275-040_三野神社

比定社:三野神社

式内社コード:275-040
神名帳社名 :三野神社、ミノノ
社    格:小
所 在 地 :669-5327 兵庫県豊岡市日高町野々庄782
Plus Code  :FRR4+RW 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「みのじんじゃ」と読む、地名の野々庄は「ののしょう」と読む。
野々庄の集落の北の端の平地に鎮座。
場所としてはJR国府駅の南東800メートルほどの場所100メートルほどで円山川の堤防。
国道312号線より東の円山川方向へ入っていくが集落の中の道は極狭小なので注意。
クルマは社殿の北西側に空き地があり駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通2】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

古い文書が残るような地域に溶け込んだ社域。
珍しいご神紋。

写真

三野神社を正面より望む。
三野神社を正面より望む。
右側(東)を望む。住宅街の中にある、この突き当りは円山川の堤防になるという場所。水害には遭わなかったのだろうか。
右側(東)を望む。住宅街の中にある、この突き当りは円山川の堤防になるという場所。水害には遭わなかったのだろうか。
左側(西)を望む。国道312号線の方向だが真っすぐは入ってこれないので集落の中をグネグネ走ってくることになる。道が狭いので注意。
左側(西)を望む。国道312号線の方向だが真っすぐは入ってこれないので集落の中をグネグネ走ってくることになる。道が狭いので注意。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
覆屋に入った本殿を正面より望む。社殿は1段高い場所、拝殿はない。
覆屋に入った本殿を正面より望む。社殿は1段高い場所、拝殿はない。
社域には垣は全く無く隣地と地続きなのが新鮮。木の向こうはもう隣家だ。
社域には垣は全く無く隣地と地続きなのが新鮮。木の向こうはもう隣家だ。
左側は摂社末社とか鉄棒、手前にはブランコもある。古木が何本かあり古くより鎮座していることが分かる。
左側は摂社末社とか鉄棒、手前にはブランコもある。古木が何本かあり古くより鎮座していることが分かる。
覆屋に入った本殿の石積みはカッチリとしていて新しいようだ。
覆屋に入った本殿の石積みはカッチリとしていて新しいようだ。
覆屋の正面には三野神社とある。
覆屋の正面には三野神社とある。
覆屋の中の本殿を望む。文久元年(1861年)の建築と思われるが非常に状態は良い。飛んでいる烏3匹のご神紋が幕についている。十二所権現と勧請とあるので、その頃より熊野の影響を受けているのだと思われる。
覆屋の中の本殿を望む。文久元年(1861年)の建築と思われるが非常に状態は良い。飛んでいる烏3匹のご神紋が幕についている。十二所権現と勧請とあるので、その頃より熊野の影響を受けているのだと思われる。
覆屋に入った本殿の左奥より鳥居を望む。覆屋と石積みは新しい。
覆屋に入った本殿の左奥より鳥居を望む。覆屋と石積みは新しい。
大将野庄銘逆修碑とその説明書き。享禄四年(一五三一年)の銘がある。他にもっと古い大般若経が伝わっていたりして地域との関わりが非常に深いと感じる。
大将野庄銘逆修碑とその説明書き。享禄四年(一五三一年)の銘がある。他にもっと古い大般若経が伝わっていたりして地域との関わりが非常に深いと感じる。

感想

豊岡市教育委員会謹製の大将野庄銘逆修碑説明書によると

大将野庄銘逆修碑
 この石碑は式内三野神社境内に置かれていたもので、享禄四年(一五三一年)銘のある中世の逆修碑である。
逆修とは、死後の冥福を祈って生前に自らの供養を行う仏事である。自然石製で、高さ95cm、幅78cm、厚さ20cmを測る。
 碑面は風化しているが、上方の月輪内に虚空菩薩を意味する梵字タラークを刻み、その下方の42×30cm方格内に結縁衆三十名の法名が刻まれている。方格むかって右に「但馬国気多郡中大将野上村逆修結縁衆」左に「享禄四辛卯三月十一日願主泉蔵主□□敬白」の文字が読み取れる。
 文字は、但馬国太田文にある大将野庄上村が三野神社のある野々庄にあったことを裏付けるものとして歴史的にも価値が高い。
平成24年3月 豊岡市教育委員会

とある。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、師木津日子命。
 他に以下の説がある。
 『由緒書』天湯桁命・彦座命
 『国造本紀』彦坐命
雄略天皇4年(460年)美努連嘉摩先祖天湯河板挙命を祀る。
建久年間(1190~1199年)の作とされる一大般若経を所蔵する。
寛文元年(1661年)社領を有していた。
天保11年(1840年)造営。
文久元年(1861年)造営。
明治3年(1870年)三野神社と複称。
明治6年(1873年)村社。
江戸時代までは「美努神社」「十二所権現」と呼ばれていた。
中世には紀州熊野神社から十二所権現を勧請して奉祀した。
そのため一般には「十二所権現」と呼ばれるようになった。
江戸時代には野々庄村と隣の芝村両村の産土神としての性格を持ち、社人別当のいない村支配の神社であった。

とある。


兵庫県神社庁によると

ご祭神は、師木津日子命(シキツヒコノミコト)
創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し在来十二所権現と称せしも明治3年(1870年)三野神社と復称す。
明治6年(1873年)10月村社に列せらる。

とある。


”建久年間(1190~1199年)の作とされる一大般若経を所蔵”については以下の情報がある。
書写した「大般若経(だいはんにゃきょう)」が、豊岡市日高町の豊岡市立歴史博物館・但馬国府・国分寺館に保管されているそうで、実に長寛元年(1163年)~建久8年(1197年)まで30年以上の時間がかかったとされている。
すべて揃っていると600巻以上と言われているが現存するのは49巻。
このうちの2巻は豊岡市所蔵で「大石家文書」(豊岡市指定文化財)の一部として、残りの47巻は野々庄区所蔵となっている。
なぜこの「大般若経」が三野神社に伝わったのか、ということは今後の調査を待つ必要がありそうだ。
しかし、それにしても800年以上前の文書が残るなんて奇跡に近いことだと思う。

三野神社の鎮座地は住宅街の中で、円山川の堤防より西へ100メートルほどの場所。
国道312号線より東へ入り野々庄集落の中を進むが、たぶん道は江戸時代のままで極狭小なので注意が必要。
円山川のすぐ横ということもありフラットな地形となっている。
集落の中の道が少々複雑なので、場所は分かるがどうやったら行き着くかという感じ。
社殿の右奥(北東)に空き地があるので駐車が可能だ。

社域は完全にオープンでフラット、周囲の住宅との境が無く高低差も無い珍しい感じ。
集落に溶け込んでいる様子が見て取れ、鉄棒やブランコもあり地域のこどもの遊び場という雰囲気が懐かしい。
古木も何本かあり古くよりここに鎮座していることが分かる。

社殿は覆屋に入った本殿のみの最もシンプルな構成。
覆屋の中に入った本殿は文久元年(1861年)の建築と思われるが非常に状態は良い。
ご神紋が付いた幕が掛かっていて、たぶん烏、烏が3匹の紋は見たことが無い(それも飛んでる)。
烏と言えば、3本足の八咫烏が真っ先に思い浮かぶ、ご存知の通り熊野本宮大社のご神紋。
かつては、十二所権現と勧請したとあるので、熊野系というのは間違い無さそうだ。

社域はきれいに掃き清められていて気持ちが良く参拝できる。

800年以上前の大般若経の写しが伝わる但馬国府に近い神社。

注意点

集落の中の道は極狭小なので注意

訪問ノート

訪問日 :2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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式内社一覧表はこちらから

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