270-040_国原神社

比定社:国原神社

式内社コード:270-040
神名帳社名 :久尓原神社、クニハラノ
社    格:小
所 在 地 :627-0145 京都府京丹後市弥栄町国久214
Plus Code  :M3RW+4G 京丹後市、京都府
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「くにはらじんじゃ」と読む、地名の国久は「くにひさ」と読む。
国久集落の東の丘の頂上に鎮座。
京都府道656号間人大宮線より国久集落を1本西へ入った公園の北隣。
公園の入口にクルマを停めることが可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

国久集落との立地の関係。

写真

国原神社を正面より望む。国久集落の入口の小高い丘の上にあり西を向いている。
国原神社を正面より望む。国久集落の入口の小高い丘の上にあり西を向いている。
鳥居から先は小高い丘へ石段が続く。急で滑りやすいので注意が必要。
鳥居から先は小高い丘へ石段が続く。急で滑りやすいので注意が必要。
鳥居脇の狛犬はかなり風化が進んでいて古社を感じさせる。鳥居の右側(南)には公園があり駐車させていただいた。
鳥居脇の狛犬はかなり風化が進んでいて古社を感じさせる。鳥居の右側(南)には公園があり駐車させていただいた。
年代は分からないが野趣あふれる石灯籠。
年代は分からないが野趣あふれる石灯籠。
鳥居をくぐると急な石段。ところどころ枯れ葉や土砂があり傾斜も急なので注意が必要。
鳥居をくぐると急な石段。ところどころ枯れ葉や土砂があり傾斜も急なので注意が必要。
石段を登ると社殿がある広場に到着する。左に手水鉢、社殿はさらにもう1段高いところにある。山城のような立地になっている。
石段を登ると社殿がある広場に到着する。左に手水鉢、社殿はさらにもう1段高いところにある。山城のような立地になっている。
本殿を正面より望む。
本殿を正面より望む。
覆屋に入った本殿を望む。大きくはないが精巧な作りのように見える、状態は良い。
覆屋に入った本殿を望む。大きくはないが精巧な作りのように見える、状態は良い。
国原神社の銘がどこにもない。かろうじて覆屋内にある奉納記録に神社名があった。
国原神社の銘がどこにもない。かろうじて覆屋内にある奉納記録に神社名があった。
いつもそうだが古社の急な石段は下りが怖い。十分に気をつけてほしいと思う。
いつもそうだが古社の急な石段は下りが怖い。十分に気をつけてほしいと思う。

感想

由緒書はないので詳細不明。


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、国常立神。
 また次の説もあるようだ。
 豊宇気持命・大宮宜大明神『丹後旧事記』。

創立の経緯不詳。
応永12年(1405年)大和の国宇多郡より神霊迎える。
明治4年(1871年)村社。
明治43年(1910年)杉森神社に合併し国原神社と改称。

旧鎭座地は南500mの「高田の森」。
明治43年(1910年)4月杉森神社に合併し国原神社と改称。

江戸時代までは「高田大明神」と呼ばれていた。

現在地には杉森神社が鎮座していた。
明治43年(1910年)4月、旧鎭座地の「高田の森」から杉森神社に合併し国原神社と改称した。
旧鎮座地の「高田の森」は国久集落から南へ約500mの水田の中にある丘で、今は樹木はなく地膚をのぞかせている。

とある。


国原神社の鎮座する当地は、北は竹野、西は網野、南は弥栄町その先は峰山と繋がる竹野川の流域。
周辺には竹野川の対岸(東)に黒部銚子山古墳があり、やはり古くより開けた場所だ。

ご祭神は、国常立神。
創建の経緯が全く分からない神社。
元の鎮座地は南へ500メートルほどの田畑の中にあったらしい。
確かに田畑の中に跡地のようなものが残っている。
明治43年(1910年)杉森神社に合祀され国原神社と改称したようだ。
この時の経緯も不明。

国原神社へのアプローチは、京都府道656号間人大宮線の1本西の道路を国久集落へ入る
すると角に公園があり北側に小高い丘がある、この丘の頂上にある。
公園の入口あたりにクルマを駐車するスペースがある。

公園横の鳥居をくぐるとすぐに石段がある。
しばらく登ると社殿のある丘の頂上に出る。
さらに石積みの上に覆屋に入った本殿がある。
神社の名前がどこにも書いておらず確認がしずらい。
かろうじて奉納記録に神社名があったが扁額や社標は無い。
本殿は明治43年(1910年)の建築なのだろうか、不明だが状態は良い。

詳細が全く残っていない竹野川流域の要衝にある神社。

注意点

参道の石段はかなり急なので注意が必要。

訪問ノート

訪問日 :2018/8/29
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100