比定社:(論)小坂神社(豊岡市出石町三木)
式内社コード:274-210
神名帳社名 :小坂神社、ヲサカノ
社 格:小
所 在 地 :668-0278 兵庫県豊岡市出石町三木1
Plus Code :FRMM+2P 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。
アプローチ&ロケーション
「おさかじんじゃ」と読む、地名の三木は「みつき」と読む。
三木集落の南の最奥の平地に鎮座。
国道482号線よりお地蔵様の祠がある川沿いを南へ入り真っ直ぐ。
集落の中は道が狭小なので注意。
駐車場は無いので注意。
訪問しやすさ指数
管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。
【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル
【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける
【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易
【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル
ハイライト
集落の中心に鎮座しているところ。
明治政府によってご祭神を決定されたところ。
写真
感想
由緒書はないので詳細不明。
「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る。
ご祭神は、小坂神。
天平19年(747年)創立。
享禄年間(1528~1532年)大洪水で社殿が流出し現在地に遷座。
明治以後小坂神社と改称。
明治6年(1873年)村社。
明治39年(1906年)造営。
大正11年(1922年)祭神が小坂神に決まった。
江戸時代までは「九社大明神社」と呼ばれていた。
元同村字地主に鎭座していたが享禄年間(1528~1532年)の大洪水で社殿が流出したために現在地に移転した。
古来九社大明神と称していたが明治以後小坂神社と称するようになつた。
旧地は宮屋敷と称されている。
『兵庫県神社誌』によれば大正11年祭神を天火明命に確定するよう出願したが、それに係る確証なしということで、内務省と協議の結果、小坂郷開拓に最も関係深い小坂神に決定した。
とある。
兵庫県神社庁によると
天平19年(747)の創立と伝へ元同村字地主と称する地に鎮座せしが享禄年間大洪水のため社殿流失せるため現社地に移転改築せりと伝ふ
今尚舊社地附近を宮屋敷と云へり当社は小坂郷九ケ村の総社と云ひ古来小坂神社九社大明神と称せしを明治以降小坂神社と称し明治6年(1873)10月村社に列せらる同39年(1906)拝殿を新築せり
由来当社は祭神未詳と明細帳に記入ありしも大正11年(1922)祭神確定の義を出願せしに忍坂連の祖天火明命に係る確証なしとの理由に依り内務省と協議の結果小坂郷開拓に最も関係深き神なれば小坂之神と決定奉祀すべき旨にて許可せらる。
とある。
延喜式神名帳の但馬国・出石郡の「小坂神社」の論社2社のうちの1つ。
小坂郷と出てくるのは、古代の出石郡を構成する小坂・安美・出石・室野・埴野・高橋・資母の7郷のひとつ。
その後、明治22年の市町村制の実施により出石郡は、出石町・室埴村・小坂村・神美村・資母村・久畑村・合橋村の1町6村となった。
結局、当社の創建の際の由緒とか、中世の状況だとかは全く分からない。
興味深いのは明治政府内務省は地方の神社のご祭神を決定するという役割も持っていたことだ。
明治政府にとってそれほど神社政策というのは重要なことだった。
国道482号線よりお地蔵様の祠がある角を南へ川沿いを集落の中を進む。
しばらく行くと集落の一番奥のあたりに西向きで鳥居がある。
鳥居の向かいに、参集殿のような休憩所のような建物があり集落の中心部を形成している。
思うに何か催し物があれば集落のこの場所に集まっていたのではないだろうか。
社域は、ほぼ人家で囲まれていて、西側には小さな川が流れている、東側には遊具もある。
あちこちに大木を切った切り株があり、それぞれがかなり大きい。
もし残っていたらかなりの大木だったに違いない、それだけ古くよりこの地に鎮座していると思われる。
社殿は拝殿と覆屋に入った本殿の構成。
状態は悪くはないが、そろそろ修理が必要な時期かもしれない。
明治政府によりご祭神を決定された神社。
注意点
集落の中の道は狭く駐車場が無いので注意。
訪問ノート
訪問日 :2019/9/8
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3
各種式内社データへのリンク
御祭神等の詳細データは以下をご参照ください。