比定社:山神神社
式内社コード:273-290
神名帳社名:夜伎村坐山神社、ヤキムラノ-
社格:小
所在地:667-0041 兵庫県養父市八鹿町八木1182-1
plus code:9PP9+F4 養父市、兵庫県
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アプローチ&ロケーション
「やまのかみじんじゃ」と読む。
八木集落の北の山裾に鎮座。
八木城跡を目指していくと分かりやすい。
国道9号線より北側に入りすぐに八木城跡の案内看板があるので左(西)へ入り道なりに進むと神社前に出る。
南へ150メートルほど国道9号線を横切り旧山陰道まで参道が伸びていたと思われる。
駐車場は無いので注意。
ハイライト
八木氏との関係。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
以下の記録が残る。
ご祭神、伊弉冉命・速玉命・事解之男。
創建詳細不明。
明治6年(1873年)村社。
明治28年(1895年)拝殿を新築。
江戸時代までは「八木山神社」と呼ばれていた。
山神神社の背後の山にある八木城跡(国指定史跡名勝天然記念物)との関係を避けては通れないだろう。
八木城については
八木城は、康平6年(1063年)閉伊頼国が前九年の役で功労があり、源頼家から但馬国が与えられ、八木の地に築城したのが始まりと言われている(諸説あり)。
とある。
八木氏については
また八木氏は、建久5年(1194年)に朝倉高清が源頼家から但馬国を与えられ朝倉城を築城し、朝倉氏と閉伊氏の間の合戦で勝利し朝倉高清の第二子、重清を八木城の城主とし八木の姓を名乗り八木重清となった。以後八木氏は15代、300年以上にわたりこの地で栄えた。
第六代城主八木重家は但馬国守護山名時氏、山名時義の重臣となり太田垣氏、垣屋氏、田結庄氏と共に山名四天王に数えられた。
とある。
八木城は、慶長5年(1600年)に廃城となり、別所吉治が最後の城主だった。
また八木氏と言えば、赤淵神社(和田山町枚田)を庇護した一族だ、天正2年(1574年)に八木豊信が再建している。
お話は山神神社に戻るが、すぐ裏の山に八木氏の居城や館があり、300年以上もこの地を支配していたのだから関係の無いはずはないと思う。
だが、山神神社の由緒等には八木氏は全く出てこないのが不思議だ。
現在の山神神社の社域は広くはない。
だが、参道は南へ150メートルほど国道9号線を横切り旧山陰道まで伸びていたと思われ、かつては大きな社域を持っていたのかもしれない。
鳥居をくぐると参道は右折れし鳥居よりも右側に覆屋に入った本殿がある。
かつては鳥居の正面にあったのではないだろうか(個人的見解です)。
社域はや社殿はすごくきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。
八木氏との関係が気になる神社。
注意点
駐車場は無いので注意。
訪問ノート
訪問日:2021/4/24
交通手段:クルマで訪問
カメラ:α7M3 + FE16-35mm F2.8 GM
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。