268-240_小虫神社(与謝野町温江)

比定社:小虫神社(与謝野町温江)

式内社コード:268-240
神名帳社名 :小虫神社、コムシノ/ヲムシ
社    格:名神大
所 在 地 :629-2413 京都府与謝郡与謝野町温江103
Plus Code  :G425+8F 与謝野町、京都府
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「おおむしじんじゃ」と読む、地名の温江は「あつえ」と読む。
与謝野町温江(あつえ)の集落の中心の山裾に鎮座。
兵庫県道・京都府道705号中藤加悦線沿いに鳥居があり比較的分かりやすい。
当社への入り口は2箇所り府道沿いの南側は社標と鳥居がある。
また西側には比較的新しい鳥居(平成)のみがある。
神社内に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境2】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索2】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

神明造りのような本殿(波板でよく見えないが)。

写真

こちらは西側の鳥居。平成になってから鳥居が作られたようだ。
こちらは西側の鳥居。平成になってから鳥居が作られたようだ。
西の鳥居をくぐると拝殿に向って左手よりアプローチすることになる。右側には公園兼広場がある。
西の鳥居をくぐると拝殿に向って左手よりアプローチすることになる。右側には公園兼広場がある。
拝殿を正面より望む。大虫神社とほぼ同時期に再建されたもの。お寺のような感じ。小虫神社の鳥居は普通の狛犬となっている。雪囲いだろうか拝殿と本殿は波板で囲まれている。
拝殿を正面より望む。大虫神社とほぼ同時期に再建されたもの。お寺のような感じ。小虫神社の鳥居は普通の狛犬となっている。雪囲いだろうか拝殿と本殿は波板で囲まれている。
本殿を右側より望む。覆屋ではないが波板で囲まれている。
本殿を右側より望む。覆屋ではないが波板で囲まれている。
本殿を右後ろから覗き込んだところ。神明造りのような形式となっているのが分かる。
本殿を右後ろから覗き込んだところ。神明造りのような形式となっているのが分かる。
本殿を左後ろから覗き込んだところ。神明造りの棟持柱があることが分かる。
本殿を左後ろから覗き込んだところ。神明造りの棟持柱があることが分かる。
本殿の千木鰹木は外削ぎ5本となっている。菊の紋が付いているのが分かる。
本殿の千木鰹木は外削ぎ5本となっている。菊の紋が付いているのが分かる。
拝殿前には舞台のような建物がある。時計や椅子があり地域の方々が集まることができるようになっている。
拝殿前には舞台のような建物がある。時計や椅子があり地域の方々が集まることができるようになっている。
拝殿の正面には南からの参道があり鳥居と社標がある。クルマは社域に駐車させていただいた。
拝殿の正面には南からの参道があり鳥居と社標がある。クルマは社域に駐車させていただいた。
拝殿の右側には西からの参道がある。広場兼公園のようなスペースがある。
拝殿の右側には西からの参道がある。広場兼公園のようなスペースがある。

感想

由緒書はないので詳細は不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。

ご祭神は、少彦名命・大山祇命・火産靈命。

室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座。
明治6年(1873年)村社。
明治10年(1877年)再建、広垣神社(火産霊命)と鬼人見神社(大山祇命)を合祀(追加)。

大江山の中腹の池ケ成の地に小虫神社とともに鎭座。
室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座。

かつては温江字虫本の大虫神社とともに大江山中腹の池ケ成に鎮座し、「虫宮」と呼ばれていた。

とある。

ご祭神は、少彦名命、火産霊命(合祀した広垣神社のご祭神)、大山祇命(鬼人見神社のご祭神)。

当地は、古くから開けていた地域のようで周囲には古墳が非常に多い地域。
かつての鎮座地は、大江山の山腹の池ケ成(いけがなる)に虫宮(むしのみや)として鎮座していた。
室町時代に池ケ成から現在地へ遷座とある、延喜式神名帳の時代は池ケ成にあったことになる。
池ケ成は、現在ではキャンプ場があるだけの場所だが、加悦谷からは直線でも3kmほど離れていて不便な場所だ。
こんな山の上の神社に名神大社を与えたというのはどういう理由なのだろうか。
かつては、加悦谷と宮津街道を結ぶ交通の要衝だったのかもしれない。
それとも池ケ成の周辺でなにかの鉱物が採れていたのだろうか。
現在の地名の温江(あつえ)は、かつての謁叡郷(あちえ)の転訛だと思われ、合祀されている阿知江神社とも通じる。

小虫神社へのアプローチは、国道176号線の温江の交差点を東へ兵庫県道・京都府道705号中藤加悦線に入る。
途中で兵庫県道・京都府道705号中藤加悦線の温江地区公民館のあたりに鳥居があるので比較的見つけやすい。

大虫神社と小虫神社に分かれたのは、次のようなお話が伝わっている。
大虫神社の祭神である大国主命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼の毒気に当てられた姫が病気に罹り、それを嘆く大国主命のために少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出し姫を回復させたが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大国主命は「大虫」を名乗って体外から病を治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになったという。

言い方はアレだが、大国主命と少名彦命の名コンビにちなむ神社ではあるが詳細が伝わっていないので詳細は謎が多い。

南側の鳥居をくぐると、しばらく舗装の参道が続き社殿前の広場に到着する。
明治10年(1877年)建築の拝殿は南向きで大きくて立派なもの、廻りを雪囲いの透明波板で囲ってある。
拝殿の後ろの小虫神社の本殿は大虫神社と同じく神明造りのような建物となっている。
本殿も透明波板で前面を囲ってあり、中は背後へ回り込まないと見えないのが少し残念。
大虫神社と比較して小虫神社は集落に近いこともあり生活感を感じさせてくれる神社。
たぶん何かあるごとに周辺の方々が集まるのではないだろうか。
ちなみに西側にも真新しい鳥居があり、公園のような広場もある。

今の感覚で言うと、すごい山の中に鎮座していた神社が里に遷座するということは時々ある。
氏子が少なくなってきたとか、行くのに難儀するとか、といった理由が付くことが多い。
また時代とともに街道筋から外れてしまい人々の往来が少なくなったということもあるだろう。
古代において、虫宮は重要な街道筋に鎮座していたに違いない。
だが、時代とともに他の街道筋が発達し使われなくなったのだろうと思う(個人的見解です)。
しかし、よほど重要な場所だったのだろう、さらにこのことを朝廷側も認識しており名神大としたと思われるが詳細は不明だ。
室町期に里へ遷座の際に、虫宮として一つだったのが大虫神社と小虫神社に分かれたのは、当時の人々から人気抜群だったことを思わせる。
さらに、ここに大已貴命が住んでいたということも大いに気になるし八色の息というのも気になる。
なにかの病気だったのか、それとも鉱毒のようなものだったのか全く不明だ。

与謝野町春の例祭として加悦谷祭が開催されている。
加悦谷全体を巻き込んでの祭りの行事で、多数の神社が参加している、素晴らしいことだ。
温江区では大虫神社・小虫神社が参加し、祭りの説明書きには次のようにある。
”神楽と太刀振りが地区内を巡ります。神楽は、伊勢太神楽系で、演目は、「ツルギ」「スズ」「オコリ」の3種があります。太刀振りは「ホンブリ」「ミチブリ」「ダンブリ」の3種があります。”
物理的な社域・社殿もそうだが、こうした無形の文化面の継承も長く続けてほしいと思う。

少彦名命を祀る重要な名神大社。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2019/4/20
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3