264-140_蘆井神社(芦井神社)(丹波市青垣町)

比定社:蘆井神社(芦井神社)(丹波市青垣町)

式内社コード:264-140
神名帳社名 :蘆井神社、イホノヰノ/イホヰノ
社    格:小
所 在 地 :669-3802 兵庫県丹波市青垣町栗住野1019
Plus Code  :62J8+M7 丹波市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

あしいじんじゃと読む。
栗住野集落の中の平地に鎮座。
加古川の西岸、兵庫県道7号青垣柏原線より1本西へ入った集落内、周辺は田畑と人家。
クルマは神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

中井権次一統の5代目正忠と6代目正貞の合作ではないかと言われている本殿の彫り物。

写真

蘆井神社を正面より望む。社域はこじんまりしているが良い雰囲気。
蘆井神社を正面より望む。社域はこじんまりしているが良い雰囲気。
社標には式内とある。
社標には式内とある。
右側(北)を望む。神社前の道路は細い生活道路となっている。神社前に駐車可能。
右側(北)を望む。神社前の道路は細い生活道路となっている。神社前に駐車可能。
左側(南)を望む。この道路の1本東側が兵庫県道7号青垣柏原線となる。
左側(南)を望む。この道路の1本東側が兵庫県道7号青垣柏原線となる。
鳥居をくぐると細い山道が本殿まで続いている。このあたりの木々は若い。
鳥居をくぐると細い山道が本殿まで続いている。このあたりの木々は若い。
本殿前には参集殿のような建物がある。
本殿前には参集殿のような建物がある。
本殿の脇には杉の巨木が何本かそびえる。
本殿の脇には杉の巨木が何本かそびえる。
社殿は覆屋に入った本殿のみ。地域に大事にされているのが伝わってくる。
社殿は覆屋に入った本殿のみ。地域に大事にされているのが伝わってくる。
本殿を正面より望む。なかなか立派な本殿。電灯が良い雰囲気。
本殿を正面より望む。なかなか立派な本殿。電灯が良い雰囲気。
本殿の扁額には蘆井神社とある。各部に彫り物組物が施されているのが分かる。彫り物は中井権次一統の5代目正忠と6代目正貞の合作ではないかと言われている。
本殿の扁額には蘆井神社とある。各部に彫り物組物が施されているのが分かる。彫り物は中井権次一統の5代目正忠と6代目正貞の合作ではないかと言われている。
扁額の前にも彫り物がある。彫り物には詳しくないが、この部分はあまり見たことがない。
扁額の前にも彫り物がある。彫り物には詳しくないが、この部分はあまり見たことがない。
本殿右側に回り込んで見上げるとたくさんの彫り物がある。
本殿右側に回り込んで見上げるとたくさんの彫り物がある。
本殿左側ににも彫り物たくさん。
本殿左側ににも彫り物たくさん。
こちらは本殿前の部分、こちらにも彫り物が施されている。
こちらは本殿前の部分、こちらにも彫り物が施されている。
参集殿のような建物。
参集殿のような建物。
参集殿のような建物から鳥居を望む。
参集殿のような建物から鳥居を望む。
地神塔(社日塔)がある。
地神塔(社日塔)がある。
参道より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、天押雲根命。
由緒不詳
明治6年(1873年)野々宮神社を芦井神社に改称。
江戸時代までは「野々宮神社」と呼ばれていた。
中世近世の資料に式内芦井の社名を発見することはできない。
つまり消滅していた社名が、明治6年になつて、野々宮神社を芦井神社に改称し、その名を復古したものである。
とある。

兵庫県神社庁によると

創立年不詳。往古、野々宮といい、天正年間(1573~1591)、芦田吉宗により社殿再建。天和年間(1681~1683)、芦田屋英、元文年間(1736~1740)、芦田武英、それぞれ改築す。
寛文9年(1669)、芦田又右衛門、再建。数十年後、芦田英長・小田林右衛門、改修す。
明治6年(1873)、村社に列せられる。
境内に井戸あり。天ノ忍石の長井の水を遷し祭しはこの社の井戸なりと旧記に伝う。
延喜式内社なり。

とある

記録があいまいな神社。
元々は野々宮神社、明治期に蘆井神社と改めたということだ。
当社もそうだが、天正年間以降の記録しか残っていない(残っているだけ良い方)。

社域は東を向いていて、参道は少々手狭な印象を受けるが奥は広くなっている。
本殿のあたりは、古木が何本かあり古社らしい雰囲気を持っている。

社殿は、記録では寛文年間に建築され、その後補修されたとある。
本殿は覆屋に入っているが、ピッタリした作りになっていて本殿の屋根を見ることができない。

本殿には、かなり豪華な彫り物が施されていてビックリする。
中井権次一統の5代目正忠と6代目正貞の合作ではないかと言われている。

近隣に大事にされている神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/7/21
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100