274-110_手谷神社(豊岡市但東町)

比定社:手谷神社(豊岡市但東町)

式内社コード:274-110
神名帳社名 :手谷神社、テタニノ
社    格:小
所 在 地 :668-0315 兵庫県豊岡市但東町河本885
Plus Code  :CXP2+V7 豊岡市、兵庫県
※Google Mapで上記の Plus code を検索すると所在地が表示されます。

アプローチ&ロケーション

「てだにじんじゃ」と読む、地名の河本は「こうもと」と読む。
河本集落の南の端の河本川の西岸に鎮座。
兵庫県道・京都府道56号但東夜久野線の東側に神社入口があるが目印がなく分かりにくい。
但東と夜久野を結ぶ街道筋。
神社前に駐車可能。

訪問しやすさ指数

管理人の独断による訪問しやすさの点数を付けてみました。
管理人の独断による4つの観点、秘境度・交通の至便さ・徒歩でのアプローチ状況・探索の必要性、を点数化しました。
各点数が低ければ容易、高ければ難易度が高くなります。
式内社訪問の際の参考にしていただければ幸いです。

【秘境3】社域がどのような所なのか
5:秘境度MAX、深山幽谷で野生動物に注意レベル
4:秘境度はかなりのモノ、近くに人間がいないレベル
3:かなり自然の中の神社、時々人を見るレベル
2:近くに集落があり、子供が遊んでいるレベル
1:都会の神社、誰もがフラッと入れるレベル

【交通3】交通機関の状況
5:クルマのみ、4WD車等の特殊なクルマでしか行けない険しい場所
4:クルマのみ、普通のクルマで大丈夫だが林道等の条件の厳しい道路
3:クルマのみ、普通のクルマで普通に行ける
2:電車・バス等の公共交通機関はあるが制約が多くクルマのほうがベター
1:電車・バス等の公共交通機関で容易に行ける

【徒歩1】徒歩区間の長さと難易度
5:片道30分以上歩く、坂がきつい、やぶこき必要レベル
4:歩きは20分以内、がっつりトレッキング、危険箇所あり
3:歩きは15分以内、坂や石段があって軽くトレッキング、所によっては滑りやすいとかあり
2:歩きは10分以内、トレッキング要素ありだが容易
1:歩きは5分以内、容易

【探索3】発見難易度
5:何回も訪問しないと分からないレベル
4:周辺をかなり歩き回らないと分からないレベル
3:少々見つけにくいが見つけることができるレベル
2:目印があって比較的容易に見つけることができるレベル
1:目立つのですぐ見つかるレベル

ハイライト

川のすぐ横に鎮座する立地。

写真

手谷神社を正面より望む。社域は広く、奥の方に鳥居と社殿がある。
手谷神社を正面より望む。社域は広く、奥の方に鳥居と社殿がある。
鳥居前より兵庫県道・京都府道56号但東夜久野線を振り返ったところ。神社で行き止まりなので駐車可能。
鳥居前より兵庫県道・京都府道56号但東夜久野線を振り返ったところ。神社で行き止まりなので駐車可能。
鳥居を正面より望む。大きな木もある濃い社叢だ。
鳥居を正面より望む。大きな木もある濃い社叢だ。
鳥居の脇には社標がある。社標には式内とある。
鳥居の脇には社標がある。社標には式内とある。
鳥居をくぐると広場。正面に拝殿、こじんまりしているが良い雰囲気だ。拝殿前には多くの石灯籠があるのが分かる。
鳥居をくぐると広場。正面に拝殿、こじんまりしているが良い雰囲気だ。拝殿前には多くの石灯籠があるのが分かる。
拝殿を右側より望む。
拝殿を右側より望む。
拝殿を正面より望む。風雪で色は褪せてしまっている。
拝殿を正面より望む。風雪で色は褪せてしまっている。
拝殿と本殿を右側より望む。すぐ横を河本川が流れていてビックリした。1メートルくらい?
拝殿と本殿を右側より望む。すぐ横を河本川が流れていてビックリした。1メートルくらい?
摂社末社を望む。注目は後ろの川の護岸。江戸時代くらいの護岸かと思うが、しっかりと作られているのが分かる。
摂社末社を望む。注目は後ろの川の護岸。江戸時代くらいの護岸かと思うが、しっかりと作られているのが分かる。
拝殿と本殿を左側より望む。文化14年(1817年)本殿修復とある、石積みがそれっぽい。
拝殿と本殿を左側より望む。文化14年(1817年)本殿修復とある、石積みがそれっぽい。
社域には蔵もある。これも古そうだ。
社域には蔵もある。これも古そうだ。

感想

由緒書はないので詳細不明。

「延喜式神社の調査」によると以下のデータが残る(追加修正あり)。
ご祭神は、埴安神・倉稻魂命・大彦命。
文武天皇4年(675年)高橋臣義成祖先の大彦命を祀る(修正)。
慶雲4年(707年)天谷村に垂跡とも伝わる。
中古洪水のため流され現社地に社殿を造営。
文化14年(1817年)本殿修復。
明治6年(1873年)村社。
天正4年(1576年)神饌幣帛料供進神社指定。
当社は元の天谷村に垂跡されていた為、天谷神社と称されて天谷村、西谷村、河本村の三部落によって護持されていた。
ところが中古代に洪水に遭い、社殿が流されて止まったところに現在の社殿を造営したと記されている。
そこで神社名は手谷と改称された。その意味するところは「手をつなぐ」というように推定される。
とある。


創建は諸説ある。
いずれにしても元々は天谷村にあったようだ。
だが洪水で社殿が流されたことで遷座となった神社。

手谷神社は、兵庫県道・京都府道56号但東夜久野線の東側にあるが、木々の間から社殿が少しだけ見えるのみだ。
56号線からは東へ斜めに入る道があるので見落とさないように。

社域に入ると思いの外、広い場所になっていてビックリする。
奥の方に鳥居があり社叢が奥の方ほど濃くなっている。
社域の木々も大きいものが多く、ここに鎮座してからかなりの年月が経つのが感じられる。

社殿は拝殿と覆屋に入った本殿。
文化14年(1817年)本殿修復とあり、風雪で色あせてしまっているが状態は良いようだ。
社殿の石積みなどを見るとその当時のままだと思われる。

不思議に思っていた、それはすぐ脇を流れる河本川とすごく近いこと。
こんなに川のキワキワに神社があるのなら、洪水で何度も流れてしまったのではないかと思った。
由緒には元々、天谷村にあって神社名も天谷神社だったということだ、天谷村は南に2kmほど上流になる。
逆に、お社が洪水で流れて流れ着いた場所に現在鎮座しているという。

神社の後ろの川を見ると、古い石垣で川の護岸工事がなされているのが分かる。
思うに、洪水でお社が二度と流れないように、という思いがこもっているのだろうと思う。

社域はきれいに保たれていて気持ちよく参拝できる。

注意点

特になし。

訪問ノート

訪問日 :2018/7/15
交通手段:クルマで訪問
カメラ :DMC-TZ60