿、右大臣と左大臣が控える。上部の彫り物が凄い。
拝殿内部を望む。正面に菊のご神紋がついた本殿、右大臣と左大臣が控える。上部の彫り物が凄い。
彫り物は一見の価値がある。
彫り物は一見の価値がある。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は覆屋には入ってない。本殿の屋根の鰹木に注目、千木が無いのが珍しい。
拝殿と本殿を右側より望む。本殿は覆屋には入ってない。本殿の屋根の鰹木に注目、千木が無いのが珍しい。
本殿右側にある氏子・崇敬者謹製の大石とその説明書。石は平べったく水平に筋が入り表面に文様が入っていて只者ではなさそうだ。
本殿右側にある氏子・崇敬者謹製の大石とその説明書。石は平べったく水平に筋が入り表面に文様が入っていて只者ではなさそうだ。
本殿右側より彫り物を望む。素晴らしい造形。
本殿右側より彫り物を望む。素晴らしい造形。
彫り物の後ろ側には「彫刻師 井上好郎 姫路市青山」とある。
彫り物の後ろ側には「彫刻師 井上好郎 姫路市青山」とある。
本殿を左側より望む。本殿の扁額には「伊與永大明神」とある。
拝殿と本殿を右後ろより望む。
拝殿と本殿を右後ろより望む。
本殿左奥より二の鳥居を望む。
本殿左奥より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。
拝殿より二の鳥居を望む。
二の鳥居より正面を望む。神社の近くまで人家がある。
二の鳥居より正面を望む。神社の近くまで人家がある。

感想

由緒書はないので詳細不明。


氏子・崇敬者謹製の大石の説明書によると

由来
 この地区には、往古向かいの燈山崩壊の時御幣が飛来し、大きな石に明かりがともったという言い伝えが代々老達により語り継がれてきた。偶然にも昭和四十七年土地改良の工事中その石がくじら谷で発掘された。
よって建碑に刻みここに謹んで奉安する。
 平成十三年三月吉日
  氏子・崇敬者

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、依羅宿禰命・(配祀)保食命

創立年月不詳。
文安5年(1448年)修理。
元禄4年(1691年)社殿造営。
文化11年(1814年)造営。
明治年間、与佐伎神社と改称。
明治6年(1873年)村社。
明治23年(1890年)大洪水、本社裏手山崩大破。

江戸時代は「伊與永大明神」と称していた

明治23年(1890年)10月6日大洪水で本社裏手の山が崩れ社殿が破壊されたが、そこで土流は留まり、結果的には下の集落にまで被害が及ばずに濟んだ。御祭神自らが身を挺して村を守られたといわれている。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:依羅宿禰命(イラサクネノミコト)
配祀神:保食命(ウケモチノミコト)

創祀は不詳ではあるが、古くは「伊與永大明神」と称されていた。

とある。


与佐伎神社が鎮座する当地は、円山川東岸より北東へ延びる谷筋の東側にあたる場所。
古くより開けた地域のようで周囲には古墳が多数ある。
上ノ山谷古墳・茶園山横穴墓群・下鶴井穴口横穴墓群・倉谷古墳群・倉谷B古墳群。
当地も豊岡の例外にもれず標高が低い、神社前の集落の四ツ辻で6メートルほど。
かつては神社の前まで円山川が流れていて港として盛んだったのではないだろうか。

与佐伎神社のご祭神は、依羅宿禰命・(配祀)保食命。
依羅氏(よさみうじ)は、摂津国住吉郡大羅郷(おおよさみごう)・河内国丹比郡依羅郷(よさみごう)を本拠とした古代氏族とされる。
なぜ摂津国の豪族が与佐伎神社のご祭神として祀られているのかは不明、それとも別人なのだろうか。
読みから言うと「よさきじんじゃ」は「よさみうじ」とは通じるものがある。
但馬国には神功皇后の三韓征伐の時の戦勝祈願に関連する神社がいくつかある。
ひょっとしたら神主として依羅氏の祖である依網吾彦男垂見(よさみのあびこおたるみ)が戦勝祈願をしたのだろうか。

与佐伎神社へのアプローチは比較的分かりやすい。
まずは長松寺(ちょうしょうじ)を目指すのが分かりやすい。
兵庫県道548号楽々浦玄武洞豊岡線を北上すると小さな川の南側に下鶴井集落への入口(東)がある。
そのまま川沿いに進むと左(北)へカーブし100メートルほどで右(東)に入る筋があり突き当りにある。
左(北)へカーブしている部分に社標や石碑がいくつか建っている。
駐車場は無いので注意。
集落の中は道路が狭いので駐車は難しいので川沿いに駐車するのが無難だろう。

集落の中を東へ歩いていくと家々の間に与佐伎神社の入り口が見えてくる。
鳥居はさらに奥まったところにあり見落としてしまいそうだ。
入り口には獣よけの門扉があるので開けたら必ず閉めること。
門扉を過ぎると石段を登るが、左右に擁壁が設置され土砂災害の多い地域だと分かる。
さらに右の方には最近できたと思われる巨大な砂防ダムがある。
石段を登ると一の鳥居がある。
鳥居のある場所は平坦になっており、かつてはもう少し広い場所だったのだろう、右手に「社家 下宮家屋敷跡」の石碑、左手に下宮家の墓所がある。
更に石段を登ると二の鳥居、その正面に社殿がある。
社殿のある場所は広くなく山の斜面を削って作られた場所。
拝殿はシンプルで何も書いてない。
拝殿内部より本殿を望むと非常にきれいな状態で、本殿左右に右大臣・左大臣が並んでいる。
本殿の扁額には「伊與永大明神」とあり、正面には菊のご神紋が付く。
本殿前には右大臣・左大臣がガラスケースに入り鎮座している。
本殿光背部には見事な彫り物が施してあり一見の価値がある。
裏側より見ると「彫刻師 井上好郎 姫路市青山」とある。
本殿は流造だが千木鰹木に特徴がある、鰹木はあるが千木が無い。
本殿はいつ建築されたのか明確ではないが、明治23年(1890年)大洪水の後に再建されたものだろうと推測する。

本殿右側には氏子・崇敬者謹製の大石の説明書にある大きな岩がある。
平べったく水平に筋が入り表面に文様が入っていて只者では無い雰囲気だが説明書以外に詳細は不明。

神功皇后の三韓征伐の時の戦勝祈願に関連するかもしれない但馬国の神社。

注意点

駐車場は無いので注意。
獣よけの門扉は開けたら必ず閉めること。

訪問ノート

訪問日 :2022/5/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM、α7M3 + 24-70mm F2.8 DG DN | Art 019