267-120_(論)八幡神社(河辺八幡神社)

比定社:(論)八幡神社(河辺八幡神社)

式内社コード:267-120
神名帳社名 :三宅神社、ミヤケノ
社    格:小
所 在 地 :625-0141 京都府舞鶴市河辺中354-2
Plus Code  :GCC4+H7 舞鶴市、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「はちまんじんじゃ」と読む、地名の河辺中は「かわべなか」と読む。
河辺中集落のほぼ中心の街道沿いの平地に鎮座。
舞鶴引揚記念館より京都府道561号田井中田線を1.5kmほど北東へ行ったところにある。
京都府道561号田井中田線に面しているのですぐに分かる。
駐車場はないが周辺に駐車は可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

神社の集合体のような本殿の回り。
社叢が豊かできれい。

写真

河辺八幡神社を正面より望む。社標には村社八幡神社とある。社叢がきれい、巨木も多い。
河辺八幡神社を正面より望む。社標には村社八幡神社とある。社叢がきれい、巨木も多い。
右側(東)を望む。この道は京都府道561号田井中田線でこの方向は半島の先の方を向いており、直線距離で5kmほどで若狭国となる。
右側(東)を望む。この道は京都府道561号田井中田線でこの方向は半島の先の方を向いており、直線距離で5kmほどで若狭国となる。
左側(西)を望む。この道が元々の街道なのだろう、集落の中を通っている。周辺は田畑と人家。
左側(西)を望む。この道が元々の街道なのだろう、集落の中を通っている。周辺は田畑と人家。
左側(西)を望む。京都府道561号田井中田線の舞鶴引揚記念館方面。谷筋になっているのがよく分かる。
左側(西)を望む。京都府道561号田井中田線の舞鶴引揚記念館方面。谷筋になっているのがよく分かる。
少し離れて正面から望む。手水舎は鳥居の前にある。
少し離れて正面から望む。手水舎は鳥居の前にある。
手水舎。
手水舎。
神社謹製の由緒書。ご祭神は譽田別尊、猿田彦尊。河邊谷6ケ村の氏神さま。延喜式神名帳の「三宅神社」であろうとのこと(控えめ)等々きっちり書いてある。
神社謹製の由緒書。ご祭神は譽田別尊、猿田彦尊。河邊谷6ケ村の氏神さま。延喜式神名帳の「三宅神社」であろうとのこと(控えめ)等々きっちり書いてある。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。左右に建物がある。
鳥居をくぐると拝殿前の広場。左右に建物がある。
広場の右手には蔵がある。
広場の右手には蔵がある。
広場の左手には倉庫のような参集殿のような建物がある。
広場の左手には倉庫のような参集殿のような建物がある。
拝殿は全体的には簡素だが左右に振り分けられた形式で中央の通路が広い。
拝殿は全体的には簡素だが左右に振り分けられた形式で中央の通路が広い。
拝殿を通り抜けると1段上に本殿が見えてくる。渋い雰囲気だ。
拝殿を通り抜けると1段上に本殿が見えてくる。渋い雰囲気だ。
本殿を望む。本殿は昭和41年に消失し翌年に再建されたものということだ。
本殿を望む。本殿は昭和41年(1966年)に消失し翌年に再建されたものということだ。
本殿を左側から望む。古い建物とは明らかに作りが異なる。
本殿を左側から望む。古い建物とは明らかに作りが異なる。
本殿の内部はきれいに保たれている。覆屋と本殿が合体したニュー神社という感じ。
本殿の内部はきれいに保たれている。覆屋と本殿が合体したニュー神社という感じ。
本殿前にある石灯籠。貞治3年(西暦1364年)に作られたもので京都府指定文化財となっている。これほど古いのは珍しい。
本殿前にある石灯籠。貞治3年(西暦1364年)に作られたもので京都府指定文化財となっている。これほど古いのは珍しい。
本殿を右側から望む。
本殿を右側から望む。
本殿を裏側から望む。
本殿を裏側から望む。
本殿左側より舞殿を望む。
本殿左側より舞殿を望む。
本殿左手から望む。社域には社が多くある。まさに神社の集合体のような様相。
本殿左手から望む。社域には社が多くある。まさに神社の集合体のような様相。
本殿右手から望む。社が多くあるのは統廃合を繰り返してきたのだろうか。
本殿右手から望む。社が多くあるのは統廃合を繰り返してきたのだろうか。
本殿より舞殿を望む。社叢が良い感じ。
本殿より舞殿を望む。社叢が良い感じ。
社域には巨木も多く良い雰囲気を作り出している。
社域には巨木も多く良い雰囲気を作り出している。
巨木の根っこの苔が光っていた。
巨木の根っこの苔が光っていた。

感想

神社謹製の由緒書によると

由緒記
 当八幡神社の祭神は 譽田別尊(ほんだわけのみこと)猿田彦尊(さるたひこのみこと)を祀り 草創以来 河邊谷六ケ村の氏神として崇敬を受けている
 伝承によれば「延喜式」神名帳に載せる「三宅神社」 「丹後風土記」にいう「河邊坐三宅社」とは当社のことであるといわれており 中世社号を転じ八幡宮を名乗った
 当社に伝わる棟札には正應四年(一二九一年) 延慶元年(一三〇八年)などの年記を記せるものがあり また文亀元年(一五〇一年)の奥書がある大般若経を蔵している
 本殿は昭和四十一年(一九六六年)不慮の火災により消失するところとなり 昭和四十二年再建遷宮している
 本殿前の石燈籠は 貞治三年(一三六四年)の銘文があり 例年九月十五日の例祭に奉納する田楽舞(鉾の舞 獅子の舞 太鼓の舞 膝すり)とともに 京都府指定文化財となっている

とある。

神社謹製の石燈籠説明書によると

京都府指定文化財
工芸品
石燈籠
一基
南北朝時代(貞治三年、一三六四年)

とある。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、誉田別命・猿田彦命。
天養元年(1144年)造営。
正応四年(1291年)棟札(追加)。
延慶元年(1308年)造営、棟札(追加)。
貞治三年(1364年)石燈籠(追加)。
文亀元年(1501年)大般若経(追加)。
昭和41年(1966年)焼失(追加)。
昭和42年(1967年)再建(追加)。
旧地は200mほど北の地点という、その後現在の地に遷座した。
江戸時代までは「岩津森明神」と呼ばれていた。
伝承によれば「延喜式」神名帳に記せる「三宅神社」「丹後風土記」にいう「河辺坐三宅社」とする。
「北方200mに古社地跡がある」とされているが、竹林の中に少しの平坦地があるが確認できなかった。

とある。

延喜式神名帳・丹後国・加佐郡「三宅神社」の論社3社のひとつ。

当地は、舞鶴湾より東へ伸びる河辺川の谷筋の入口にあたり、中世では志楽庄河辺となっていたようだ。
昔の当地を含む大浦半島の状況はどのようなものだったかはよく分からないが、少し行くと若狭国となる国境だ。

舞鶴引揚記念館より京都府道561号田井中田線を1.5kmほど北東へ行ったところにある。
京都府道561号田井中田線に面しているのですぐに分かる場所だ。

創建の際の詳細は不明、いつ八幡を勧請したのかも分からない、謎だらけの神社。
だが、古いものがよく残っている神社で、棟札・石燈籠・大般若経と残っている。

社域は、それほど広くないが古木・巨木が多数あり古くよりここに鎮座していることが分かる。
鳥居をくぐると広場がある、右に倉、左に参集殿がある。
1段上がって割拝殿があり、さらにもう1段上がって本殿がある。

本殿のある場所は、たくさんの社殿がひしめき合っている。
こんなに建て込んでいるのは珍しい。
ひょっとしたら、複数の神社の集合体なのかもしれない(個人的見解です)。
境内社や摂社末社を調べたわけではないが、河辺神社と八幡神社だったりして…。
境内社としては、大谷神社・西山神社・愛宕神社の名前が上がっているが、それ以上に社殿がある。

本殿は、昭和42年(1967年)再建とあるので、本殿と覆屋が一体になったような形式で新しい。
なんだかニュー神社という感じである。

河辺八幡神社では、お祭りの際に奉納される伝統芸能がよく残っていて、鉾の舞・獅子の舞・太鼓の舞・膝すりがある。
これらは、京都府指定文化財となっている。
伝えていくには色々問題があるとは思うができる限り残していってほしいと思う。

いつから八幡なのか分からないが伝統芸能をよく残す神社。

注意点

駐車場はないので注意。

訪問ノート

訪問日 :2020/5/30
交通手段:クルマで訪問
カメラ :EOS80D + TAMRON 10-24mm F/3.5-4.5 Di II VC HLD B023