比定社:(論)志布比神社(丹後町大山)
式内社コード:270-120
神名帳社名:志布比神社、シフヒノ
社格:小
所在地:627-0211 京都府京丹後市丹後町大山922
plus code:P3FX+MF 京丹後市、京都府
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アプローチ&ロケーション
しぶひじんじゃと読む。
大山集落の南の端の平地に鎮座。
国道482号線沿いにあるので見つけやすい。
拝殿前の広場には児童公園が作られていて地域に溶け込んでいる。
神社前に1台のみ駐車スペースあり。
ハイライト
一見どこにもあるような神社だけど様々なお話が残っているところ。
写真
感想
由緒書は無いので詳細は不明。
創建は不明、ご祭神は志夫美宿禰命(しぶひのすくねのみこと)、日子坐王命の子。
崇神天皇の時代に賊徒があらわれて人民を悩ましていた。
志夫美宿禰は父である日子坐王命の命に従いこれを退治した。
この志夫美宿禰を鎭めているのが、この志布比神社であるという。
社殿は元禄十年(1697)、享保二十一年(1736)、寛政三年(1791)造営の記録がある。
江戸時代までは塩干神社と呼ばれていた。
塩干神社には次のようなお話も伝わっている。
古代丹後半島の竹野川流域、峰山、大宮のあたりまで海だった。
あるとき大山に住む神様が海を干そうとして海水を飲んだそうだ、3口目で飲み残したところが残り水たまりが残った。
人々は飲み残した水たまりの傍らに宮を建てて敬ったそうだ。
それが式内志布比神社で「しおほっさん」と呼ばれていたということだ。
つまり竹野川流域、峰山、大宮の潟湖を開拓した功労者ということなのだろうと思う。
だけど干拓しただけでは塩が残り作物ができない。
そうした塩害を取り除いたというお話も伝わっている。
ご祭神の志夫美宿禰命は丹後国ではここでしか登場しない(珍しい)。
ひょっとしたら、それぞれ別の神様で別の神社だったのかもしれない(管理人個人の見解です)。
それがいつしか同じ神社に合体して今に至っているのかもしれない。
歴史が古いということは分からないことも多いものだ。
せっかくこうしたお話の残る式内社の論社なのだから、もっと全面にお話を打ち出して神社を盛り立てるのも良いのではないかと思った。
注意点
特になし。
訪問ノート
訪問日:2020/11/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。