比定社:葦田神社
式内社コード:275-030
神名帳社名 :葦田神社、アシタノ
社 格:小
所 在 地 :668-0842 兵庫県豊岡市中郷1141
Plus Code :FRMF+XR 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「あしだじんじゃ」と読む、地名の上郷は「なかのごう」と読む。
中郷集落の東の端の山裾に鎮座。
国道482号線と兵庫県道249号府市場伏線が交わる中郷集落から南へ入る。
南へ伸びる谷筋の東側山裾を目指して神社前までクルマで行ける。
近くへ行かないと目印は見えないので少々見つけにくい。
獣よけフェンスが設置してるので開けたら必ず閉めること。
周囲に駐車可能。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索4】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
確かに広範囲を見渡せる非常に良いロケーション。
拝殿の彫り物は一見の価値がある。
写真
感想
神社謹製のあいたっつぁん「足痛の神」の由来によると
このあたりは、大昔湖の底であったのを一宮さん(天日槍)が津居山を開かれ、湖の底はだんだんと美しい田んぼに代わっていきました。一宮さんはその開けていく美田が一目で千石見渡せる所に屋敷を探してくるようにお命じになりました。あいたっつぁんはあちらこちらおさがしになったすえ、中郷の地に今の国府から日髙にかけて一目で千石の土地が見渡せる場所をお見つけになりましたが、その土地がすばらしく気に入ってしまったので、ご主人の一宮さんに報告するのが惜しくなり、自分の屋敷に貰おうと思われて、ほかの所を報告され、お屋敷はその所に定められました。それから月日が立って、ある日一宮さんは、あいたっつぁんを連れて但馬の各地をお見廻りになりました。そして狭間坂をお通りになりますと、目の前に一千石のすばらしい美田が開けて見えました。
一宮さんはこんなすばらしい所があるのに、あいたっつぁんが報告をされなかったばかりか、それを自分の屋敷にしようとしておられたことをお知りになり、大変お怒りになって、いきなり剣を抜いてあいたっつぁんを切ってしまおうとなさいました。あいたっつぁんは大変びっくりされ、思わず飛びさがられましたが、剣はあいたっつぁんの足を傷つけ、勢あまって傍の岩を切りつけました。
あいたっつぁんは「アイタタ」と云ってその場をお逃げになり、山の中で傷の養成をなさいました。一宮さんは一時は大変お怒りになりましたが、後になって気の毒なことをしたって反省なさってあいたっつぁんをお許しになり、その土地をあいたっつぁんに賜わりました。あいたっつぁんは大変お慶びになり、そこに屋敷をお建てになって、足を傷めて苦しんでいる人々をお救いになりましたので、人々は「あいたっつぁん」と呼んであがめました。それからそのあたりは「アイタチ」と呼ばれ、また一宮さんが切りつけられた岩は切岩と呼ばれるようになりました。
「あいたっつぁん」と呼ぶのは足をお切りになったとき、「アイタ」と呼ばれたからだと伝えられています。
葦田神社
とある。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、天麻止都袮命。
創立年代は詳らかではない。
天明年間(1781~1789年)造営。
明治6年(1873年)村社。
とある。
兵庫県神社庁によると
天麻比止都祢命(アマトツネノミコト)
創祀年代は不詳。
鎮座地の背後の山を、愛痛山と呼び、愛痛大明神とも言われている。
祭神は、天麻止都袮命。異説として、天目一箇神。
伝承としては、当社祭神は天日槍の随神であるという。
天日槍が当地を開き、眺望の良い場所に宮を建てるため、当社祭神に命じて、国内の見分をさせた。当地に到った祭神は、その眺望の良さに自分の屋敷を立てようと考え、天日槍には、別の場所を報告した。
その後、当地に来た天日槍は、祭神の嘘に怒り、祭神を切りつけた。足を傷めた祭神は、「アイタ」と叫び、山に逃げ込んだ。
後日、天日槍は祭神を許し、当地を賜り、祭神は感謝して屋敷を建て、足を傷めた人々を救済したという。
天日槍の随神である祭神の名は不明だが「アイタ」と叫んだ祭神は「あいたっつぁん」と呼ばれるようになった。
とある。
由緒に出てくる、一宮さん(天日槍)と天麻止都袮命(ご祭神、あいたっつぁん)は上司と部下の関係だ。
この由緒を見ていて思い出した、「271-140_村岳神社」の「イシボトケ」にも上司と部下のお話が伝わっており、どちらも良い土地を発見したのに、上司に報告せず自分のモノにしようとしてバレてあやうく切られそうになり、近くにあった岩が真っ二つというお話だ。
「271-140_村岳神社」では主人公が旦波道主命と村岳神となっているし、岩が残っているというのも共通する。
一方、当社葦田神社では天日槍と天麻止都袮命(ご祭神、あいたっつぁん)のお話となっており興味深い。
天麻止都袮命は天日槍の部下(随神)だったことになる。
異説として天麻比止都祢命(天目一箇神)というお話もある。
もし、天麻比止都祢命(天目一箇神)であれば、鉄の神さまなので周囲に色濃くその痕跡が残るはずだ。
由緒に出てくる「狭間坂」は、当社から東へ愛痛山を挟んで反対側、直線にして600メートルほどの現在の国道482号線の「豊岡市出石町片間」のあたりのことで非常に近い場所だ。
「アイタチ」という地名はどこなのか不明だが愛痛山のことだろうか。
「狭間坂」というのは重要な峠だったようで、但馬国の国府と出石を最短で結ぶルートだった。
また、出石神社の第一鳥居は狭間坂にあったとされている。
国道482号線と兵庫県道249号府市場伏線が交わるあたり中郷集落の中心地より南へ入る。
しばらく直進し山裾に達した突き当りを南へ行くと左側(東)にある。
神社の前には獣よけフェンスと言うよりも鉄の扉があり開けたら必ず閉めること。
獣よけ電撃柵もあるので触れないように注意する。
鉄の扉を入ると少し高くなって鳥居がある。
鳥居をくぐると広場があり右手に参集殿のような休憩所のような建物。
左手に手水舎、あいたっつぁん「足痛の神」の由来の案内・切岩、境内社の稲荷社がある。
社殿は天明年間(1781~1789年)造営と伝わる。
拝殿は小ぶりだが美しいシルエット、見事な彫り物が施されており一見の価値がある。
拝殿から覗くと本殿が見える、狐さんがたくさんいらっしゃる。
拝殿・本殿とも風雪で色褪せてはいるが状態は良いようだが、そろそろ補修が必要な時期かもしれない。
天日槍の部下のあいたっつぁんの失敗談が残る神社。
注意点
獣よけフェンスが設置してるので開けたら必ず閉めること。
獣よけ電撃柵もあるので注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。