261-150_(論)請田神社

比定社:(論)請田神社

式内社コード:261-150
神名帳社名 :松尾神社、マツノヲノ
社    格:小
所 在 地 :621-0005 京都府亀岡市保津町
Plus Code  :2J85+73 亀岡市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

比定社:(論)請田神社

式内社コード:261-190
神名帳社名 :石穂神社、イハホノ
社    格:小

アプローチ&ロケーション

亀岡保津峡北岸の山裾に鎮座。
アプローチは三ノ坪の集落より東へ入る、曲がるところを間違わなければ1本道で行き止まり。
現在は行き止まり(通行止め)だが、かつては徒歩で抜けれたのかもしれない。
約450メートルほど西側に一の鳥居がある。
アプローチ道路は非常に狭く横が大堰川なので要注意。
すぐ川向いに「261-030_(論)桑田神社」が見えるロケーション、「261-030_(論)桑田神社」がかつて請田神社と名乗っていたため、川を挟んで何らかの関係があると思われる。
駐車場はないので注意。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

なぜこの場所なのかをよく表していると思われるアプローチ道路。
正面に桑田神社が見えるロケーション。

写真

請田神社の大堰川の側は高い石垣がくんである。この石垣に関しては比較的最近作られたように見える。
請田神社の大堰川の側は高い石垣がくんである。この石垣に関しては比較的最近作られたように見える。
直前を大堰川が流れる。前の道路は京都府道401号嵯峨亀岡線でこちらは保津方面。かつては京都へ通じる街道のひとつだったと思われるが増水等で使いにくかったのだろう。
直前を大堰川が流れる。前の道路は京都府道401号嵯峨亀岡線でこちらは保津方面。かつては京都へ通じる街道のひとつだったと思われるが増水等で使いにくかったのだろう。
正面には大堰川が流れ、その向こうにはトロッコ亀山駅がある。
正面には大堰川が流れ、その向こうにはトロッコ亀山駅がある。
西側を望む。走ってきた道は片側が川、もう一方が山で狭いので注意。神社前で通行止めになっているので実質行き止まり。
西側を望む。走ってきた道は片側が川、もう一方が山で狭いので注意。神社前で通行止めになっているので実質行き止まり。
大堰川沿いの神社の正面入口の階段は閉鎖中。
大堰川沿いの神社の正面入口の階段は閉鎖中。
西側から入ると広場があり、奥に舞殿と本殿がある。社域は手入れされているがなんだかゴチャゴチャしている。
西側から入ると広場があり、奥に拝殿と本殿がある。社域は手入れされているがなんだかゴチャゴチャしている。
手水鉢と修復記念の碑。平成16年に改修されたとある。
手水鉢と修復記念の碑。平成16年に改修されたとある。
神社謹製の由緒書。ご祭神は大山咋神、市杵島姫命で請田神社や桑田神社の場所より開拓を始めた。「保津の火祭」は当社から保津八幡宮の頓宮まで提灯行列を行い神霊を迎える祭り。また永禄年間の兵火により社殿や文献が焼失し詳細は残っていない。とある。
神社謹製の由緒書。ご祭神は大山咋神、市杵島姫命で請田神社や桑田神社の場所より開拓を始めた。
「保津の火祭」は当社から保津八幡宮の頓宮まで提灯行列を行い神霊を迎える祭り。
また永禄年間の兵火により社殿や文献が焼失し詳細は残っていない。
とある。
拝殿より1段上にある本殿を望む。平成16年に改修されたとあるのできれいな状態。金物はあるが比較的質素な作り。
拝殿より1段上にある本殿を望む。平成16年に改修されたとあるのできれいな状態。金物はあるが比較的質素な作り。
本殿を正面から望む。扁額には正一位請田大明神とある。
本殿を正面から望む。扁額には正一位請田大明神とある。
本殿を左側より望む。本殿の後ろ側にも石垣が組んである。
本殿を左側より望む。本殿の後ろ側にも石垣が組んである。
拝殿より南側を望む。ちょうどJR山陰線が走ってきた。
拝殿より南側を望む。ちょうどJR山陰線が走ってきた。
拝殿を奥側(東)より望む。この場所が社域の一番東側で細長い形になっている。
拝殿を奥側(東)より望む。この場所が社域の一番東側で細長い形になっている。

感想

神社謹製の由緒書によると

請田神社(保津町立岩)
大山咋神と市杵島姫命(一名狭依姫命、宗像三女神の一つで後世は弁財天という)末社に稲荷大神を祀る。
永禄年間、兵火により社殿、文献共に焼失して縁起不詳だが、祭神大山咋神は丹波地方を開拓するため、出雲地方から来られた神といわれ、当社および川向うの桑田神社のある保津川入口から開拓を始められたと伝える。
この開拓着工のクワ入れを受けたので社名を「請田」と呼ぶようになったという。
毎年十月二十一日の秋の大祭は「保津の火祭」と呼ばれ本宮から保津八幡宮内の頓宮に神霊を迎える高張提灯行列が珍しい火祭である。

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
和銅2年(709年)創建。
永禄年間(1558~-1570年)社殿焼失。
寛永年間(1624~1645年)現在地に社殿を造営して復座。

延喜式神名帳・丹波国・桑田郡の「松尾神社」と「石穂神社」の両方の論社となっている神社。

かつて大堰川のこの場所より西へ開拓をスタートさせた重要な場所であることは間違いないと思う(個人的見解です)。
この地や当社が亀岡の開拓に重要な役割を果たしたことも想像ができる。

鎮座場所に関しては大堰川のすぐ脇であるので、かつては行き着くのにかなり苦労したのではないだろうか。
川の増水等にも幾度となく遭遇していると思われる。
また神社前の京都府道401号嵯峨亀岡線は保津への街道となっており、かつては京都との行き来は盛んであっただろうと想像できる。

「保津の火祭」では本宮から保津八幡宮内の頓宮に神霊を迎える高張提灯行列を行うとある。
当社の場所は集落からかなり遠い、保津八幡宮に頓宮が設置されているのも理解できる。

現在の社域は川に向かって階段状になっていて狭いがうまく作られている。
こういった場所では、背後の山に戦国期の山城などがあっても良さそうだが、全く無いところを見ると、かつてはかなり険しい場所だったのだろう。
本殿が作られた年代が不明だが、かなり立派、装飾は少ないが金物がきれい。
もっとこの地の詳細が知りたいものだ。

注意点

川沿いのアプローチは狭いので運転注意。

訪問ノート

訪問日:2019/3/10
交通手段:クルマで訪問
カメラ:RX100M3