274-190_比遅神社

比定社:比遅神社

式内社コード:274-190
神名帳社名 :比遅神社、ヒチノ
社    格:小
所 在 地 :668-0341 兵庫県 豊岡市但東町口藤547
Plus Code  :G2C5+J9 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

ひじじんじゃと読む。
口藤集落の北の外れの山の中腹に鎮座。
京都府道・兵庫県道2号宮津養父線より口藤の小さな案内看板より北へ入ると70メートルほどに比遅神社の社標がある。
そこから700メートルほど川沿いに林道を進むと鳥居が見えてくる。
クルマは鳥居前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境4】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩2】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

ワイルドな社域。
本殿に施された彫り物。

写真

京都府道・兵庫県道2号宮津養父線より口藤の小さな案内看板より北へ入ると70メートルほどの場所にある社標。延喜式内とある。
京都府道・兵庫県道2号宮津養父線より口藤の小さな案内看板より北へ入ると70メートルほどの場所にある社標。延喜式内とある。
口藤集落の社標の場所より700メートルほど簡易舗装の林道を上っていくと南向きの鳥居がある。右の道は奥へ続いているがたぶん砂防ダムの工事用の道路と思われる(未確認)。
口藤集落の社標の場所より700メートルほど簡易舗装の林道を上っていくと南向きの鳥居がある。右の道は奥へ続いているがたぶん砂防ダムの工事用の道路と思われる(未確認)。
登ってきた道を振り返る。こんな感じの簡易舗装の道。鳥居前にクルマを駐車できるスペースがある。
登ってきた道を振り返る。こんな感じの簡易舗装の道。鳥居前にクルマを駐車できるスペースがある。
鳥居をくぐると一旦下がり口藤川に橋がかかっている。
鳥居をくぐると一旦下がり口藤川に橋がかかっている。
橋の上流側はキレイに護岸工事が行われている。
橋の上流側はキレイに護岸工事が行われている。
橋より下流側を望む。下流側は渓谷そのまま。
橋より下流側を望む。下流側は渓谷そのまま。
橋より石段を望む。石段の上に南を向いた社殿が見えている。
橋より石段を望む。石段の上に南を向いた社殿が見えている。
石段を登るとゆるい参道が続く。
石段を登るとゆるい参道が続く。
再び石段がある。周囲は木々が切り払われて整備途中のような感じ。石垣の積み方に古さを感じる。
再び石段がある。周囲は木々が切り払われて整備途中のような感じ。石垣の積み方に古さを感じる。
社殿を左側より望む。木々を整理する前は鬱蒼としてすごいことになっていたのではないだろうか。
社殿を左側より望む。木々を整理する前は鬱蒼としてすごいことになっていたのではないだろうか。
手水鉢。
手水鉢。
拝殿を正面より望む。風雪ですっかり色あせてしまっている。
拝殿を正面より望む。風雪ですっかり色あせてしまっている。
拝殿内部を望む。
拝殿内部を望む。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。たぶん雪よけのネットが張り巡らされている。拝殿も本殿もかなり大きな建物。
拝殿と覆屋に入った本殿を右側より望む。たぶん雪よけのネットが張り巡らされている。拝殿も本殿もかなり大きな建物。
覆屋に入った本殿を右側より望む。明治6年(1873年)に焼失とあるので、その後に建築されたものだと思われる。
覆屋に入った本殿を右側より望む。明治6年(1873年)に焼失とあるので、その後に建築されたものだと思われる。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
覆屋に入った本殿を左側より望む。
ネットの内側に入り込ませていただいて本殿を望む。少し見づらいが彫り物が素晴らしい。扁額には日遅神社とある(字が異なる)。
ネットの内側に入り込ませていただいて本殿を望む。少し見づらいが彫り物が素晴らしい。扁額には日遅神社とある(字が異なる)。
拝殿右側より正面を望む。なぜか整備途中のような印象。
拝殿右側より正面を望む。なぜか整備途中のような印象。
拜殿より参道を望む。縁を石組みしてあるのが珍しい。
拜殿より参道を望む。縁を石組みしてあるのが珍しい。
参道より鳥居を望む。
参道より鳥居を望む。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、多遅摩比泥神(たじみひでのかみ)。
延暦3年(784年)葛井宿禰比遅磨其租味散公を藤ノ森に祀る(修正)。
宝暦12年(1762年)神社再建(修正)。
享和元年(1801年)造営。
明治6年(1873年)焼失。
明治6年(1873年)村社。
大正4年(1915年)神饌幣帛料供進神社指定。

伊勢外宮の本つ宮なり『資母村誌』とする。
延暦3年(784年)6月葛井宿禰比遅磨出石主帳に任ず。
またこの頃「葛井宿禰比遅磨其租味散公を藤ノ森に祀る。比遅神と云。」

とある。


ご祭神の多遅摩比泥神は天日矛の孫にあたる人物。
①天之日矛
②多遅摩母呂須玖(たぢまもろすく)
③多遅摩斐泥(多遅摩比泥神とも、たぢまひね)
④多遅摩比那良岐(たぢまひらなき)、多遅摩比多訶(たぢまひたか)
多遅摩比多訶の2代あとに、息長帯比売命(神功皇后)

比遅神社の比遅については諸説ある。
・葛井宿禰比遅磨が由来
・『資母村誌』に「丹後國丹波郡比治麻那爲神社と同社なり。」とあり、比治→比遅が由来
・『校補但馬考』に「比遅は藤の義にして、…」とあり、藤→比遅が由来
・ご祭神の多遅摩比泥神の比泥→比遅が由来

かなりの山の中にある。
口藤集落からは1kmは無いが、周囲に人家はなく完全な山林の地域。
神社の前に口藤川が流れ、橋を渡ると石段がある。
近年、川筋の改修が行われたようだ。

現在、社域は整備中なのか木々を整理して日光が入るようにしたようだ。
以前は、かなり鬱蒼とした社域だったと思われる。

社殿は、拝殿と覆屋に入った本殿で構成される。
明治6年(1873年)焼失とあるので、それ以降の建築だと思われる。
拝殿・本殿ともかなり大きな建物で立派、風雪により色は褪せてしまっている。
特に本殿は、彫り物組物が多数施されており素晴らしい、一見の価値がある。
残念ながら彫り物の作者は不明。
本殿の扁額には日遅神社とある(字が異なる)。

社殿前のスペースが少々寂しいことになっているが整備されると素晴らしい社域になるだろう。
後世へ伝えてほしい神社。

注意点

林道のようなアプローチなので十分注意されたし。
ひょっとしたら野生動物も出て来るかも。

訪問ノート

訪問日 :2019/5/5
交通手段:クルマで訪問
カメラ :RX100M3