318-050_(論)佐保神社(加東市東実)

比定社:(論)佐保神社(加東市東実)

式内社コード:318-050
神名帳社名 :坂合神社、サカヒノ
社    格:小
所 在 地 :673-1434 兵庫県加東市東実34
Plus Code  :WX37+4F 加東市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus codeを検索すると表示されます。

アプローチ&ロケーション

「さほじんじゃ」と読む、地名の加東市東実は「かとうしとうじつ」と読む。
兵庫県道567号東古瀬穂積線の北からだと「起勢の里」の案内看板より東に入る。
560メートルほどで大池で突き当りになるので左(北)へ、360メートルほどで右(東)に民家があるので右(東)へ入り100メートルほどで到着。
鳥居横に駐車スペースがある。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

事情は不明だが残念ながら本殿が無いこと。

写真

(論)佐保神社(加東市東実)を正面より望む。社域は南面していて社殿へと続く素朴な参道が良い感じ。赤い消火栓の看板が目印になる。
(論)佐保神社(加東市東実)を正面より望む。社域は南面していて社殿へと続く素朴な参道が良い感じ。赤い消火栓の看板が目印になる。
右側(東)を望む。キチンと駐車スペースがあるのでありがたい。
右側(東)を望む。キチンと駐車スペースがあるのでありがたい。
正面(南)を望む。田畑が広がるのどかな風景。
正面(南)を望む。田畑が広がるのどかな風景。
左側(西)を望む。周囲は田畑と住宅となっている。
左側(西)を望む。周囲は田畑と住宅となっている。
鳥居越しに社殿を望む。かつては広い社域を持っていたのではないだろうか、なかなかに立派な参道。社標には郷社佐保神社とある。
鳥居越しに社殿を望む。かつては広い社域を持っていたのではないだろうか、なかなかに立派な参道。社標には郷社佐保神社とある。
鳥居をくぐると社殿前の広場に到着。社叢が良い感じ、消防施設が充実しているのが分かる。
鳥居をくぐると社殿前の広場に到着。社叢が良い感じ、消防施設が充実しているのが分かる。
手水舎、播磨に多い井戸併設タイプ。
手水舎、播磨に多い井戸併設タイプ。
拝殿を正面より望む。拝殿は立派なもの天保14年(1843)建築の記録が残る。
拝殿を正面より望む。拝殿は立派なもの天保14年(1843)建築の記録が残る。
広場の右側を望む。社域には祠がたくさんあるが詳細は不明。
広場の右側を望む。社域には祠がたくさんあるが詳細は不明。
広場の左側を望む。左奥に真新しい熊野本宮の社がある。
広場の左側を望む。左奥に真新しい熊野本宮の社がある。
拝殿内部を望む。キチンときれいに整理整頓されていて地域に大事にされている様子が見て取れる。
拝殿内部を望む。キチンときれいに整理整頓されていて地域に大事にされている様子が見て取れる。
社域にはたくさんの建物がある。このような小さな祠が多数あるが詳細は不明だ。
社域にはたくさんの建物がある。このような小さな祠が多数あるが詳細は不明だ。
拝殿の右から本殿部分を望む。本殿は無く石積のみが残っている、事情は分からないが残念。長い間に神社は盛衰を繰り返すので訪問したタイミングでこういうこともある。
拝殿の右から本殿部分を望む。本殿は無く石積のみが残っている、事情は分からないが残念。長い間に神社は盛衰を繰り返すので訪問したタイミングでこういうこともある。
左奥より本殿跡を望む。石積はきれいに残っており焼けたような痕跡もないので倒木とかで壊れたのだろうか、詳細は不明だ。本殿の復興をなされることを祈る。
左奥より本殿跡を望む。石積はきれいに残っており焼けたような痕跡もないので倒木とかで壊れたのだろうか、詳細は不明だ。本殿の復興をなされることを祈る。
本殿左側には対象的に真新しい社がある。扁額には熊野本宮とある、最近勧請したものだろうか。
本殿左側には対象的に真新しい社がある。扁額には熊野本宮とある、最近勧請したものだろうか。
拝殿を左側より望む。
拝殿を左側より望む。
左側より本殿跡を望む。
左側より本殿跡を望む。
拝殿前より参道方向を望む。
拝殿前より参道方向を望む。

感想


「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、天児屋根命・比売大御神・大名牟知廼命。

養老6年(722年)3月16日坂合村に鎮座。
宝亀10年(779年)3月、比売大御神、大名牟知廼命を相殿に祀る。
宝亀10年(779年)9月16日現在地に遷座。
大同4年(809年)勅使良峰安世を遣わし奉弊す(追加)。
寛平5年(893年)社殿造営(追加)。
元暦元年(1184年)兵火により社殿焼失(追加)。
文治5年(1189年)由羅野原に社殿建立し遷座す(追加)。
正和5年(1316年)赤松則村社殿再建、神田を献じ翌年遷宮(追加)。
正平6年(1351年)兵火により社殿焼失(追加)。
 源平合戦等で度々兵火で社殿焼失
元禄13年(1700年)8月本殿再建。
天保4年(1833年)仮殿遷座、さらに正遷座(追加)。
天保14年(1843年)拝殿再建(追加)。
明治6年(1873年)11月郷社。

創立年代は不詳なるも神社西南の古墳群から考えて余程古代に遡るものと思われる。
本殿はなく基壇のみある。

とある。


兵庫県神社庁によると

主祭神:天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
配祀神:比売大御神(ヒメオホミカミ)・大名牟知廼命(オオナムチノミコト)

由 緒:
 養老6年(722)、佐保野原に天児屋根命現れ、神託を下し、同年鎮座するが始まり。
 宝亀10年(779)、比売大御神・大名牟知廼命を合祀。社殿建立し遷座す。
 大同4年(809)、勅使良峰安世を遣わし奉弊す。
 寛平5年(893)、社殿造営。元暦元年、兵火により社殿焼失。
 文治5年(1189)、由羅野原に社殿建立し、遷座す。
 正和5年(1316)、赤松則村社殿再建。神田を献じ、翌年遷宮。
 正平6年(1351)、兵火により社殿焼失。
 元禄13年(1700)、社殿再建す。
 天保4年(1833)、仮殿遷座。さらに正遷座。
 天保14年(1843)、拝殿再建。
 明治6年(1873)、郷社に列せられる。

とある。


延喜式神名帳の播磨国・賀茂郡「坂合神社」の論社のうちの一つ。

(論)佐保神社(加東市東実)のある当地は、加東市の中心から南へ1.5kmほどの平地に鎮座している。
こちらには同じく播磨国・賀茂郡「坂合神社」の論社の「318-060_(論)佐保神社(加東市社)」がある。
西は2.5kmほどで加古川、南は2kmほどで東条川が流れており水運に恵まれた場所であったと想像できる。
古くより開けたようで下記のような遺跡がある。
南坊古墳群1~8号墳、阿弥陀堂北遺跡、東実・保神坂遺跡、東実・大辻遺跡、東古瀬・坊ノ上遺跡(兵庫県考古博物館資料による)。

(論)佐保神社(加東市東実)のご祭神は、天児屋根命・比売大御神・大名牟知廼命。
元々は養老6年(722年)に天児屋根命を祀ることで始まり、宝亀10年(779年)に比売大御神と大名牟知廼命を相殿に祀ったとある。
大名牟知廼命とは大国主命のこと。
このあたりの創建に関するお話は伝わっていないので詳細は不明。

(論)佐保神社(加東市東実)へのアプローチは注意しておれば難しくはない。
兵庫県道567号東古瀬穂積線の北からだと「起勢の里」の案内看板より東に入る。
560メートルほどで大池で突き当りになるので左(北)へ、360メートルほどで右(東)に民家があるので右(東)へ入り100メートルほどで到着する、神社前の消火栓の赤い看板が目印になる。
民家の影になって少々分かりにくいが田畑の中に豊かな社叢が印象的だ。
ありがたいことに鳥居横に駐車スペースがある。

(論)佐保神社(加東市東実)は南面していて大規模ではないが小規模でもない程よい規模の社域となっている。
南側から社殿まで参道が延びていて素朴な印象の社域。
参道を進むと郷社佐保神社とある社標と鳥居があり石の垣がここから始まっている。
参道を進むと拝殿前の広場に到着、想像していたよりも大きな拝殿が印象的だ。
社域にはたくさんの建物があり摂社末社が多数ある、かつてはかなり大規模だったのではないかと想像できる。
拝殿は実にきれいに整理整頓されていて地域に大切にされている様子が見て取れる。
ただ残念なことに拝殿後方には本殿は無く石垣が残るのみとなっている。
記録によると元禄13年(1700年)8月本殿再建、さらに天保4年(1833年)仮殿遷座さらに正遷座とある。
たぶん朽ち果ててしまいその後再建が叶わなかったのではないだろうか(火災の痕跡は無いように見える)。
地方の一般的な神社(大きく有名な神社ではない)はどこでもそうだが維持管理が火急の問題ではある。
なんとか出来ないものだろうかと思う。
本殿左側には熊野本宮と扁額のかかった真新しい社があり対照的だ。

地域に大切にされており落ち着いた雰囲気を持つ神社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/10/14
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3

各種式内社データへのリンク

御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。

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