276-070_小江神社(豊岡市江野)

比定社:小江神社(豊岡市江野)

式内社コード:276-070
神名帳社名 :小江神社、ヲエノ
社    格:小
所 在 地 :668-0003 兵庫県豊岡市江野1523
Plus Code  :HQG8+4C 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「おえじんじゃ」と読む、地名の江野は「ごうの」と読む。
江野集落の中央部の山裾に鎮座。
豊岡より国道178号線を竹野方向へ向かう。
国道178号線と国道426号線の交わる下陰池ノ内交差点より竹野方向(西)へ4.7kmほど。
徳養寺の看板が出ているので北へ入るとすぐ。
駐車場は無いので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

巨木・古木の多い社域。
中井権次橘正胤による見事な本殿の彫り物。

写真

小江神社を正面より望む。集落の中心にあり鳥居は南向き。左手前の社標には式内社とある。
小江神社を正面より望む。集落の中心にあり鳥居は南向き。左手前の社標には式内社とある。
小江神社の右側には集落の奥へ続く道があるが行き止まり。
小江神社の右側には集落の奥へ続く道があるが行き止まり。
正面(南)を望む。止まれの標識のところが国道178号線、右が竹野方面、左が豊岡方面。
正面(南)を望む。止まれの標識のところが国道178号線、右が竹野方面、左が豊岡方面。
鳥居を正面より望む。
鳥居を正面より望む。
鳥居を右側より望む。社域には大きな木が多い、左奥に県指定文化財(記念物)の「小江神社の大ケヤキ」がある。
鳥居を右側より望む。社域には大きな木が多い、左奥に県指定文化財(記念物)の「小江神社の大ケヤキ」がある。
県指定文化財(記念物)の「小江神社の大ケヤキ」。現在は上部が伐採されてワイヤーで支えられている。
県指定文化財(記念物)の「小江神社の大ケヤキ」。現在は上部が伐採されてワイヤーで支えられている。
鳥居をくぐると広場があり一段高くなった石積みの上に社殿がある。
鳥居をくぐると広場があり一段高くなった石積みの上に社殿がある。
正面には大きな建物、地域の公会堂になっている。広場には遊具やバスケットボールゴールがあり楽しげな雰囲気。
正面には大きな建物、地域の公会堂になっている。広場には遊具やバスケットボールゴールがあり楽しげな雰囲気。
公会堂の前より一段高い社殿を望む。古木・巨木が多く良い雰囲気。
公会堂の前より一段高い社殿を望む。古木・巨木が多く良い雰囲気。
公会堂前より東を向いた社殿を望む。
公会堂前より東を向いた社殿を望む。
石段を登れば社殿。
石段を登れば社殿。
社殿は本殿のみの構成。厳重な雪囲いに囲まれていているのが雪深い地域であることを感じさせる。
社殿は本殿のみの構成。厳重な雪囲いに囲まれていているのが雪深い地域であることを感じさせる。
本殿前より右側を望む。本殿右手に摂社末社、奥には徳養寺がある。
本殿前より右側を望む。本殿右手に摂社末社、奥には徳養寺がある。
本殿前より左側を望む。本殿左手にも摂社末社、奥には渋い土蔵がある。
本殿前より左側を望む。本殿左手にも摂社末社、奥には渋い土蔵がある。
本殿を右側より望む。
本殿を右側より望む。
雪囲いの中の本殿を望む。鈴が雪囲いの外にある。
雪囲いの中の本殿を望む。鈴が雪囲いの外にある。
雪囲いの中の本殿を望む。扁額には小江神社とある。
雪囲いの中の本殿を望む。扁額には小江神社とある。
扁額の上に精緻な龍がいる。中井権次橘正胤による彫り物、一見の価値がある。
扁額の上に精緻な龍がいる。中井権次橘正胤による彫り物、一見の価値がある。
う~ん雪囲いの梁でよく見えないのが残念。
う~ん雪囲いの梁でよく見えないのが残念。
木鼻の早慶も素晴らしい。一部透かし彫りのようになっている。
木鼻の早慶も素晴らしい。一部透かし彫りのようになっている。
木鼻は向こうの光が見えている。
木鼻は向こうの光が見えている。
隙間から龍を望む。
隙間から龍を望む。
裏側には中井権次橘正胤の銘がある。中井権次一統でもこれだけ精緻なのはあまり他にないかもしれない。
裏側には中井権次橘正胤の銘がある。中井権次一統でもこれだけ精緻なのはあまり他にないかもしれない。
左手の土蔵前より本殿を望む。
左手の土蔵前より本殿を望む。
土蔵前より大ケヤキを望む。上部は伐採されているが葉は青々としている。右手にある巨木とワイヤーで繋がっていて傾かないように支えてある。
土蔵前より大ケヤキを望む。上部は伐採されているが葉は青々としている。右手にある巨木とワイヤーで繋がっていて傾かないように支えてある。
本殿前より正面を望む。思うにかつては参道が真っすぐ伸びていたのではないだろうか。
本殿前より正面を望む。思うにかつては参道が真っすぐ伸びていたのではないだろうか。
公会堂前より鳥居を望む。
公会堂前より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、豊玉彦命。
創立の由緒不詳。
寛永年間(1624~1644年)大火、社殿焼失。
明治6年(1873年)村社。
明治43年(1910年)焼失。
大正2年(1913年)再建(追加)。

江戸時代までは「山王宮」と呼ばれていた。

小江宿根命は山間に位置する当小邑が小湖を呈した第八代孝元天皇の御代に現在同市大字瀧にある瀧神社の祭神舵彦命とその部族の協力とによつて江野下の半坂南隅の岩を開削し滞水を排除し江野の開拓を行なつた。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)

 創立年月は不詳であるが、大浜谷(大浜川流域で江野他五部落が位置する)では唯一の延喜式内社で、城崎郡二十一座の内、小社に列している古社である。史料を欠くため、往古の事は不明であるが、江戸初期の寛永年間(1624~1643)、部落の大小により社殿を焼失、その後再建され、明治6年(1873)には村社に列したが、同43年(1910)1月7日、また、火を発して社殿烏有に帰し、大正2年(1913)、全村民の協力によって現在の総欅づくりの立派な社殿が再建された。
 屋根は檜皮葺であったが昭和38年(1963)、銅版葺に葺替えられた。
 なお、境内にある旧籠堂は、現在、部落の公会堂として利用されており、また境内入口の鳥居左奥には、昭和43年(1968)に兵庫県の天然記念物に指定された高さ30m、目通り4mの大ケヤキがあり、樹齢300年と推定されるが、樹勢極めて盛んで、春の新緑のころと秋の紅葉が見事である。

とある。


小江神社が鎮座する当地は、円山川西岸より西へ延びる大浜川沿いの谷筋にあたる場所、奈佐谷の1本北側に位置する。
円山川より竹野町への街道筋にあたる。

小江神社のご祭神は、豊玉彦命。
大綿津見神(おおわたつみのかみ)と言ったほうがよくご存知かもしれない、海神である。
なぜ、結構な山の中なのに海神を祀っているのか、ということは不明だが想像が膨らむ。
かつて円山川の水位が高い時代は円山川がもっと西へ入り込んでいたと思われる。
例えば、竹野から豊岡へ行こうとすれば竹野川を遡り、市場のあたりから舟を担いで江野峠を越え、江野のあたりで大浜川に再び舟を浮かべた、というようなことは考えられないだろうか(個人的見解です)。
突飛な考えだが、一度日本海へ出てから円山川を遡るよりも遥かに時間短縮になるのではないだろうか。
こうしたことから海神を祀ったなんてことはないだろうか。
と想像が膨らみ楽しい。

小江神社へのアプローチは分かりやすい。
国道178号線と国道426号線の交わる下陰池ノ内交差点より竹野方向(西)へ4.7kmほど行くと江野の集落だ。
ここに徳養寺の看板が出ているので北へ入ると正面にある。
駐車場は無いので周辺の道路に駐車することになるので注意が必要。

国道178号線より北へ江野集落へ入ると正面に小江神社の社標と鳥居が見える。
現在は鳥居は南向き、社殿は東向きになっている。
鳥居の左側には大ケヤキがあり、非常に大きな木だが現在は上部が伐採され傾いた状態だ。
鳥居をくぐり石段を登ると広場になっていて遊具やバスケットボールのゴールもあり楽しげ。
正面には大きな建物があり地域の公会堂として利用されているようだ。
かつては舞台として利用されていたのではないだろうか。
まさに地域の中心としての役割を果たしている印象がある。
公会堂の前を左に行くとさらに石段を登り社殿がある。
社殿は本殿のみで厳重な雪囲いに囲まれている。
本殿は大正2年(1913年)に再建されたもの。
非常に豪華な中井権次橘正胤による彫り物が施されていて素晴らしい、一見の価値がある。
これだけ豪華な彫り物はあまり他にないので文化財に指定されていないのが意外なほど。
本殿の状態は風雪により色褪せてはいるが状態は良い。
雪深い地域なので雪囲いが必要だが、彫り物が見えにくいのが少々残念ではある。
社域には大ケヤキ以外にも古木が非常に多く、古くよりここに鎮座していることがよく分かる。

現在は山の中だが海神を祀る地域の中心の神社。

注意点

駐車場は無いので注意。

訪問ノート

訪問日 :2022/5/16
交通手段:クルマで訪問
カメラ :α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM